2019
10.18
Vol.63 ③ 伝説の磯釣り師・森岡治の愛した自然の宝庫へ
特集『巨魚に魅せられた釣り人たちの冒険記』
「“宇治群島一番乗り”磯の大魚に惹かれた男」より
取材・文◎本誌編集部 写真◎磯貝英也

 串木野港を午後11時に出船し、岩礁の上に上陸したのは午前2時を回っていた。鹿児島県西部,坊ノ岬の西方約 70kmの東シナ海の海上にある、宇治群島に来ていた。
 著者で釣り人の松林眞弘さんは、ヘッドライトの明かりを頼りに暗闇の中で、イシダイ竿を固定するためのピトンを打ち、仕掛けを確認している。そして、竿を固定し終わると、手を休めることなく磯に張りつくフジツボを採取し、そのフジツボをハンマーで砕き、釣り座の下にパラパラと巻いている。今回の付けエサは、アカガイとシラガウニだという。
 その様子を見ながら登山用の小型ガスバーナーでコーヒーを淹れ、ほっと一息ついたときだった。暗闇の中を一羽のカモメが足元の岩場に飛来し、羽をバタつかせながら2本の足で、こちらを目指して岩場をよじ登ってきた。そしてあろうことか、膝を立てた長座位(ちょうざい)の下に入り、その後、膝の上に移動し、心地よさそうに羽を休めの姿勢で寝むりはじめてしまったのだ。

茶羽のカモメの幼鳥。膝の上がすっかり気に入り、まるで飼いネコのように夜が明けるまでの30分程じっとしていた。

 よく見ればそのカモメは、巣離れしたばかりの茶羽の幼鳥。夕方、巣に帰りそびれて近くの岩場で一夜を過ごしていたところ、ヘッドライトの明かりに反応し心地よさそうそうな股の間を見つけ、落ち着いてしまったというわけだ。野生の鳥がそうした行動をとるとは思いもよらなかった。なんとも頼られているような嬉しさがあり、そのまま姿勢も崩さずじっとしていた。そして、辺りが薄明りに包まれ始めると、そのカモメはいそいそと動きだして岩の先端へ行くと、空に向かってくちばしを上げ、“クンクン”と周囲を確認すると、明るい東の空へ飛んで行った。
 そんなちょっとしたハプニングの間に松林さんは、1本目の竿で第一投を行い、2本目の竿の仕掛けにアカガイの餌を付けている。そして「変なカモメでしたね。初めて見ました」と言いながら、1本目の竿のやや潮上へ、その仕掛けを投げ入れた。

1919年奈良県生まれの森岡治(もりおかおさむ)氏。享年93歳。処女登磯を完遂した絶海の孤島は宇治群島、鷹島、津倉瀬、草垣島、銭州、男女群島など30カ所を超える。わずか5トン余りの漁船に伝馬船を積んで行き、登礁するという荒業は、当時の磯釣り師たちを驚かせた。昭和34年から7年の歳月を費やし完遂した「全日本無人島岩礁の処女登磯」の度肝を抜く偉業は、いまだに語り継がれている。

 今回宇治群島を訪れたのは、登山家でいうところの「未踏峰初登頂」に匹敵する「無人島初登磯」。イナンバ、銭洲、奄美のトンバラなど、困難な場所へ初登磯を繰り返した伝説の磯釣り師、故・森岡治氏の足跡を追うためだ。特に1959年から60年にかけて行われた「全日本無人島岩礁の処女登磯」の記録は、今なお伝説となって語り継がれ、なかでも森岡氏の自家版『宇治群島遠征記』は、当時の磯釣りを知るための貴重な資料となっている。

巨大な岩が削り取られたような印象の宇治群島・向島。調べてみると、宇治群島全体が安山岩の島で、山頂が海から突出した状態だという。そのため多くは海食崖に囲まれており、船を寄せ付けない地形となっている。

 カモメ騒動の後、朝食のおにぎりをかじり、熱いお茶で体を温める。ふと背後を見ると、岩の塊がそのまま島となった向島の偉容がそびえている。まさに「人を寄せ付けない」という印象だ。
 宇治群島は、大きく分けると家島と向島があり、その周囲に大小さまざまな岩礁や小島がある。もちろん無人島だ。しかし家島には、昭和40年(1965年)から平成5年(1993年)にかけて避難港が整備されている。渡船から降りた磯は、向島の北東端の“黒瀬”と呼ばれる一帯の岩礁だった。黒瀬と呼ばれるだけあり、ちりばめられた大小の岩礁の合間を、いかにも潮が速く流れそうな小さな水道が走っている。

写真のようなイシガキダイの幼魚に囲まれてしまった。群れるように餌を突っつき、あっという間に餌が取られる。

 松林さんは、慣れた手つきで餌を付け替えるが、かなり苦戦している様子だ。
「森岡さんも第一投から苦戦したようですが、私も大苦戦です。強い潮が手元に当たり過ぎてコマセが溜まり、小物の細かいアタリばかりなんです」と言う。
 それでも何とか掛けてみれば、200gにも満たないイシガキダイの幼魚。釣り座の下は完全に、イシガキダイの幼稚園のようになってしまっているという。
 太陽はすでに高く昇り、刻一刻と納竿の時間は迫っていた。松林さんは、岩礁の裏手に回ってみるが、そこは産卵期に入ったメジナの群れが、さざ波が立つほどの勢いで移動している。周囲を見回すと、 メジナの群れ、群れ、群れ! テレビの大自然番組を見ているような風景だ。それでも松林さんは、最終的に4gほどのクチジロを釣り上げる。

置き竿に掛かったクチジロ。リールは15年前に購入し、松林さんが長年愛用している『海魂』。

「釣り好きが高じて『釣り古書』蒐集に満足し、近所の年金波止場でお茶を濁しているようでは、釣り師として半人前なんですね。『釣りで人生を全うするのなら、そこがどんなに遠くであっても、大きな可能性にかけなさい。そして、私のように“本気で道楽”しなくてはいかん。そのためには、今回の悔しさをばねに、来年こそリベンジしにここに立ちなさい』と、森岡さん言われているようです。今日釣れた一尾のクチジロも、森岡さんがそんなメッセージを込めて、天から投げてよこしてくれたのだと思います。
 人生をかけるに値する釣りとの出会い。磯の大物を釣るというのは、それほどまでに尊い体験なのだと、改めて感じた次第です」と、松林さんは言う。

松林眞弘(まつばやし まさひろ)

1958年兵庫県洲本市生まれ。『淡路魚釣り文庫』代表。釣り関係の絶版本、稀覯本の収集家として蔵書8000冊以上。釣り歴は長く、伊豆七島の底物釣り、渓流釣りからヘラ釣り、ジギングまで多種にわたる。

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