2017
03.24
Vol.55 後篇 連載企画『岡田美里の旅路にて釣り候』
「長野県開田高原、初めてのテンカラ」より

テンカラ先生、石垣尚男先生の指導で美里さん初のヤマトイワナ

文◎本誌編集部 写真◎狩野イサム

 旧中山道の関所の町として、その当時の趣が残る木曽福島。その木曽福島から距離にして20キロほど北西に、岡田美里さんが今回初めてテンカラに挑戦した開田高原がある。
 開田高原は、標高3000mを超える雄大な御嶽山の麓、標高1100~1300mに広がる、真夏でも平均気温が18℃という爽やかな空気に全身が包まれる場所だ。そして、御嶽山から流れ出るいくつもの木曽川の支流には、イワナ、アマゴがおり、渓流釣り好きがそれぞれの好ポイントを見つけては、釣りを存分に楽しむ一級の渓流釣り場が点在する。
 木曽福島から開田高原方面へ、車を使い国道361号線を走ると、木曽ヒノキの森やこぢんまりとした別荘が点在し、さらに進むとまさに日本のふるさとを感じる懐かしい農村風景に出会える。

写真はソバの花。開田高原のそば粉は、味、質ともに日本有数のブランド品。木曽川水系の蕎麦文化を支えている。

 標高が上がるにつれ、樹林帯もヒノキの森からカバノキなど落葉樹の森に変わり、森と森との間には、白い可憐な花を咲かせるソバ畑が広がる。木曽福島名物の手打ち蕎麦の原料の多くは、開田高原産だという。また、江戸時代の荷役を担った木曽馬を育てていたのもこの地域で、今でも約50haを誇る「木曽馬の里」では、数少なくなった木曽馬が守り育てられ、自然の中で木曽馬と人が触れあえる希少な場所でもある。
 その開田高原で“テンカラ大王”こと、テンカラの第一人者、愛知工業大学教授の石垣尚男先生の指導で美里さんのテンカラ初挑戦は、2日間にわたり行われた。

忍び足でポイントに近づきヒュッと投げる。高原らしい真っ青な空をバックにキャスティングする美里さん。

 初日、「ヒュッと投げて、パッと釣る。テンカラは、難しく考えないことが肝心です」と、初めてのテンカラに不安げな表情を見せる美里さんに対して、石垣先生は優しい言葉をかける。
 8月も後半になると標高1000mを超える河原には、トンボの姿も見え始めていた。その晴れ渡った空を切るように美里さんは、石垣先生の指導を受けながら、キャスティングを繰り返す。しかし、フライフィッシングの経験はある美里さんだが、テンカラの軽いレベルラインに少々苦戦。それでも30分もすると、石垣先生が指すポイントへ、見事に毛鉤を落とすことができるようになった。
 美里さんののみ込みの早さにも驚くが、体育の専門である石垣先生の的確な指導もさすがである。フライラインはある程度重さがあり、腕の振りのスピードとロッドの“止め”が要求される。美里さんもフライの経験から、自然とそうした癖が出てしまい、腕全体に力が入りがちだったのだが、石垣先生は何しろ“力を抜く”ことにキャスティングの力点を置いて指導していた。
「テンカラのキャスティングには、力は必要ありません。逆に力を入れるとロッドだけが先行しロッドの反発力を利用できず、ラインが伸びないのです」と石垣先生は言う。
 その話を聞いた美里さんは、「こうですか?」と、軽くバックキャストをはじめちょうど時計の針の12時でロッドを止め、ロッドを軽く伏せるようにフォワードキャストに移る。するとそれまで失速気味だったラインが、ポイントへ向かって気持ちよく、ス―ッと伸びていくのだ。それをきっかけに、美里さんは完全にキャスティングをものにしてしまった。

通り雨の後の釣り。川面を靄が包んだ幻想的な風景が広がるなかで、「意識を集中させ過ぎて、一点を凝視するのもよくないし、集中力散漫もいけない」と、無駄な力が抜けてきた美里さん。

 しかし、キャスティングはものにしたが、最初の2時間は手ごたえがなく、その後、昼食をはさんで違う川へ足を延ばすが、いわゆるゲリラ豪雨の小型版にも見舞われ、川のコンディションが安定しない。
 雨が上がるのを待ちロッドを振るが、その川でも魚は釣れず、「場所を変えましょう。さっきの雨で、そろそろ魚も目を覚ましますよ」と、石垣先生が励ましの声をかけた。
 次に移動した川でも、美里さんは先生の指さす方向へ意識を集中して、キャスティングを繰り返す。そして、堰堤の落ち込みから数メートル手前の流れがゆるい瀬に毛鉤が落ち、その毛鉤が微妙に揺れてこちら側に流れ出した瞬間に魚が飛び出し、ロッドを大きくしならせる。
 ところが、美里さんはここからが大慌て。強く合わせたために勢い余った魚は宙を飛び、その飛んでいる魚をネットに収めるという、曲芸のようなランディングを披露。ネットの中をのぞいてみれば、朱点が浮き上がった美しいヤマトイワナだった。

テンカラで初めてのイワナをキャッチする美里さん。投げて、合わせて、ランディングする一連の動作をここでマスター。

「それまで散々狙っても全然釣れなかったので、正直“釣ろう”という意識も薄らぎ始めたところ、先生が『あそこの豆腐を狙って』とおっしゃいました。堰堤の四角いところを“豆腐”と言うのですね。その豆腐の手前にキャストして、2、3度枝に引っかかったのですが(笑)、先生が『こういうときは川の真ん中に入って、真ん中から上流に向かってキャストするといいです』と教えてくださいました。そう言われて、その通りにポンとやったらポンと釣れたのです」と、念願のテンカラ1尾目を釣った美里さんは、嬉しそうに言う。
 初日の釣りは、6時間余り。そのわずかななかで、晴れ、曇り、雨、豪雨、そして美しい夕陽と、すべての天候が凝縮され、雨が降った後の川面に浮かぶ神秘的な靄など、ドラマチックな天候の変化も感じられる一日となった。

写真右はテンカラ先生こと愛知工業大学教授の石垣尚男先生。写真右はヤマトイワナを手に微笑む美里さん。

「川を歩きながら、こうした自然風景に出会えることも、そのなかで釣りを楽しめることも、渓流釣りの醍醐味ですね。急な豪雨の中で岩の隙間で雨宿りをしていて、雨が止むまで何もできないので、逆に『何もしなくていいんだ』とホッとしたり、『雨が止むまでどれくらいかかるのかな』と考えたり、雨粒の大きさを観察したり……。とくに今日の雨は粒が大きかったから、観察のしがいがありました」と美里さん。
 そして同じ毛鉤釣りでもテンカラは、フライフィッシングと比べて、軽いレベルラインのキャスティングのため少々てこずったが、魚を掛けてからのダイレクトな手ごたえは、なんとも形容しがたい。さらに道具も動作もシンプルなことに驚きを覚え、そうしたいろいろな要素を省いた釣りであるぶん、普段より川の自然が良く見えてきたような気がしたと、その後数匹のヤマトイワナを釣り上げた美里さんは、今回のテンカラ初体験の感想を語ってくれた。

岡田美里(おかだみり)

1961年東京生まれ。6歳で父、E・H・エリックとCMに出演して以来、16歳でモデルとして本格的にデビュー。その後、モデルやTVキャスター、女優として活躍。1992~1994年の調査で「婦人女性誌の表紙を最も多く飾った女性」となる。その後1998年からはLOHAS的な総合スクール『アトリエミリミリ』を設立し、自らもパンの講師として活躍。2006年にはデンマーク王室御用達紅茶店の凱旋店コーディネーターとして参加。日本紅茶協会名誉ティーインストラクターに就任。2016年から『ハウスオブアンバー』のブランドディレクターとなり北欧と日本を結ぶアンバサダー的存在となる。

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