2017
11.24
Vol.57 ⑤ 連載企画:夢枕獏「楽園はここに在る」
――徳島県【海部川】アマゴ釣り――より

アマゴと踊った夢枕獏さんと林家彦いちさんの海部川釣行

文◎本誌編集部 写真◎狩野イサム

 岩場を抜けやっと獏さんに追いついたころには、水筒の水は空になっていた。きしむ骨、悲鳴をあげる筋肉をだまし、わずか2時間の遡行中に飲んだ水は1リットル。手ごろな岩角を頼りに晴れた空を恨めし気に見上げ、なまった太腿を交互に持ち上げる。彦いちさんは、さらに上流でテンポよく仕掛けを流れに送り込んでいる。
「平成の名水百選」にも選定されている徳島県の海部かいふ川は、高知県との境にそびえる標高1372mの湯桶丸ゆとうまるの東斜面、槙木屋谷(轟山)を源流とする川だ。紀伊水道までの流程は36㎞と短いが、海部川上流部の山岳地帯は、年間降雨量3000㎜に達する全国有数の多雨地域であり、水量、水質共にピカいちだ。しかも、開発が穏やかに進んだことで流程に大きなダムはなく、海と河を行き来する生物にとって、奇跡的ともいえる環境がそろっている。さらに、その清冽な流れと流域の豊かな植生は、天然のヒラテナガエビやアユ、そしてアマゴやウナギなどの魚類を含む水生生物の宝庫でもあるのだ。この日本でも数少ない自然河川である海部川源流域で、獏さんと彦いちさんはアマゴ釣りに没頭している。

河原での休憩中も情報交換。淵か瀬か?「釣り逃したが、魚はでかかった!」と獏さん。

「今日の早起きは、三文どころではないほどのお得感ですね」と、獏さんは嬉しそうに本日4匹目の型の良いアマゴをリリースする。すると、上流にいた彦いちさんが、「やりやしたね、師匠!」と叫びながら、忍者のごとく岩の上をポンポンと跳ねるように駆け下ってきた。

「先へ先へ、奥へ奥へ」と、海部川の渓相と見事なアマゴに完全に魅せられた彦いちさん。

 2017年、初夏。“カイフポイント”と呼ばれ、日本有数のサーフスポットとして知られている海部川河口の駐車場に集まるサーファーたちをよそに、川と並行して北上する国道193号をひた走り、かつて林業で栄えた山間ののどかな集落にたどり着いたのは、夜も明けきらぬ頃だった。
 釣りの準備を整え、ポットのコーヒーとサンドイッチで簡単な朝食をとっていると、木々の間を割った一筋の光明を合図に、幾筋もの朝の光がキラキラと水面に反射し、深い森に覆われた渓流が目覚めていく。春から夏にかけての渓流釣りのよいところは、夜明けとともに始まる素晴らしい出来事を存分に味わえることだ。日の出を受けて気温が上昇すると、夜露で濡れた羽が乾き昆虫が空に舞い、その昆虫を狙って鳥たちのさえずりが始まる。渓流釣り師にとって、最高に気分が高揚する瞬間だ。

彦いちさんの後から追いかける形で竿を出す獏さん。しかし、海部川はここぞというポイントが多く、後追いでもしっかり釣果につながる。

 入渓ポイントから川岸に降り立った二人は、先輩釣り師の獏さんが、まず彦いちさんを先行させ、自分は対岸に渡る。この日は入渓した一投目から、彦いちさんの竿がしなり、次に獏さんというように、ここぞと思うポイントで必ず赤い帯をまとった、綺麗なアマゴが飛び出した。入渓して2時間ほど、時刻は午前8時前だというのに、二人は十分な釣果を手にしていた。そして河原に腰かけ話し始めた。
「彦いっちゃん、どうです徳島県の海部川の渓流釣りは?」
「いやー、これほど透明度の高い川が日本にある、ということがまず驚きでした。この喜びを多くの人が知って大挙して来られてはまずい、と思うほど良かったです(笑)」
「透明度が高い川なら、東北にもたくさんあるよね。でも、この海部川のすごいところは、冬でも雪に埋もれないことです。魚が1年中餌を食べているので、解禁直後でも20㎝そこそこのアマゴが、パンパンに肥えているんです。さっき釣ったアマゴは、餌をピックアップするときに、ガツンと飛びついてきました。魚がやる気を出していた証拠ですね」
「獏さんの言うとおり、海部川のアマゴは小さくても太っていて、引き締まっていましたね。獏さんの4匹目は、確かに餌を返す時に食いついてきましたね。ところで、四国のアマゴと本州のアマゴで、違いは感じますか?」
「気のせいかもしれないけど、四国のアマゴの方が野趣のある感じがします。どれを釣っても、放流モノという感じがしない。みんなヒレが、ピンピンしている」と、二人の釣り談義はとめどもなく弾む。

朝日に染まるアマゴの美しさは別格。ブドウ虫に果敢に食いついてきた。

 獏さんの渓流釣りは、生まれ故郷の小田原近辺で始まり、30歳前後までは小田原周辺の河川で釣って、釣って釣りまくった。その後35歳くらいから、まず東北に通うようになり、四国の川にも足を延ばすようになったという。
 お遍路でも釣りが目的でもなく、“四国の川を見たい、知りたい”と思い、海岸線を一周したことがきっかけだった。海岸線を走りながら気になった川を遡上し、そうやっていくつもの川を巡るなかで、この海部川という美しい川にたどり着いた。しかも、その清流で銀鱗を輝かす美しいアユに魅せられ、次に訪れたときには、中流域で何日もアユ釣り三昧に浸ったという。
「獏さんが海部川の渓流で、アマゴ釣りをするようになったのは、どうしてなんですか?」
「アユの友釣りで上流の方へ行くと、アユの目印にでっかいアマゴが飛びついてきたのですよ。『何だ、これ?』と思って漁協の人に聞くと『アマゴですよ』教えてくれて、それから渓流のアマゴも、四国の釣りに加わりました。春先のアマゴ、夏のアユ。ここは僕にとって釣り天国なんです」

着ていたシャツをまとい、長竿を自在に操る獏さん。透明度が高いため不用意にポイントには近づけない。

 今回の釣行で二人は、ともに5mの渓流竿を使っていた。餌はカワムシの時期には早いのでブドウ虫を使い、竿の全長の道糸にプラス90㎝のハリスを結び、錘は極力軽くする。ほとんどフカセに近い仕掛けだ。獏さんは気温が上がると、その仕掛けを表層に滑らせ、“誘いながら食わせる”釣り方に変わった。
 河畔の岩影に立った獏さんは、まず餌を手元で確かめ、間髪入れずにその仕掛けを下手流芯の向こう側へ飛ばした。
 弧を描いてゆっくりと着水した餌をさらに竿で送り込み流すと、流芯を扇状に横切りながら、餌は流れに逆らって泳いでいるようにも見える。獏さんは、さらに同じことを2度繰り返す。そして3度目。空中を飛んだ餌がそっと着水すると同時に、突然水が大きく割れ、魚が躍り上がった。豊富な餌と速い流れが、精悍で筋肉質な魚体を育み、頭部から腹部へと続く鮮やかな色彩に朱点が散りばめられた姿が、碧緑の流れに花を添える。

 その様子を見ていた彦いちさんも、岩の上に立って腕のリーチをせいいっぱい使い、流れの向こう側へ餌を振り込み、流芯を横切るように餌を引っ張っている。すると道糸が伸びきったところで、型は小さいが何匹ものアマゴが競うように餌に飛びついてくるのだ。
「獏さん、これは普段やらない技ですが、一度コツを飲み込むと手返しも良くて『なるほど』と妙にうなずける、理にかなった釣り方ですね」と、声を弾ませる彦いちさん。
「“いつでも”とは言えませんが、魚が多いからこの釣り方が成立するんだと思います」と、獏さんは答える。
 これは、日本の渓流のどこにでも魚が溢れていた、獏さんが子供の頃に習った釣法だ。小田原周辺の河川も含め、かつては“川に力”があった。海部川で釣りをしていると、その頃を思い出し“川の力”というものを再認識できると獏さんは言う。

夢枕 獏(ゆめまくらばく)作家

1951年神奈川県生まれ。1977年に作家デビュー。1989年、『上弦の月を食べる獅子』で第10回日本SF大賞、1998年、『神々の山嶺』で第11回柴田錬三郎賞。漫画家作品では、2001年に『陰陽師』が第5回手塚治虫文化賞マンガ賞。2011年に『大江戸釣客伝』が第39回泉鏡花文学賞、第5回舟橋聖一文学賞、2012年には同作品が第46回吉川英治文学賞を受賞。

林家彦いち(はやしやひこいち)落語家

1969年鹿児島県生まれ。平成元年に国士舘大学文学部を中退し、林家木久扇(初代木久蔵)門下へ入門。前座名を“きく兵衛”とし初高座は1990年で、演目は「寿限無」。1993年に二ツ目に昇進し、現在の“彦いち”へ改名。2002年に真打昇進。現在までに数々の賞を受賞し、新作の落語も数多く手がける。

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