2017
09.22
Vol.57 ① 特集『“技の奥儀、テンカラの秘密”』
「その技に過分無し“旅マタギ衆”とテンカラ」より

歩いたぶんだけ学べる現代マタギ釣行

文◎水田俊哉 写真◎望月 仁

大きなザックを担ぎながらも、美しいキャスティングで渓の奥のピンポイントを攻める谷地田正志さん。

「マタギの人たちは、イワナの首のところを歯でかじって、そのままスポンと皮をむく。そして、沢近くで採った山ワサビと一緒に醤油をかけて食べる。少々ワイルドだけど、何しろ上手にイワナの皮をむくので、幼い頃その姿に憧れたなぁ」と、今回、秋田マタギ・テンカラの取材で、現地の河川の案内をしてくれた、秋田県大館市に在住するフィッシングガイドの谷地田正志さんは、渓流の斜面に生えるヤマウドの皮を丁寧にむきながら、羨望をともなった口調で、マタギ衆の川漁の話をしてくれる。

 特集で登場していただいた、秋田市に在住するテンカラ師の浅利広生氏もマタギ文化に精通しているが、谷地田さんも本業は造園なので、植物や樹木の山の知識もすこぶる高く、日本の狩猟民であるマタギの知識も豊富だ。

腹回りがタプタプしているほど太った、秋田白神の白点の大きいアメマス系のニッコウイワナ。

 谷地田さんをはじめ秋田の男性たちが、ある種の尊敬の念を持ち続けているマタギだが、有名なのは、秋田県北秋田郡阿仁町(現・北秋田市)を流れる阿仁川上流域に点在する山間集落の“阿仁マタギ”だ。

 山間部は豪雪により半年近く外界と隔絶され、耕作地も少なく、農業より狩猟を主とした暮らしが行われていた。やがて住居近辺の獲物の乱獲を慎むために、猟場を遠隔地に求める“旅マタギ”と呼ばれる一群を形成し、越後から奈良県におよぶまで足跡が残る。

 マタギの品といえば、古来生薬として珍重された熊胆ゆうたん(クマの胆のう)が有名だが、このほかにも黒部峡谷一帯を含む北アルプスの山々では、狩猟の合間に薬草を採取したそうだ。マタギだからこそ採れる山間部の希少な薬草は、乾燥させ黒部川沿いの里まで運び、その薬草類は富山で加工され、日本全国に流通していった。マタギ衆は“富山の薬行商”の一端も担っていたという。

このヤマメもサイズの割には体高があり、引きも強くなかなかの手ごたえだった。

 白神山地から日本海に流れ込む津梅川周辺にも、「熊撃ちのマタギがいた」と谷地田さんは言う。そして津梅川の上流域には今でもイワナが多く、それはマタギの“隠しイワナ”ではないか、と言われているという。

 “隠しイワナ”とは、狩猟のため冬に山へ入ったとき、すぐにイワナを獲って食べられるように、夏の間に別の場所で釣ったイワナを滝の上や猟場の近くの沢に移して、増やしておく天然の貯蔵庫だ。津梅川のイワナが“隠しイワナ”とされる理由は、下流の滝の下では白い斑点のアメマス系だが、川の上流のイワナだけ、斑点が真っ赤だからだ。似たようなイワナは尾根を越えないと生息せず、昔、誰かが尾根を越えて持ち込んだのでは⋯⋯という話だ。

 イワナは、山暮らしでの重要なたんぱく源だ。今でも定番の塩焼はもちろん、釣りの鮮魚だからこそ味わえる刺身も、身が甘くて美味だ。何度か刺身を食べたことがあるが、それは海の魚でいうとメダイのような味わいだった。ほかにもイワナに味噌を塗ってからフキの葉で巻き、焚火に入れて蒸し焼きにしても美味しい。

 その場所にあるものを上手く利用したイワナ料理の数々、焼きがらして半燻製状態する川魚の保存方法なども、旅マタギが山間各地に伝えた食文化ではないだろか。そして「マタギの人は、骨酒もやっていたと思う」と、酒好きの谷地田さんは笑顔で話す。



綿毛がびっしりと付いたゼンマイを採ってきて、花束のように広げる谷地田さん。マタギたちは、その綿毛をよくもんで、毛鉤のボディー材のゼンマイ毛とした。ゼンマイ毛は保存も効くので、春先に採った物を油紙になどに包んで、缶に入れて保存したのではないか、と谷地田さんは言う。

 今回の取材では、本誌の記事にはしなかったが、谷地田さんのフライフィッシングと浅利さんのテンカラ釣りの対決も見られた。お互いその釣りのエキスパートである。

 結果的には、イワナは浅利さん、ヤマメは谷地田さんとなったが、何より驚いたのは、ヤマメの見事なプロポーションだった。頭の大きさに対して体高があり、その姿は活発な採餌により、急激に成長した証拠だろう。そして、餌となる水生昆虫が豊富な要因は、川の状態が良いことにほかならない。

 そこで改めて周囲を眺めてみると、苔を被った岸辺の石の脇には山ワサビが自生し、河畔林の下にはコゴミがにぎやかに生え、清水が滴る高い斜面にはヤマウドなどもある。秋田白神から流れでる河川の多くは、人間にとってもごちそうにあふれた、豊かな渓流なのだ。すると谷地田さんが、どこからか採ってきたのか、大きなゼンマイを花束のように抱えているのだ。そして、くるっとした新芽に付いている綿毛を指でつかみ、丸めて伸ばしながら言う。

「これが毛鉤のボディー材に最高のゼンマイ毛。この辺りのイワナ毛鉤には欠かせない素材で、マタギたちは餌釣りより、これらを使った毛鉤釣りの方が多かったと思うな。餌のミミズを捕まえても、旅の途中ずっと生かしておくのは難しいし、パッと毛鉤を出して釣る方が効率は良いから」と。

谷地田さんこそ現代マタギだ。山菜を見つけると、斜面もサルのように登って行ってしまう。

 ゼンマイのほかにもヤマウドやアイコ(ミヤマイラクサ)、ウルイやワラビなど、谷地田さんは釣り上がる途中で、さまざまな山菜を摘んでは小分けにし、背中のバックパックにしまう。そして、昼時になると沢水で土を落として器用に皮をむき、昼食の味噌汁の具にしたり、アイコやヤマウドの葉は天ぷらにしたりしてご馳走してくれる。

 マタギ衆は、冬場の猟で得たクマやシカの肉、毛皮、そして夏場のイワナの燻製などのほかに、安定した収入源として多くの山菜やキノコも重要な収穫物だった。なかでもゼンマイは、今でもかなりの収入になる。最近は、高齢化やクマの被害のため険しい場所へは行きたがらないが、過去には山中にゼンマイ小屋という仮小屋を建てて泊まり込む、専門のゼンマイ採りもおり、1シーズンで200~300万円も稼いだという。

谷地田さんと浅利さんは、春の渓流釣りでは山菜採集も楽しみのひとつだと言う。しかし、決して採りつくすことはなく、今日と明日食べる分だけだ。

「採ったゼンマイは、茹でてビニールシートを敷いて天日で干して手で揉むの。そうすると柔らかくなるから、米を入れる麻袋に入れて運ぶ。だいたい1kg3万円ぐらいかな。ゼンマイは、雪崩が起きた下にたくさん生えるから、冬に雪崩が起きたところの近くに泊まって雪解けを待つ。すると雪の下から、ゼンマイが顔を出すの」

 現代にも続くそうした山菜を採取する方法も、マタギたちが住む山間集落から伝えられ、逆に旅マタギたちが各地から持ち帰った食文化や技術と交じり、さらに各地へ広めていったのも旅マタギではないか? と谷地田さんは言う。

 そうした山村生活文化を日本各地へ伝播させたマタギの存在もそうだが、今回、谷地田さんと川を釣り歩いて気づいたのは、秋田で自然を相手にする人たちには、マタギ衆でいう“山達作法”の意識が根底にあることだった。山達とは、マタギ衆の猟の安全を願うためのさまざまなタブーや山の掟だが、その中には自然のサイクルを乱してならないという不文律もある。

 今回の渓流には、いたるところに山菜が溢れており、山菜採りの痕跡も随所に残っていた。しかし、必ず来年のため、後から来た人のために採りつくしてはいない。日本人は「天然のものを食べる」というすごい知恵を得たと同時に、“残して育む”という知恵も得たのだ。

 天然の渓流魚が減る今、欧米の釣り人たちから伝わったキャッチ&リリースの概念を日本の釣り人たちに浸透させるには、「魚がいつでも釣れる、居る」だけではなく、“みんなが食べられるように”という、分かち合う気持ちも必要かもしれない。

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