2020
03.13
Vol.64 ④ 茅ケ崎市『開高健記念館』探訪記
特集「開高 健の釣りと旅」
「“悠々として釣り急いだ” 作家・開高健の珠玉しゅぎょくの釣り人生」番外編

「入ってきて人生と叫び 出ていって死と叫ぶ」(『夏の闇』より)

取材・文◎保先春輝 写真◎隈 良夫

≪仕事をつくって、そこにたれこめ、もっぱら自炊にたよって暮らしはじめてから若干になる。一年たったとか、二年たったとか、年でかぞえるよりは月でかぞえたほうが早いぐらいの時間しかたっていないから、“若干”である。(中略)
 仕事にいきづまって朦朧(もうろう)となりながらも気力と体力にゆとりがあるとき、台所にもぐりこんで妙な料理をこしらえたり、皿を洗ったりするのは気散じにいいものであることがわかった。これまで私は腕の上下はともかくとして、とにかく“プロ”のつくったものを食べるだけですごしてきた。そしてその味がいいの、わるいの、ワカッているの、いないのと、批判を下すことですごしてきた。つまり、ある国文学雑誌の誌題を借りて申すと、“解釈と鑑賞”にふけってすごしてきたのである。(中略)自分で台所にたって火にフライパンをかけたり、また、食べたあとでそれを洗ったりなどということは、思いもよらぬことだった。ましてや、ショッピング・カーをおしてスーパーへいったり、魚屋や八百屋の店さきで、あくまでも自分が料理するものとして光沢や艶の観察にふけるなどということは一度もしたことがなかった。≫(『開高閉口』新潮文庫)

神奈川県茅ヶ崎市のラチエン道り沿いにある、モダンな建築様式の『開高健記念館』。開高健の夫人である牧羊子さんが亡くなられた後、遺産継承者である夫人の妹さんが土地建物を茅ヶ崎市に寄贈。管理を茅ヶ崎市が行い、開高健記念会が茅ヶ崎市から受託して運営している。

 神奈川県茅ヶ崎市出身のミュージシャン、桑田佳祐が『チャコの海岸物語』を歌い、一躍全国的にその名が知れ渡った烏帽子岩(えぼしいわ)。沖合1200m付近にあるその無人岩礁群が、海上にくっきりと見えていた。やがて相模湾沿岸を走る国道134号線から国道1号線へと抜けるラチエン通りに入ると、辺りは閑静な住宅街となる。その住宅街の小高い丘の上に『開高健記念館』はある。
 開高健が昭和49(1974)年に東京都杉並区から移り住み、平成元(1989)年に亡くなるまで活動の拠点にした終の住みかである。冒頭の引用を読むかぎり開高健は、茅ヶ崎市東海岸南のこの閑静な住宅街の一角に居を構えてから、そこでの暮らしにささやかな喜びと新たな発見を見出していたようだ。

邸内の一部吹き抜けリビングはトナカイの剥製が見下ろす常設展示場となっている。
モニターでは開高健の講演VTRやテレビ番組が流れ、昭和の風雲児といえる開高健の外郭がわかるよう配慮されている。

 記念館に隣接する『茅ヶ崎ゆかりの人物館』と共有する駐車場に車を止め、前方を見上げる。三角屋根に白い壁が映えるモダンな一軒家が目に飛び込み、その入口には「入ってきて人生と叫び 出ていって死と叫ぶ」と刻まれた、大きな石碑が建っていた。
 この言葉は『夏の闇』の最終章で、主人公と女性が東西ベルリンにまたがって走る高架電車に乗り、西と東を行ったり来たりするシーンに出てくる言葉だ。東はソ連軍が侵攻しつつあるプラハ、西は戦火のサイゴン。どちらも状況としてはよくないどころか最悪だ。開高健がこの言葉をサインに添えるようになったのは、戦禍のベトナムから帰国してからだという。朝日新聞特派員としてベトナムへ赴いて以降、開高健の死生観が大きく揺れ動いていたのが手に取るようにわかる。
 その言葉に思いを馳せながら石畳のファサードを抜け扉を開けると、トナカイの剥製が宙を見上げる明るい吹き抜けのリビングに出た。そこは昭和の初期に生まれ平成の幕開けとともにこの世を去り、昭和史とほぼ重なるように生きた開高健の58年間にわたる生涯を振り返る常設展示場となっている。
 同人誌に執筆しながらサントリーのコピーライターとして生きた時代、文壇にデビューし芥川賞を受賞した時代。その後、ベトナムから帰国し茅ヶ崎で過ごした生活の様子など、それぞれの時代における活動をコーナーごとに区分けし、各時代で執筆された代表的な作品が展示されている。

まるでホテルのバーのような企画展示コーナーは、関連する書籍や遺された品々を用いて、毎回テーマを決めながら構成されており、一定期間ごとに更新される。

 さらに奥へ進むと企画展示のコーナーに出た。案内していただいた開高健記念会事務局長の森敬子さんは、「開高先生は小説だけではなく、ルポルタージュや紀行文、エッセイ、そして広告コピーなど、一人で何でもこなす人でした。しかもそのレベルがすべて高いので、常に新鮮な感動を与え続けたのだと思います。何度も企画展を行っているのですが、企画内容に困るということがないんです。それも開高先生のすごさだと思います」と話す。
 文筆家でありながら多彩な趣味人として、常に変貌し続けた開高健の作品や直筆原稿。そして、愛飲していたシングルモルトやウォッカ、ジン、ワインなど、おびただしい酒瓶に溢れたこのコーナーは、毎回テーマを決めながら構成しているという。

パイプの煙を漂わせ、ウイスキーを飲みながら小説や旅の構想を練った書斎。卓上には愛用のモンブラン万年筆のインクの瓶とまっさらな原稿用紙が置かれている。

 そして、記念館のハイライトは、やはり開高健の書斎だろう。増築されたところにあるため、一旦母屋の外に出てからエントリーするのだが、書斎にはキッチンからバス、トイレまで備え、開高健の暮らしがリアルに感じられるのだ。
 座卓の横にはラジカセがあり、本棚には資料の本が並び、卓上には今書き出さんばかりに白紙の原稿用紙が置かれている。そして、壁一面に世界を駆け巡り釣り上げたキングサーモンやイトウ、マスキーなど、巨大な魚の剥製が飾られている。在りし日のままに遺された剥製やルアーの一つ一つを目で追っていくと、過去に読んだ作品の情景が脳裏に蘇り、開高健の息遣いまで聞こえてくるようだ。

開高健が『フィッシュ・オン』の旅で釣り上げたキングサーモンの剥製。
「巨大。剛力。剽悍。聡明。それがキングサーモンである。そういう魚である。川の王である」(『フィッシュ・オン』朝日新聞社より)
『オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇』の旅で、苦労して釣り上げたイトウの剥製。
「イトウの棲む河はヨーロッパのダニューヴをのぞけば、あとは東北アジアだけだ。中国の東北地方とシベリヤよ。朝鮮半島北部にも少しいるし、樺太にもいる」(『オーパ、オーパ!! 中央アジアの草原にて』集英社より)

 開高健は『輝ける闇』(新潮社文庫)のなかで、こう書いている。
「(作家にとって)使命は時間がたつと解釈がかわってしまう。だけど匂いはかわりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。(中略)匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです」と。
 開高健が述べた「匂い」が「核心」や「普遍的な真実」と解釈すれば、この書斎には没後30年経てもなお、開高健の匂いがプンプンと漂う。そして、彼を慕う多くの人々の手によって、開高健の真実が今も面影をとどめているのだ。

開高健記念館

所在地:神奈川県茅ケ崎市東海岸南6-6-64
Tel & Fax:0467-87-0567
開館日:毎週、金・土・日曜日の3日間と祝祭日。年末年始(12月29日~1月3日)は休館
開館時間:4月~10月/午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで) 11月~3月/午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
http://kaiko.jp/kinenkan/

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