2015
10.09
Vol.51 前篇
特集「九州北部海域“灘”から生まれた釣り」長崎取材篇より

文◎本誌編集部 写真◎知来 要

グラバー図譜の取材で出会った長崎大学のサメ先生

グラバー図譜を作った倉場富三郎(1870-1945) 英名: Thomas Albert Glover (写真・長崎県立図書館蔵)

グラバー図譜を作った倉場富三郎(1870-1945) 英名: Thomas Albert Glover (写真・長崎県立図書館蔵)

『Fishing Café』本誌を読まれた方は、ご存知かと思うが、細密な魚類図鑑として知られるグラバー図譜の正式名称は『Fishes of Southern and Western Japan 日本西部及び南部魚類図譜』。江戸末期から明治期にかけて貿易商として活躍したトーマス・ブレイク・グラバー(長崎の観光名所となっているグラバー邸・初代の主)と長崎在住の母、ツルさんとの間に1870年(明治3年)に生まれた倉場富三郎(英名:トーマス・アルバート・グラバー)が、明治末から昭和初期の約25年間の間に編纂したものだ。図譜に収録された魚類は、天草灘、五島灘、玄界灘より釣り上げられたものを、当時、一流の日本画家たちの手によって描かれ、魚類800図、全32集から構成されている。日本の魚類学全体の礎となった貴重な魚類図鑑であり、美術品としての価値も高い。
 現在、グラバー図譜の原画は長崎大学付属図書館が所蔵しており、その研究も長崎大学で行ってきたという経緯がある。

長崎大学大学院 水産・環境科学総合研究科教授の山口敦子さん

長崎大学大学院 水産・環境科学総合研究科教授の山口敦子さん

 今回、本誌の特集「九州北部海域“灘”から生まれた釣り」を制作するにあたり、日本が近代化を歩み出した当時の海の様子を知る手掛かりのひとつとして、まず、長崎大学でグラバー図譜に詳しい水産・環境科学総合研究科教授の山口敦子教授を訪ねた。グラバー図譜の話は本誌に任せるとして、およそ水産学者とは思えない、とてもチャーミングな山口教授の第一声は、「私、サメ釣りが大好きなんです」という驚きの発言だった。
 山口教授の専門の研究テーマはサメの資源活用だという。サメは捕獲されても、中華料理食材のフカヒレやサメ皮など、一部のサメの部分的にしか利用されず、漁師の釣り針に掛かっても網に入ってもほとんどは廃棄されている。「それは非常にもったいない、サメはサメとして立派な生き物であると同時に、人の生活に役立ってくれる大切なもの」という見解だ。
 そして「なにしろサメの肉は美味しいんです」と、はっきりと言う。沖縄南西諸島の島々では一般に食されていたというが、それ以外の地域では食卓にサメ料理が出されることはない。
 ところが、調理や加工方法でかなり高いレベルの食材になり、余すことなく利用できる。その効率的な活用法や資源量の受給のバランス、生態も含め、総括的にサメの研究を行っているという。

ご自身で釣った巨大サメの顎の骨を持つ山口教授。

ご自身で釣った巨大サメの顎の骨を持つ山口教授。

 また、釣り人なら聞き捨てならない話が「サメ釣り」。大物釣りのなかでも、かなり刺激的な釣りで、山口教授自らシャーク・フィッシャーだという。年に何度も研究素材となるさまざまなサメを捕獲するために、漁師さんと一緒に何日も船の上でサメ釣りに出かける。しかも、船上での行動やサメ釣り技術も含めて、漁師さんたちから一目置かれる存在だ。
 サメ釣りの醍醐味やその面白さなど細かな話は割愛するが、山口教授の話を聞くうちにサメ釣りとサメ料理にどんどん引き込まれてしまった。

ひっそりと軒を並べる魚市場の幻影

 長崎の坂本国際墓地にはグラバー家のお墓があり、手前が倉場富 三郎のお墓。

長崎の坂本国際墓地にはグラバー家のお墓があり、手前が倉場富三郎のお墓。

 周知のように長崎県は古くからの国際都市だ。その名残として、長崎新地に中華街あり、洋館ありと、観光スポットに事欠かない。グラバー図譜を作った倉場富三郎の墓も父のトーマス・ブレイク・グラバー夫妻とともに、長崎・坂本国際墓地(北ブロック)にある。そういった周辺取材も含め長崎市内の各所を訪ねたのだが、そのなかで印象に残ったのは、バス停で言うと思案橋から観光通り方面へ向かう路地裏の市場。
「えっ? こんな場所に市場が?」と驚いてしまうほど歓楽街の中心部にあり、正式名称は「銅座市場」。戦後の動乱のなか昭和26年から続いている老舗市場であり、現在も全店舗が開けば約40近く店が並んでいる、ちょっとしたスポットだ。

店じまいの銅座市場。写真のような小路地が続く。

店じまいの銅座市場。写真のような小路地が続く。

場所柄から、ちいさな小料理屋などを得意先とする青果店、乾物店などもあり、専門の料理人がいないお店で出すように考えられた、おつまみ用の鮮魚セットを売る鮮魚店、飲食店に勤める女性を常連さんに持つ靴の修理屋さんまであること。

店先に並ぶタチウオの平均サイズがこれ。軽々と大人の手のひらサイズを越えている。

店先に並ぶタチウオの平均サイズがこれ。軽々と大人の手のひらサイズを越えている。

 飲食店向けに、一般の小売店とは品揃えの異なる店舗も興味を持ったが、やはり圧倒的に目を奪われたのは多くの鮮魚店。マダイやレンコダイ、アマダイや沿岸物のブリ、マグロ、カツオ、サバなどはもちろんのこと、ウチワエビやマトウダイ、長崎の家庭料理には欠かせない自家製蒲鉾用に大きなエソまで並んでいる。そんな軒先に並べられた名前も知らない、見たこともない色とりどりの魚たちを眺めていると、100年以上も前にグラバー図譜を作った倉場富三郎が、当時、自らが起こした日本初のトロール漁船会社の水揚げを日常的に見ていて、長崎周辺の豊饒で奇抜な魚類を後世に図譜として残そうと考えたことは、想像に難しくない。

鮮魚店の前には揚げ物屋さんがあり、主に飲食店からの注文に応じる商売だという。

鮮魚店の前には揚げ物屋さんがあり、主に飲食店からの注文に応じる商売だという。

 ふんだんに盛られた氷の山の上で、タングステンの赤い裸電球に照らせれ、はっきりと濃い陰影を作る、みずみずしく光を放つ魚介類。戦後昭和のノスタルジックな面影を今に残す銅座市場にたたずむと、北部九州沿岸の生命の豊かさ、その豊かさによって支えられてきた長崎の人々の暮らしが見えてくる。そして、今回の取材のキーポイントとなったグラバー図譜の貴重性とその意味、そこに描かれた魚類一匹いっぴきに、ある種の親愛と尊厳を感じずにはいられなかった。