2017
07.21
Vol.56 後篇
特集 『加賀百万石の“釣り心・魚心” 』
質実剛健な用の美「百万石の物づくり」

質実剛健な用の美「百万石の物づくり」

文◎水田俊哉 写真◎望月 仁、狩野イサム

加賀竿を作る手道具。道具それ自体も特注で作ってもらっているという。

 金沢駅から南西方向へ車で20分ほど走ると、静かな住宅地の中に石川県の伝統工芸である加賀竿の唯一の職人、中村滋氏の住居兼工房がある。周囲の住宅に比べて大きな日本家屋だが、工房は住居の2階部分にあり決して広くはない。しかし工房内には、さまざまな竿作りの道具が整理整頓され、一見するだけで中村氏の実直な物づくりの姿勢がうかがえる。

「竹は人間と同じで、1本1本性格がすべて違います。真っすぐな竹もあれば、曲がっている竹もある。身が太いものや薄い竹もあります。そして、太いのですが弱いものもあれば、見た目には薄いけれど非常に強いものもあります。ですから竿作りで一番難しいのは、素材選びだと思います」と、中村氏は言う。

加賀竿唯一の職人の中村 滋(なかむらしげる)氏。1957年生まれ。武士のアユ釣りに用いられてきた竿の世界に魅せられ、教員を退職して加賀竿づくりに挑戦。アユ竿以外にもテンカラやフライ、ルアー竿など、加賀竿の特性を生かした竿のバリエーションには、目を見張るものがある。

 加賀竿の職人は、昭和30年代には60人以上いたが、ここ10数年の間に後継者はなく、そのため技術の伝承が危ぶまれていた。しかし、加賀竿に魅せられ趣味の竿作りを土台に、引退した加賀竿職人の元で技術を学び、本業である教員を辞して後継者となったのが中村氏だ。

 素材の性格は、切断しただけではわからず火を入れてみてはじめて、竹本来の性格がはっきりとわかる。それは火を入れることで、繊維が締まるからだ。

「私の場合、素材の段階で7~8割の性格を見抜き、残りの2~3割は、火を入れてから判断します。曲がりのある竹は、火を入れて真っすぐにするのですが、また曲がりが出たり、素材の時は真っすぐなのに、火を入れると曲がってしまう、ということもあります。そういうところが、ほんとうに難しい。

 長く教員を務めていたから感じるのですが、第一印象では判断できず、最初は少し引っ込み思案だなと思っていた生徒が、予想以上にリーダーシップを発揮したりする。竹も人間もとことん付き合わなければ、その本質を理解することはできないということです」

和竿は実際に使って、愛でてほしい。使って手入れをすることで、どんどん良くなるのが特徴だという。

 加賀竿とは、限定的に言えば金沢産のアユ毛鉤竿(ドブ釣り用竿)とテンカラ竿を指し、広域的には金沢産の竹素材の釣り竿を指す。

 特徴としては、竿の丈夫さを確保するために実入りの良い真竹、女竹、矢竹、布袋竹、丸節竹などの古竹を組み合わせて設計されている。古竹は、表皮に傷がついているものが多いため、皮を剥いで磨き、その上に絹糸を巻き漆で塗る“段巻き”を施す。段巻きは、竿の割れを防ぐとともに、長尺竿の欠点である同調子を防ぎ、竹の曲がり具合を調整する役割がある。また、接着剤やパテなどの化学素材を一切使わず、最初から最後まで麦漆や錆漆などの漆を使用しているのも大きな特徴だ。

「加賀竿の堅牢さの要素は、まず『火入れ』、そして『段巻き』、最後に『口巻き』にあります。口巻きは、竿を継ぐ一番弱い部分である玉口に太めの絹糸を巻いて強く固め、その上に銀を置いて漆を塗って止めます。そういった技術で強度を得ているのが、堅牢さの秘密のひとつです。

 加賀竿が江戸和竿よりゴツイとされるのは、部分、部分をその都度補強してあるからです。和竿の多くは、すべて同じ太さの糸を使いますが、加賀竿は細い糸、太い糸など適材適所に糸の太さを変えて、漆を塗り重ねて強くしています。そこが違うところです。江戸和竿のようにスマートではないのですが、地方竿独特の味わいがあります」と中村さんは加賀竿の魅力を語り、武士の鍛錬のために釣りを奨励した加賀藩の意図は、加賀竿のそういった堅牢さにも表れているという。

工房で鋼を鍛造する『ふくべ鍛冶』3代目の干場勝治氏と4代目の健太郎氏。松枯れ病の被害が及んでいない能登半島では、まだ松炭が手に入る。松炭は火床のデリケートな温度調節が可能で、鋼の状態を正確に管理できるという。

 今回の加賀特集のなかで、物づくりにスポットを当てた記事には、この加賀竿の他に、能登半島に唯一残る創業明治41年の『ふくべ鍛冶』という鍛冶刃物がある。

 石川県で刃物と言えば、金沢市から真南へ15キロほど下った鶴来町の鶴来刃物が有名で、江戸時代には加賀藩御用鍛治を務めた「刀工一鉄」も輩出したほどだ。しかし、鶴来町は白山麓と平野部との間にあり、農耕用や山林用の刃物制作が主であったため、機械化が進み手作業が減った今では、鶴来刃物の鍛冶屋集積地には、職人が一人もいないという。それに対して『ふくべ鍛冶』は、そうした全国的な知名度は低いが、金床や材料を馬車に積み各集落へ赴き、そこで農家の土間を1週間ほど借りて、農具や漁具の修理などを請け負い、仕事を終えると次の集落に移るといった移動形式の「入れ鍛冶」から始まり、現在も奥能登の能登町宇出津で、地域に密着した物づくりを実践している。

奥能登と呼ばれる能登町宇出津の通りに面した店内には、農業や漁業に関わる道具がぎっしりと並ぶ。『ふくべ鍛冶』fukubekaji.jp/about.html

「能登には海も山もあることで、それぞれの仕事で刃物づくりが求められ、鍛冶刃物が長らく成り立ってきたのだと思います。さらに漁師さんの悩みが山の道具の利点で解決できたり、農家さんの悩みが海の道具を使うことで解決できたりすることも多いのです。例えば、農具の悩みは切れ味です。通常、鍬には強い刃付けはしないのが常識です。しかし、私たちは鍬に刃を付けて、包丁のように焼き入れをしています。耕したときに土中に隠れている木の根を切ることができ、格段に農作業の効率が上がるのです。漁師の刃物の切れ味を、農具に応用したわけです。海と山の道具の問題点が、お互いの知恵で解決できる。この土地にいると、それがわかってきます」と、『ふくべ鍛冶』4代目の干場健太郎氏は語る。

漁業や山仕事、農業など、あらゆるシーンで使用できる万能刃物「マキリ」。奥能登のでは、一家に一本は必ずあるという。

『ふくべ鍛冶』の店舗には、そうした海と山の刃物が所狭しと並べられており、そのなかで目を引いたのは、本誌56号でメイン写真となっている“マキリ”という刃物だ。

 マキリは、もともとアイヌ民族の言葉で「小刀」を意味し、北海道以外でも一般的には主に漁や狩猟に用いる小型の合口様式の刃物を指す。また、能登半島の内浦は、江戸時代の北前船の風待ちや中継地にも利用されており、北海道方面からその北前船を介して、能登にもマキリが広まったと言われている。

『ふくべ鍛冶』のマキリは、片刃で刃はさほど厚くなく、砥石で研げば簡単に切れ味が戻る。漁師が網仕事をする時にはロープを切り、釣った魚の腹を開けて刺身も作る。普通の家庭でも、刺身用に使ったりしているという。

 シンプルだが味わいがあり、石器時代の刃物である尖頭器のようなフォルムを見ていると、釣り人ならずとも手にしたくなるような、他の刃物とは一線を画す存在感を放っていた。

 また、『ふくべ鍛冶』のマキリは、地鉄部分に古い和鉄を使っているのが特徴だ。100年以上前に蔵の窓枠などに使われた鉄部分を、鍛造し直したものだ。江戸期までの鉄は不純物が少なくサビにくく、独特の研ぎ感がある。鋼部分は、刃物に非常に適した鋼材として評価の高い安来鋼(やすきはがね)を使っており、その二つの鋼材を合わせて使うことで、切れ味と粘りを両立しているという。そうしたこだわりの品質が評判を呼び、全国から注文が集まり、マキリを手に入れるためには、現在半年ほど待たねばならない状態だという。

 今回、「加賀竿」と「鍛治刃物」を取材したなかで感じたのは、質実剛健の中に潜む「用の美」ともいうべき物づくりがなされていた点だ。「堅牢性と使い勝手」、地勢的に京都の流れをくむ「美」に対するこだわり。こうした物づくりのエッセンスも、加賀独自の釣り文化を支えている大きな要素のひとつになっているのではないだろうか。

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