文◎本誌編集部 写真◎狩野イサム
餌木は、日本古来の疑似餌だ。その発祥はさまざまな説があるが、餌木そのものの発見は、江戸時代に松明(たいまつ)を燃やして漁に出た漁師が、その松明を海中に落としたところ、それにイカが抱きついたことが始まりとされている。そして、奄美大島以南の南西諸島でイカの曳き縄漁に使われはじめ、それが種子島に伝わり、薩摩地方でブレイクしたという説が有力なようだ。
また、薩摩地方に伝わった餌木は、漁師たちのイカの曳き縄漁とは別に、薩摩の武士たちの格好の遊びとして流行したことで、細部にわたり改良が加えられ発展した。さらに明治時代は豪商が餌木職人をかかえ、人よりもよく釣れる餌木を求めたという。そして薩摩地方から全国に広がり、その土地ごとに発展。大分型とか山陰型など、さまざまな形が生まれており、このうち現在市販されている餌木の主流となっているのが、大分県保戸島周辺が発祥地の「大分型」と、鹿児島県山川町が発祥地の「山川型」だ。
今回の疑似餌特集では、鹿児島県熊毛郡の屋久島で古くから伝わるイカの曳き縄漁と、釣り人の間で人気を集めるティップエギングによる新旧の餌木釣行を行った。本誌の著者、高橋大河氏の狙いは、そうした取材の中で、「餌木は、いつどこで生まれ、どのような経緯をたどって全国に広まったのか。また、漁具でありながら優れた趣味性をもあわせ持つ餌木ならではの魅力は、どのように育まれたのだろうか?」といった糸口を見つけることだ。
日高船長が先代から受け継いだという引き縄の道具。全長1mほどの無骨な手ばね竿には12号のナイロンラインが20ヒロ(約30m)巻かれ、糸を太目にしているのはきつい根周りを攻めるためで、餌木は主に4寸から5寸のものを使用する。
屋久島は、伝統的なイカの曳き漁が成立する貴重なフィールドだ。今回、その“伝承イカ曳き縄漁”を見せてくれたのは、屋久島の一湊漁港『ふじよし丸』の日高藤太郎船長だ。
日高船長は中学生の頃から、昔ながらのイカ餌木漁を漁師であった父に厳しく叩き込まれた。そして餌木によるこの釣りの、深さと広がりにはまっていったという。
「親父は、ほんとうに厳しかったのです。いい加減なことをすると怒って、船から夜の磯に降ろされ、暗い夜道を歩いて帰らされたりしたこともありました。道具も自分で作っていて、亡くなったあとも私はずっとそれを使っています。餌木はなくしたり、壊れたりしてもう何本も残っていませんが、竿は今でもその当時のものです」と、笑いながら全長1mほどのシンプルで使い込んだ味の出た、“手ばね竿”を見せてくれた。
12号、20ヒロ(約30m)のナイロンラインが巻かれた糸巻き。その途中には棒状の中オモリが3個という仕掛けだ。オモリ10号、8号、6号の順に等間隔で打たれており、最後のオモリから餌木まではおよそ1ヒロ半である。これをすべて出しきり船を微速で走らせ、時折合わせをいれながら引っ張るわけだ。
取材当日は大潮の満月。陽が西に沈む直前の19時に出向し、目指すポイントに向かう。日高船長はポイントに着くと夜空を見上げ、月の出の場所や時間を気にしながら「しばらくここで」と一言つぶやいた。船の速度を緩め船尾右側に移動し、リズミカルに仕掛けを流してゆく。そのポイントとなるのは、水深20m前後の藻場が広がる小さな湾だ。
よく見るとその湾には、球体のブイが浮かんでおり、そのブイの下には漁師たちが木の枝を集めて縛り沈めた天然素材の漁礁があるのだという。その漁礁は、アオリイカの餌となる小魚を集め、またアオリイカの産卵場になるのだという。
日高船長はそうした漁礁の合間を縫って、ときおり竿で大きくシャクリを入れてアオリイカを誘う。父から教わった曳き縄漁は、トローリングのように真っ直ぐに引っ張り、竿先に鈴を付けてアタリを待ったそうだが、その後どこからかシャクリの作法が伝わったという。
「船から餌木までの距離は、常に30mぐらいですが、餌木が底スレスレを通るように、船の速度やシャクリを調整するのは職人技だと思います。起伏の激しいポイントだけに根掛かりする可能性は常にあるのですが、日高船長は『オモリが藻に触ったり、岩に触ったりする感じが伝わってくるから、船速を少し上げて根をかわすんだよ』と、何気なく言います。しかしこの釣法に慣れないうちは、大事な餌木を根に取られてしまうことも多いと思います。その根係りを恐れて水面を引いてもイカは釣れないし、経験を積んだ漁師ならどこをどのスピードで引いたら、30m先の餌木がどのくらい沈み、どう動くかということを身体で覚えているのだと思います」と高橋氏は、船長の妙技を冷静に分析する。
この日は潮が悪く、夜半までトライしたが結果は出ずじまい。しかし、船長は連日3~5kgほどのアオリイカを上げているという。
翌日は、宮之浦在住の長井進矢さんに最先端のエギングを披露してもらった。これまでは、波止場や地磯で大アオリイカを狙っていたが、最近はもっぱら自ら船を操り、アカイカ系のアオリイカに狙いを定めているという。
「長井さんの釣りは、デイゲームでのティップエギングです。水深30~50mのポイントに船を流しながら餌木をシャクリ、その後のポーズでアタリを取ります。ティップエギングといっても水深がそれなりに深いため、感覚的にはバーチカルに近い攻略法です。同じ海で、同じアオリイカを釣りながら、日高船長と長井さんのアプローチは、何から何まで正反対なのも面白いですね」と高橋氏は言う。
水深があるので、シャクリは強く大きく。シャクリを入れた後は、必ず餌木を止める。その際に餌木が、上下にブレないようにすることが大切だ。この日はウネリが大きく、口で言うほどその動作はたやすいものではない。しかし、「どんなに揺れていても餌木は必ず止めること。そこが漁師の曳き縄での釣りとの一番の違いです」と、長井さんは言う。
この日は苦戦しながらも、最後に3kgほどのアオリイカを見事に釣り上げてくれた。がっちりと餌木を抱き込んだアオリイカのその目は怒っているようにも見え、なかなかの迫力だ。そして抱き込んだ餌木を見て、疑問に思ったのがそのカラーだった。
「昔の漁師は、潮と月齢に応じて餌木を使い分けていました。あるいは月の角度を36等分し、その時々で餌木の色を変えていたとも言われています。今回の取材で、日高船長と長井さんは、何を基準に餌木の色を選んでいるか? 単刀直入にそんな質問をぶつけると、日高船長は『私は赤が好きで、潮が悪いときでも赤系を使うことが多いけれど、月が冴えているときは緑がいい』と言い、長井さんは『オールマイティーなのは下地が赤テープのもの、濁っているときは金テープやグローを基本に、上の布の色を組み合わせて当たりのカラーを探ります。浅場のシロイカ系を釣る場合は、色の差がより顕著に出ますね』と答えてくれました」と高橋さんは言う。
以前の餌木のカラーは、外側の布の色が論議の対象だった。しかし現在は、下地(中の布)と表地(外の布)を組み合わせることでカラーは無数に生み出されており、下地の色に注目が集まることで、当たりカラーはより複雑になっているという。
「簡素な黒焼きから焼き目模様、塗り、布巻き、さらに外布から下地の色へと進化し、南西諸島の発祥から全国に広がる過程のなかで、様々な文様やカラーが生まれたのが餌木文化です。漁師から遊漁まで、無数の人々の手に触れてきたイカ餌木へのこだわりと移り変わりのなかには、日本を代表する疑似餌文化の縮図があるのではないでしょうか」と高橋氏は言う。