2019
02.15
Vol.61 ②
ヤマメ・イワナと戯れ、創業350年(平家直孫26代)の宿に泊まる、
落語家・林家彦いちの奥鬼怒の釣行。
特集・釣りと宿を廻る5つの物語
「釣り宿・其ノ1 栃木県湯西川温泉『本家伴久』」より

いい湯で、いい釣り、いい食事

取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎知来 要

「いやー、全く反応がないっすね。イワナもヤマメも、どこに行ってしまったのですかねー」
 小さな滝の下の左右・奥と、テンポよく餌を流すも目印にアタリはなく、少々途方に暮れた様子で落語家の林家彦いちさん(以下:彦いちさん)は、竿先を見つめる。
 釣り好きの作家として有名な井伏鱒二の自選全集には『湯西川』と題した短編が収められており、作家仲間10人と奥鬼怒の湯西川を訪れ、下駄ばきで勢い釣りをしたところ、大きな獲物が掛かり、タモ網がなかったのでピケ帽を使って大奮闘の末、一尺二寸もある大きなイワナを捕獲したと著している。

井伏鱒二の自選全集を手にして闘志を燃やす彦いちさん。イワナを求めて湯西川温泉からさらに奥に入った支流を攻めるが、アタリはいまひとつ。地元の釣り師の話を聞くと、4月後半から梅雨明までがベストシーズン。

 その短編を読んだ釣り好きの彦いちさんは、なんとしても自分も大イワナを釣りたいと、早朝から湯西川源流に足を運んだ。しかし、深場は深場なりに深く、瀬の開きは清流がほどよく流れ水量があるにもかかわらず、魚が出ない。川下からここぞと思うポイントへは、希望をもって入渓するが、200mからときには500mほど釣り上がっても、一向に魚には出会えずじまい。朝からその繰り返しが続いていたのだった。結局、吹き出す汗を拭きながら退渓となる。
「今日は9月13日でしたっけ。渓流魚の夏休みは長いですね。陽も影ってきたし虫も飛んでないので、そろそろお時間ですかね。明日に期待しましょう」と彦いちさんは、無念さを晴らすように、首に巻いた手拭いで額をぬぐう。

幅のある床材は、廃校になった学校のヒノキの古材を利用している。これだけの板は新材として現代では手に入らないだろう。

 本日の宿、『本家伴久』さんに着いたのは、午後6時を回っていた。ロビーに入りスリッパに履き替えた瞬間だった。「いらせられませ!」と、仲居さんたちの美声が聞こえたかと思うと、「ドーン!」という迎え太鼓が鳴り響く。そして、一歩踏み出したその床は、漆で何度も磨き込まれた幅40㎝の床板が黒光りしていた。手入れの行き届いたロビーの柱は太く、間接照明の上品な明るさが、さらに“和の趣”を引き立たせている。
「これはド迫力。映画のセットに飛び込んでしまったような雰囲気ですね。いや凄い!」と彦いちさん。
『本家伴久』は、以前は木造3階建ての建物だったが、昭和45年に一度全焼した。しかし、先代の女将で現在の大女将(伴 玉枝さん)が「古木が持っている独特の風情を生かして建てたい」と考え、栃木県鹿沼市の廃校になった学校の古材を譲ってもらい建て直したという。
 客室のある本館の他に湯西川を挟んだ別館は食事処となり、本館と別館は「かずら橋」という風情のある吊り橋が渡されている。本館と別館を分けたのは、火災が起こる以前は部屋に囲炉裏があり部屋食を提供していたが、火事が起きたことで、休む部屋と食事処を離すことにしたのだそうだ。また、「せっかくなら川を渡って風情を感じていただこう」ということで、現在のような形になった。余談だが1994年、800年間にわたる源氏と平家の恩讐(おんしゅう)が、この湯西川の地で和睦に至った。その際、源氏の子孫と平家の子孫が仲良く手を取り合って渡ったのが、この「かずら橋」だという。

宿泊者のカップルが楽しそうに通り過ぎてゆく後ろ姿を背に、「かずら橋」の上で腕を組み川面を眺める彦いちさん。

 この宿が和睦の地となった理由は、『本家伴久』は平家の子孫の宿だからだ。壇ノ浦の戦いに敗れた平家は全国へ散り散りになって逃れていき、そのひとつが、ここ湯西川温泉だ。平重盛の五男、平忠房(忠実)が追っ手の目を逃れるために平家を名乗らず、「平」の字の一番上の横線を下に持ってきて「半」に、それに「人」をつけて「伴」にした。「伴」は“平家の人”という意味の隠し文字だという。
 平忠房は家臣と共に、縁戚の宇都宮朝綱(うつのみやともつな)公を頼り関東へ下る。その後、さらに源氏に追われ、渓谷沿いの湯西川に至り、この地を永住の地と定めた。そして、忠実は雪の日に狩に出て、降っても、降っても雪が積もらない箇所を発見し、不思議に思って手を入れてみると、川原に湧き出る温泉を発見したという。そこで温泉の湧き出る所ならば、子孫の誰かがきっと掘り起こすであろうと、温泉のことを誰にも漏らさずに、その場所の近くに藤の木で作った馬の乗り鞍や金銀財宝を埋めたという。
『本家伴久』の先祖である平忠房から11代目の伴対島守忠光(ばんつしまのかみただみつ)は、室町時代に先祖同様、雪の日に積もらぬ場所を不思議と思い、湧き出る温泉を発見し、同時に数々の宝物を発見した。忠光は先祖の配慮に感謝して、今日の湯西川温泉の歴史へと繋がっていったのだ。
 やがて江戸初期(1666年)になると湯西川村落として存在し始め、良質な温泉の評判が近隣に聞こえ、湯治宿屋の伴久旅館(本家伴久)の創業となったという。
「古に思いを馳せ、橋を渡るという発想も素晴らしい。それにロビーで『いらせられませ』と言う迎え太鼓も気になりました。公家の昔の丁寧語である“いらせられませ”は、おそらく『書き言葉』と『読み言葉』の境目で、それが“いらっしゃいませ”になったんだと思うんです。昔の方はそのまま“いらせられませ”と使います。古い言葉を正しく使っていますね」と彦いちさんは、『本家伴久』の歴史、そのおもてなしの深さに感心している。

翌日の早朝、渓流沿いにしつらえられた露天風呂から撮影したヤマメ。季節によってイワナを見ることもできるという。

 その日は部屋に案内された後、夕飯の前にひと風呂浴びようと浴衣に着替え、川沿いの露天風呂へ向かった。湯船から乗り出して川を眺めていた彦いちさんが突然、「目の前で魚がライズしました! 流れてくる小さな昆虫を捕食しています」と、血相を変える。
 ライトに照らされた水面を見ると、確かに魚が上流から流れてくる小さな虫を吸い込むように、パクパクと捕食している。しかもヤマメで型も良い。
 夕食時、支配人にお話を聞くと、現在旅館街は全面禁漁にしているが、昔はお風呂から飛び出して、裸のまま釣っていた人もいたそうだ。昔はおおらかだったので、思いきったことをするお客様は多かったという。
 また、今でも常連の方で、自分で釣った魚を「調理してほしい」と言って、囲炉裏で焼いて食べる方も多いという。

支配人から直々にイワナの骨酒をふるまわれ恐縮する彦いちさん。

 夕飯は囲炉裏端での料理。彦いちさんは、イワナの骨酒と「一升べら」がいたく気に入った様子。「一升べら」とは、香りの強い山採れの山椒とヤマドリと味噌等を練り込んだここの名物料理だ。ヘラに乗せ少しづつ焼いて食べながら、ちびり、ちびりやっていると、お酒が一升飲めるという趣向。
「塩を舐めながら、五合いく感じと一緒ですね。ヤマドリの骨を砕いて混ぜた食感もよかった。コリコリしていてやみつきになります」という彦いちさんの顔は、真っ赤。
 この日は、囲炉裏端で遅くまで釣り談義に興じたのは言うまでもない。
「古材の木造日本建築は、いつまでも古くならない魅力があります。そして “いらせられませ”の精神で、お迎えいただく。今回、釣りは私の技量が足りずでしたが、宿のおもてなしには大満足でした。骨酒も美味しかったし、お風呂の前のデカいヤマメにやられました。ヤマメが『また、いらせられませ!』と言って、スーッと去っていきました」と彦一さんは『本家伴久』の印象を、楽しそうに語った。


【本家伴久】
住所:栃木県日光市湯西川749 TEL:0288-98-0011
https://www.bankyu.co.jp/

林家彦いち(はやしや ひこいち)落語家

1969年 鹿児島県生まれ。大学中退後、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門。前座名「きく兵衛」。平成2年初席、池袋演芸場にて初高座「寿限無」。平成5年二つ目昇進。「林家彦いち」に改名。平成12年度第10回「北とぴあ落語大賞」受賞、平成12年度 NHK新人演芸コンクール落語部門大賞受賞。平成14年春真打昇進。平成15年 彩の国落語大賞殊勲賞受賞、平成15年第九回林家彦六賞受賞。平成16年 SWA(創作話芸アソシエーション)を春風亭昇太師、柳家喬太郎師、三遊亭白鳥師、神田山陽師と旗揚げ。落語ブームの一端を担う。平成18年 彩の国落語大賞受賞。他受賞歴多数。

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