取材・文◎本誌編集部
語り◎荒俣 宏
「僕が魚に興味を持つようになり中学生ぐらいになると、一歩進んで学校の図書館にある図鑑を手引きにして、採集した魚を分類していくわけです。それをいまだに続けているわけですが、その当時、博物学は死語になりかけていました。
僕がなぜ博物学に興味を抱いたかというと、江戸時代に書かれた博物学の本を読むとすごく面白かったからです。『本草綱目(ほんぞうこうもく)』にしても、非科学的なことまでたくさん書かれています。竜とか鳳凰(ほうおう)のような空想上の生き物まで科学のジャンルとして取り込んでいたのですが、『どうしてここまで間口を広げなければならないのかな』と思いました。西洋でもそうです。昔の博物誌は怪物誌でもあったわけです。近代には幽霊や怪談、お化けを研究した資料もなかったので、江戸時代に書かれた文献が非常に重要でした。だから生き物の資料を調べることと、妖怪の資料を調べることがほとんど重なっているのです。河童はそのギリギリ境界線に位置する存在です。あるとき『なんだ、僕は科学と非化学の両方調べているんだ』と自覚するようになって、それで博物学のスタートラインに立った感じがしました。生き物好きと、お化け好きが合致する世界が博物学だったのです」
小説家、図像学、文化人類学、心霊学など、多岐にわたる分野で偉業を成す荒俣宏さんは、博物学に興味を持ったきっかけをそう語る。
荒俣さんのそうした取り組みの集大成が、昭64(1989)年に平凡社より発刊された『世界大博物図鑑』だ。SF小説家としてのデビュー作『帝都物語』(12巻プラス外伝1巻からなる全13巻、角川書店、1985~1987年)が、後の映画化も併せて大ベストセラーとり、その収益で得た私費を投じて出版したという。
「『世界大博物図鑑』は、博物学の面白さを復活させようと思って、よせばいいのに全財産を投入し家にも帰らず、出版社に泊めてもらいながら編纂しました。もう1回やれと言われても、できないでしょうね。最近、半額くらいで買える普及版を出してもらえたのでありがたく思っています。ハンドブックとして持ち運べるし、値段も5,000円くらいです。それでも高いですけどね(笑)。
昔の博物学者は絵師を雇って記録を残しました。また、大名には絵が好きな人が多くて絵師を雇っていたのですが、基本的に殿様は暇でしたから、博物学はちょうどいい仕事だったのです。いろんな地方で手に入れた珍しいものや、ご当地の珍獣などを次々に図に残していました。それが江戸の博物学ブームの源になったのだろうと思います」
江戸の博物学ブームは、徳川吉宗(第8代征夷大将軍、在職:1716~1745年)以降だという。吉宗以前は、「本草学」と言って医者の領域だった。博物学は医学、薬物学と同じ扱いだったという。どんな薬草を取り入れれば、どういう効果があるかというのが主題で、今の動物学や植物学にも通じる部分もあるという。
「吉宗の時代になると趣味の図鑑の時代が始まり、医学的に効能があるかどうかは二の次で、面白いものは面白いというスタンスになっていきます。『これは何という生き物か⁈』という、『ワンダーの探求』の始まりです。海外からもどんどん本も入ってきて、化け物から本当にいる珍獣まで、ごちゃまぜになったような本も続々と入ってきました」
世界最初の彩色魚類図譜は、『モルッカ諸島魚類彩色図譜』(1719年初版)だ。オランダがジャワ島にアジア戦略のための基地を造り、駐在員のための町を造るには、その地域の自然や文化を調査する必要があった。そこで博物学者が派遣され、博物学者の多くは医師と兼任だったという。
「中世の欧米の探検隊や調査団の医師の多くが、博物学者兼任でした。当時の医師は、ほぼ博物学の研究も行っています。日本で馴染みのあるシーボルト(江戸後期に長崎に滞在したドイツ人医師、博物学者)もそうでした。本業は医者、しかしあるときは博物学者で本業と関係のないことまで、一生懸命研究する人でした。
当時、オランダはアジアへのルートを持っていて、ヨーロッパで喧嘩をしていたフランスとイギリスはオランダ経由でアジアの情報を手に入れ、植民地政策で相手に先んじようとしていました。そういう地政学上の綱引きもあって、多くの博物学者が海外に出ていったわけです。『モルッカ諸島魚類彩色図譜』を出版したルイ・ルナールが偉かったのは、ちゃんと実物を見て絵師に絵を描かせたことです。
それ以前は、昔誰かが描いた絵をそのまま模写することが多かったのです。ルナールはモルッカ諸島に生息する『これが魚か?』と思う珍しい種類をリアルに写生させ、それがヨーロッパで驚きを持って受け入れられたことが、今日の魚類学の礎になりました。『世界は総天然色なのだ』ということが認知されたのです。あのすごく高価な本が三版か四版と増刷されていますから、それだけ需要があったのですね」
その貴重な『モルッカ諸島魚類彩色図譜』の二版目か三版目を荒俣さんは、実際にお持ちだという。
「オランダのユンクという古本屋から連絡がきて、『モルッカ諸島魚類彩色図譜』が入荷したぞ! これはお前が買うべきものだから買え」と、強引に決められてしまったのです。今から30年くらい前で、250万円から300万円近くしました。『帝都物語』がベストセラーになった時期に博物学の本を集めていたから、印税のほとんどが博物学書に変わりました。なにしろ購入資金が潤沢だったので、思いきって買いました。
当時は日本の古本市場でも、明治生まれの博物学者が亡くなって、その蔵書がかなり売りに出されていたのです。あちこち探せば、貴重な資料の売れ残りが数千円で買えました。
なかでもジョルジュ・キュヴィエの『動物界』の豪華本は、日本水産株式会社の前身である共同漁業株式会社の水産研究機関、早鞆(はやとも)水産研究所に勤めていた熊田頭四郎(としお)氏の蔵書が古本屋の店頭に積まれていて、魚類編がなんと2巻で4,000円でした。僕は値段を確認してお金を払い、脱兎のごとく逃げて帰ってきましたよ。『0を一桁間違えてた』と言われるのが怖くてね(笑)。今では神田の古書街にはすっかりなくなってしまいましたが、それぐらい、かつては掘り出し物が市場に出ていました」
博物学に興味を持った荒俣さんにとって、世界各国の博物図譜を手にすることは必須だった。たくさんの素材を「これは何だ、あれは何だ。こう繋がっているのか!」と縦にも横にも研究することが、博物学の基本作業だという。そうした作業の結果、荒俣さんが手に入れてきた貴重な博物図譜が書庫の奥にしまわれるのではなく、数々の作品を通して私たちが目にすることで、知の財産の共有が広がっている。
今回の特集「知の冒険・智の愉悦(よろこび)」では、荒俣さんから貴重なお話とさまざまなアドバイスをいただいた。ぜひ、本誌70号を手に取っていただき、魚類図譜の魅力とそこに込められた、魚好きの飽くなき探求心を感じていただきたい。