2019
03.29
Vol.61 ⑤
山本素石の名作が生まれた伝説の宿に泊まり、日高川源流を釣る
特集・釣りと宿を廻る5つの物語
「釣り宿・其ノ4 和歌山県龍神温泉『上御殿』」より

徳川頼宣公の湯治のために建てられた御宿『上御殿』

取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎磯貝英也

 和歌山県の日高川、その最上流域にある龍神温泉郷の開湯は約1300年前とされ、江戸時代初期(1657年)に当時の紀州藩主である徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が、龍神温泉への湯治に訪れるために建てられた御宿が『上御殿』だ。そして現当主は、源頼政の5男より数えて29代目にあたり、820年続く家系でもある。
 釣り文学の雄である作家・山本素石の傑作『ねずてん』の舞台となったのも、この龍神温泉と日高川の渓流だ。
 そこで、釣り古書研究の第一人者である松林眞弘氏が、今年で生誕百年を迎える山本素石の痕跡を探りながら、薬湯を楽しみアマゴの釣りに興じた。

ダム開発が進む以前の戦前の日高川では、山で切り出した材木で筏を組み、材木を運搬する筏師の姿が多くみられたという。現在は広葉樹が川を覆っており、アマゴ以外にもアユ釣りの名川として知られている。

「あ~、骨まで溶けますわ」と、湯殿に浸かった松林さんの極楽の悲鳴が聞こえてくる。
「山本素石御大が、ここへ足繁く通った理由がよくわかります。そして、紀州のお殿様が200年近く自分たち専用の湯にした理由も、もっとよくわかります。このぬるぬるした湯触りがたまりませんね」と、日中のアマゴ釣りの疲れを上御殿の湯で癒している。
 この日松林さんは、自宅の畑から集めたシマミミズをしたため淡路島洲本を早朝に出発。和歌山県の日高川上流まで車を走らせ、昼前からアマゴ釣りに励んでいた。
 6.1mの先調子の渓流竿を握り、木陰が広がる流心の向こう側へ餌を振り込んでいる。しかし、関西に大雨をもたらしたその余波が日高川源流にも及び、白濁した流れはまるで雪代のようだ。どうひいき目に見ても、大きな期待は寄せられない。
「濁りにはミミズと言いますが、うちの野菜畑から選りすぐってきたシマミミズは、どれだけ頑張ってくれるのか。でも、信じましょう」と言いながら、根気よく仕掛けを振り込んでは、上流へと移動を重ねている。やがて目印に微妙なアタリが見えた。しかし、アワセを入れても空振りが続く。そこでひと呼吸おいて、ゆっくりとしたアワセに変えてみると、銀ピカのウグイが掛かってきた。

濁り水に半信半疑で仕掛けを振り込む。そうこうして、待って、待って魚に任せ、むこうアワセで竿を上げてみれば、銀ピカのウグイ。

「ウグイでは、さすがに素石さんに笑われます」と松林さん。しかし、ウグイの猛攻は続き、半ばアマゴをあきらめかけた瞬間だった。松林さんが器用に上流の小さな反転流に餌を差し込むと、いきなり竿が根元から曲がった。釣り上げてみれば、丸いパーマークにうっすらと朱点がにじむ、体高のあるアマゴだった。
「ゆっくりアワセではウグイばかりですから、速いアワセに戻したらアマゴでした。うちのシマミミズの活躍もありますが、これは素石さんからの贈り物でしょう」と松林さんは、笑みをうかべてさらに上流へ移動する。
 その後、ウグイ13尾に対してアマゴ3尾の釣果を得て、龍神温泉『上御殿』へと向かったのだ。

小森谷からさらに奥に入った日高川源流は、数日前に降った大雨の影響で濁りが残っていた。しかし、小ぶりだが天然アマゴを釣ることができた。

「戦時中、召集令状によって軍隊に属した素石さんは、復員後に職を求めるのですが、あるとき『絵を描く人募集』という求人を目にします。もともと絵心があった素石さんはそれに応募し、採用されたのが山野秋邨先生の工房でした。そこでは竹のブローチや合板の壁掛けに絵を描き、生業としていました。しかも秋邨先生は3度の飯も大切だが、何より釣りと酒が好きでした。当然、釣り好きの素石さんと意気投合し、行く先々の村や町で襖絵や着物の帯に絵付けを行い、その代金で旅を続けていました。仕事は夜に行い、昼間はその土地ごとの渓流で存分に釣りを楽しむという、なんともうらやましい旅生活だったようです」
 そうした二人の旅の中で訪れたのが、龍神温泉上御殿だ。山本素石がこの龍神温泉に4度目に訪れたとき、同じ湯治客から聞いた「そらァ護摩ノ壇山から落ちる溪にはアメノウオもたくさんいるやいしょ。けど、尺物はどうかいのう。尺物が欲しけりゃ、狐か狸に持ってこさせるがええして。そらァ、わけやないやし。ネズミのてんぷらと引きかえにするやよし……」(山本素石著『ねずてん物語序説』『銀山河』二見書房刊より)という話が物語の発端になっている。

上御殿には“お成りの間”というのがあり、上段、中段、下段に仕切られている。上段には二重の翠簾(すいれん)がめぐらせてあり、かつては紀伊大納言五十五万石の御座所であったという。

「名作絵本『ねずてん』の原作となった『ねずてん物語序説』は、旅で出会った実録を基にしています。素石さんが龍神温泉で聞いた奇異な話を、釣り好きの秋邨先生に巧みに伝え、鍋と油を買い込み二人でタヌキやキツネから尺アマゴをせしめようと、本気で試みるところが天晴です。この作品を読み、いつかは龍神温泉の『上御殿』に泊まり日高川源流で釣りをしたいと思っていました」

昭和初期の龍神温泉郷の様子。河原にある共同浴場と高野槇の湯船に浸かる美人。内風呂もいいが、日高川のせせらぎを聞きながらの露天風呂も風情がある。

『上御殿』は、江戸時代初期(明暦3年・1657年)に徳川家康の10男、当時の紀州藩主である徳川頼宣が、龍神温泉へ湯治に訪れるために建てられた宿だ。明治4年に廃藩置県が発令され、当時の藩主・徳川茂承(とくがわもちつぐ)が東京へ移るとき民間に払い下げられ、「『上御殿』と『下御殿』を守っていきなさい」と屋号を受け継ぎ、今日まで続いているという。

写真上からシカ肉のたたき、山の幸をふんだんに使った八寸。そして日高川の天然アユの塩焼き。料理は当主の龍神さんが担当し、代々の料理を受け継いでいる。「山菜料理は『普通の山に生えているものだろう』というお客さんもいますが、料理として完成させる知恵と工夫があります。山菜は種類ごとに分けて焚いて味付けしますから、手間もかかります。半加工されたものを取り寄せ温めて使うと、どこで食べても同じものになってしうので、それはできません」と、龍神さんは言う。

「かけ流しの高野槇(コウヤマキ)の湯船に身を沈めると、その湯はぬるぬると肌に馴染み、たまった疲れが身体の節々から解けていくようでした。今までに秘湯名湯に足を伸ばしてきましたが、お世辞抜きでこれほどの温泉に出会ったことはありません。素石さんが戦後、木炭バスで田辺から南部町を通り、片道5時間をかけてやってきたのは、決して“釣りだけではない”と思います。
日高川の清流を眺められる部屋で山の幸、川の幸をいただけると、“大名釣りの境地”を味わっているようです」

龍神温泉・上御殿

住所:和歌山県田辺市龍神村龍神42
TEL: 0739-79-0005
http://www.kamigoten.jp/

松林眞弘(まつばやし まさひろ)

1956年兵庫県洲本市生まれ。『淡路魚釣り文庫』代表。釣り関係の絶版本、稀覯本の収集家として蔵書8000冊以上。釣り歴は長く、渓流釣りからヘラ釣り、ジギングまで多種にわたる。

その他の取材こぼれ話