2020
02.14
Vol.64 ③
「オーパ、オーパ!! 旅の特別料理長」谷口博之の証言
特集「開高 健の釣りと旅」
「“悠々として釣り急いだ” 作家・開高健の珠玉しゅぎょくの釣り人生」番外編

「釣って、料理つくって、食べまくった! 釣りと食の冒険」

取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎隈 良夫

 開高健がアマゾン冒険を記した『オーパ!』に続く、冒険釣行紀『オーパ、オーパ!!』の大きなテーマは、荒れるベーリング海の孤島、アラスカ・セントジョージ島での巨大オヒョウ釣り。この大冒険で開高健が重要視したのは、「現地で釣った魚を、いかに旨く食べるのか?」ということだった。そして1982年、旅に同行する料理人として選ばれたのが、後に辻調理師専門学校日本料理専任教授となる、若き日の谷口博之さんだった。
 その若き料理人、谷口さんを旅に誘った開高健の口説き文句は、「世界中の名だたる淡水魚を、世界で初めて調理する料理人やねんで」だったという。

『オーパ! 旅の特別料理』著:谷口博之(集英社・1991年)開高健と共にアラスカからアメリカ、カナダ、コスタリカ、モンゴルなど、谷口さんが包丁を携えて旅をした異色のルポルタージュ。

 谷口さんが今でも心に残る開高健の言葉は「心に通じる道は胃を通る」というものだ。そして「どんなに大変な状況でも、作る料理が餌になったらあかんで」とも言われたという。
「冒険釣行紀が『オーパ、オーパ!!』になって、食の探求ということもテーマに加わり、辻調理師専門学校の初代校長・辻静雄とサントリーの佐治敬三さんが仲良しだった縁で、私に白羽の矢が立ちました。東京・神保町の集英社で面接をしたときは、正面に開高先生が座り、その両側に集英社の重役全員が座っていました。
 そのときに言われたことは、『これからいろいろな国へ行って、いろんな魚を釣る。釣るのも初めてだけど、それを料理するのも君が最初だ。世界で初めて名だたる淡水魚を料理して、それを最終的に本にする』と。そして旅は始まりました」と谷口さんは言う。

谷口さんのエプロンには、1984年6月6日、奈良県吉野郡下北山村大字上池原、「心に通ずる道は胃を通る」と、開高健直筆のメッセージが書かれている。この名句は『花終わる闇』(新潮文庫)に登場する。

 最初の目的地は、ベーリング海に浮かぶセントジョージア島。事前の打ち合わせでは、死者が出る可能性もあると言われており、危険地帯への旅だった。しかもその旅の人数は、スポンサースタッフやコマーシャル撮影のクルーも入れると16名。目的は開高健が釣った100㎏を超えるオヒョウをどう調理するかだったが、そうした大勢のスタッフの食事をどうまかなうか? の方が、頭を悩ましたという。
 夏の極北は白夜が続くため、1日4食から5食を用意しなければならない。しかも、セントジョージア島は、年に3日しか晴れない土地といわれ、嵐の日々、悪天候のフルコースが毎日続く。そして、開高健には事前に「作る料理が餌になったらあかん!」と、くぎを刺されている。そうしたスタッフの食事も含め、谷口さんが用意した調理器具、調味料、食材は、合計で大型のダンボール90箱にも及んだという。

『オーパ、オーパ!! アラスカ篇』大型本(集英社・1983年刊)
1982年に氷塊の怪物、オヒョウを求めてベーリング海峡への遠征他を収録。オヒョウの戸板活き造りの写真は圧巻。

「開高先生には事前に、オヒョウを釣ったらどう調理するかアイディアを出してもらいましたが、『頬っぺたの肉が美味しいらしい』『向こうでは活き絞めするのに、ライフルで撃つらしいで』などと言うのです。
『先生、それをやられたら料理ができなくなります』
『せやなぁ』という感じでした。
 そして現場では、カメラマンやテレビスタッフが『このオヒョウを姿造りにして、夕日が沈むところを逆光で撮りたい』と言うので、必死で下しました。お刺身の一切れはステーキほどの大きさがあります。盛り付ける器なんてありませんから、宿舎の扉を取り外して100人前のお刺身を載せて、海藻とバフンウニで飾りつけ、姿造りの格好にしたのです」
 谷口さんは、初回のセントジョージア島での大きな仕事を終え、めでたく開高釣魚隊の一員に加えられる。そして、カナダ、アラスカ、コスタリカ、ネバダ砂漠……と旅が続くなかで、日本にいたら考えられないような食材を調理した。

『オーパ、オーパ!! コスタリカ篇 スリランカ篇』大型本(集英社・1987年刊)
1985年、ターポンを釣るため中米コスタリカへ遠征し、宝石を求めてスリランカへ。イグアナ料理の調理シーン他収録。

「コスタリカでは、私の大嫌いな爬虫類、イグアナも調理しました。開高先生に聞くと『イグアナは“木の雌鶏”といって、鶏肉のように使うんや』ということでした。日本のカニのように紐で縛られた状態で売られていて、解体の仕方は現地の方に教えてもらいました。まず尻尾を切ると恐ろしいことに、尻尾だけでも動きます。しかも、恐竜のような皮をしているのですが、その皮がとても硬いのです。でも身は最高においしい。それで潮汁を作ってさしあげたら『ここだけの話やけど、高級和食店の吸い物より、こっちの方が旨いなぁ』と言って、えらくよろこばれました。厳しい旅でしたが、各地でそうした開高先生の嬉しそうな笑顔が見られることが、私にとってなによりの励みになりました」
 開高健は、未知の魚を通して悪食の検証もあったのかもしれない。日本人の知らない食材をなんとか調理して自分で食べることで、“新しい食の探求、味覚の追及”を試みているようだったと谷口さんは言う。

開高健は写真に写っている帽子によって、どこで釣った魚かがわかるように、遠征するたびに帽子を替えていたという。その帽子は取材の最後に、ジャンケンでスタッフに分けていたという。写真の帽子は、谷口さんの戦利品。

「いつもおっしゃっていたのは、『小説家で女の話と食い物の話を書ければ一流や』ということです。そして、何でも徹底的に経験する方でした。食べ物は飽きるまで同じものを食べ続け、アラスカに行ったときのキングサーモン、カニなど、なんでもそういう食べ方をしておられました」
 開高健は「初めて食べたときはおいしい。それがだんだん慣れてくる。そして飽きてくる。飽きたのを通り越して、見るのも嫌になる」と言いながら、徹底して食べる。味覚も上っ面で妥協することはなかったという。
 また、釣りでもやらせは許さなかった。「釣れない尽くしも面白いんや」と言いながら、明日は帰国という最後の土壇場で釣れたことも何度もあった。それは楽しみを超え、苦痛だったかもしれないが、やり続けたからこそ、結果が出たのだと谷口さんは言う。
「私の座右の銘なのですが、開高先生が『教授な、ひとつだけ覚えておき。金脈には人脈はないで』と言ってくれたのです。亡くなってから30年。その言葉の意味が、だんだんわかってきました。開高先生との出会いは、それだけで一生終えたとしても悔いが残らないものだったと思っています。ですから私には、親父が3人います。本当の父親と辻静雄総長、そして開高健です」

谷口博之(たにぐち ひろゆき)
1952年生まれ。辻調理師専門学校日本料理・元専任教授。1982年から87年まで、オールマイティに対応する料理技能が見込まれ、作家・開高健の一連の釣り紀行シリーズ『オーパ!』隊に料理人として参加。著書に『オーパ! 旅の特別料理』(集英社・集英社文庫)、『関西風おかず』(新潮文庫)など。NHK「きょうの料理」をはじめ数々の料理番組にも出演。

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