2018
01.26
Vol.58 ② 特集・鱸釣り賛歌
「有明海に生息する新種?“有明スズキ”の考察」より

太古へのロマンを秘めた有明スズキ釣行

文◎水田俊哉 写真◎知来 要 イラスト◎浩而魅諭

 昨年の夏、お盆前だった。午前8時だというのに、気温は摂氏34℃を超え、そよ風さえも吹かない。しかも、油を流したような鏡面の海には、木材や海藻、発泡スチロールの箱……まれに、サッカーボールも浮いている。
 2017年7月初旬に九州北部を襲った豪雨により、一時的に諫早湾の堤防排水門を開けた影響はすさまじく、「あれから1か月以上経っているけれど、浮遊物も多く、海の濁りが取れないんです」と、有明海の老舗遊漁船『浜繁丸』の船長は嘆いた。

特徴は、背ビレや側線上部に鱗より小さい黒斑が少数あり、成魚になっても体側に黒斑が存在している。中国産のタイリクスズキと日本産のスズキがここに生じた種間交雑に起源し、有明海の特殊な環境に適応した、極めて特異な集団と言われている。

「有明海に新種のスズキがいるのではないか?」と、研究者の間でささやかれ始めたのは、1985年頃。スズキやアカメ研究の第一人者である高知大学大学院・黒潮圏科学部門教授の木下泉氏が、有明海に生息するスズキの一部の稚魚は、普段研究のために採取する高知県の四万十川付近のスズキの稚魚とは、「どうも違うな」と思ったことがきっかけだった。
 その後、分子レベルのDNA解析など本格的な調査が進み、「種が違うわけではなく、中国大陸沿岸に生息するタイリクスズキと日本列島沿岸の普通のスズキの交配種ではないか」とされた。しかも、その交配された時期はかなり古い時代で、およそ7万年前に始まり1万年前に終了した最終氷河期に交雑が行われ、有明海に残ったのではないかというのだ。今回の有明海釣行は、その有明海産スズキ(以降:有明スズキ)を釣るためだった。

有明海は干満の差が大きく、遊漁船は桟橋からはるか沖に係留している。桟橋で潮が満ちるのを待って乗船し、逆に潮が満ちないと下船できないので、おのずと釣行時間は長くなる。

 有明海は九州北西部にあり、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県にまたがる広大な湾だ。日本の湾の中でも干満の大きさ、流入河川の多さ、海水の塩分濃度の変化が著しいことで有名だ。なかでも潮の干満差は、湾口の水道である早崎瀬戸で平均3~4m、湾奥の大浦港(佐賀県太良町)で平均5mとなり、最大で約6mにも達するという。
 また、干潟の広さは大潮の干潮時で約188平方キロメートルにまで達し、日本全体の干潟の約4割に相当する。今回、出船した鹿島市などには、広大な干潟を利用した公園があり、春から秋にかけて泥遊びを楽しむこともでき、『鹿島ガタリンピック』という、泥んこ運動会も開催されているほどだ。

鹿島市七浦の干潟に隣接する海浜公園では、ムツゴロウ漁師の伝統的釣法の実演も見ることができる。ムツゴロウも中国大陸とつながっていた頃からの大陸遺存種だ。

 そうした特異な環境を持つ有明海は、更新世の氷河期には、中国大陸の黄海、渤海、東シナ海沿岸へと続く、広大な干潟の一部だったと考えられている。このとき中国大陸の干潟に分布していたムツゴロウやウラスボなどの変わった魚類も、“大陸遺存種”として有明海にも分布するようになった。そして、その後の海面上昇により、約1万年前にこの干潟が分断されたが、筑後川をはじめとした大規模河川からの流入が保たれたことで、干潟と固有の生物も維持されたという。有明スズキもそうした中国大陸からの遺存種というのが有力な説だ。
 有明スズキの見た目の大きな特徴は、成魚になっても体側に黒斑点があることだ。今回、その斑点を確認し、水中でのありのままの姿を写真に収めるために、船首にしつらえた日除けの天幕の下には、横幅1mあまりの大きな水槽まで運び込んでいた。

有明海でスズキ釣りに使用した体長7~8cmほどの活きシラサエビ。関東でもスズキ釣りには活きエビが使われる。仕掛けは、胴付き2本針で活きエビ頭部の殻付近に針を差し込む。

「釣れませんね、暑いですね。でも生き餌のシラサエビは、ピンピンしていますよ」と、カメラマンの知来さんは、シラサエビを小さな水槽に移しシャッターきりながら、ぼそっとつぶやく。アタリのないまま時間は刻々と進み、気温もぐんぐんと上がっている。船長は濁りのない海を求めて船を走らせ、船が走ることで涼が得られホッとするという、船上の釣り人の矛盾というか悪循環に至っていた。
 佐賀県の鹿島市側から出船した浜茂丸は、有明海を横切り、長崎県側の諫早湾近くまでやってきていた。諫早湾側の濁った海水はすでに沖に流され、諫早湾の堤防排水門付近の海水は、本来の色を取り戻していた。最初の一匹は、午前9時半頃。その澄んだ海水から、フッコサイズのスズキが猛然とアタックしてきたのだ。
 水深は25mほどと浅く潮流も遅いため、胴付き2本針仕掛けで25号の六角オモリ、ハリスはフロロカーボンの4号3mという軽い仕掛けだ。要領を試されるのは、針先にエビの生餌を付ける点だ。活きエビ餌の付け方もいろいろあるが、有明海のスズキ釣りでは、エビの頭胸甲の頭部の殻のみを刺す。深く刺すとエラの内側の脳を傷つけ、早く死んでしまうので注意が必要だが、船長は「この付け方は、エビが水中で泳いでくれてアピール度が高い付け方です。ただし、雑に投入すると殻が割れて針が外れてしまうので、投入や回収は丁寧にが基本です」と言う。

2017年7月の記録的な豪雨と8月初旬の台風の影響で、かなり濁っていた。そのため大型のスズキの食いはイマイチ。セイゴサイズが数本釣れたが、どれも有明スズキの特徴である体側の黒い斑点は見られなかった。

 この日は潮の動きが良く、一度アタリが出だすと40~50㎝程度のフッコサイズが次々に上がってくる。しかし、どのフッコも黒い斑点は背ビレのみで、体側に散らばるはっきりした斑点は見受けられない。
 およそ7万年前に始まり1万年前に終了した大きな時間軸の中で交雑し、今に残る“有明スズキを釣る”というロマンは、残念ながら次回におあずけとなった。ただ、有明海でスズキを釣るなかで気づいたこともある。それは、汽水域でも淡水域でも柔軟に生きることができる、スズキという魚の種としての多様性と生命力だ。汽水域や淡水域には、人々の暮らしが直接影響を及ぼす。そうした逆況でもへこたれず生育するたくましさが、この魚にはある。
 古い文献にも登場し、昔から日本人の暮らしに溶け込んできた背景には、そんなスズキの強気で柔軟な生き方があるのだろう。

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