2020
07.24
Vol.65 ⑤ 特集◎東京前幻影と魚食文化の復権
― 江戸前魚食の記録と記憶をたどる ― 番外編

江戸の食いしん坊たちを育てた海

文◎冨岡一成、フィッシングカフェ編集部 
写真◎磯貝英也

 水産庁は神奈川県の三浦半島、剣崎から千葉県の房総半島洲崎を結ぶ線の内側、つまり東京湾全域を「江戸前」と定義づけている。沿岸近くの干潟の発達、大小河川の流れ込み、東京湾に湧き出す伏流水など、複雑で変化に富んだ環境が魚類を育み、かつて「江戸前の魚は格別な味がする」と言われてきた。その豊富な食資源を背景に、上方の味覚から江戸の味覚となり、日本橋、築地を代表とする市場、輸送環境を背景に、江戸の味から“東京の味”へと発展してきた。Vol.65・特集『東京釣り探訪』では、そうした江戸前の食文化を魚食料理研究家の冨岡一成さんに詳しく解説いただいている。

「北斎仮名手本忠臣蔵 潮干狩之図」仮名手本とは、赤穂事件を題材とした『忠臣蔵』の歌舞伎や人形浄瑠璃の演目。葛飾北斎が描いた、その読本挿絵の中にも江戸の遠浅で豊かな海が描かれている。

「江戸前の海は、多摩川や隅田川、中川、江戸川など、大小の河川から土砂と一緒に豊かな栄養分が運ばれてきます。また、湾口からは伊豆七島を北上してきた黒潮の分流が、内海深くまで入り込み、それらが入り交じり、変化に富んだ漁場を形成しています。さらに河口付近の淡水と海水が出合う汽水域では、塩分濃度の濃淡が段階的に分布して多様な生物相が現れます。とくに河川のもたらす土砂が、長年の潮の干満による堆積と移動の反復で干潟を形成し、そこにはアサリ、ハマグリ、シオフキ、バカガイなど浅海性二枚貝があふれ、深場から上がるシバエビ、シャコ、ハゼ、タナゴ、カイズ、シロギス、アオギスなどにも恵まれます。そして湾外からは、セイゴ、サヨリ、コノシロ、ボラ、アナゴ、ウナギ……、あらゆる魚群が寄ってきました。

「水族四帖(春)ウナギ図」関東近郊で獲れるものの特徴や解説のほかに、調理法や旬の味わいも客観的に記載され、江戸市中ではウナギがどれほど喜ばれていたがわかる。「ウナギ料理は、そのもの『江戸前』と呼ばれた。鰻屋は天明期(1781~89年)にぐんと数を増やすが、その暖簾に『うなぎ』と書かずに『江戸前』の文字が掲げられ、隅田川河口や深川が風味の良いウナギの漁場なので、これはご当地産のうたい文句であった。いっぽう他で獲れたものは『江戸後』『旅鰻』など厳粛に区別された」と冨岡さん。

 こうした洲場が上総富津崎から相州本牧鼻辺りまで、沿岸をめぐるように広がり、その外側、泥底の平場ではエビ、シャコ、カレイ、フグ、アンコウ、サメ、カマスなどが、ぞくぞくと漁獲されてきました。さらに湾口付近の岩礁域には、タイ、カサゴ、スズキなど。明治時代の記録では、洲場の魚種22種、平場31種、磯場34種、これに貝類、甲殻類、頭足類、海藻類あわせて128種もの魚貝類が東京湾で漁獲されていました」と冨岡一成さんは語る。そして、このように恵まれた土地に生まれた江戸市中の人びとが、うまい魚を食べることに並々ならぬ意欲を持ったのも当然だろうと。

「「水族四帖(夏)カイズ図」中川の河原でも捕獲され、食味は良いとされている。

 また17世紀、房総地方沿岸に一大イワシ漁場を発見した紀州出身の漁師によって伝えられた醤油の醸造法は、銚子や野田を産地とする濃口の地廻り醤油に成長し、利根川水運によって江戸に運ばれた。色や香りを抑えた上方の薄口醤油に対して、香りの強い関東の濃口醤油が江戸の味覚の基本となり、とりわけ魚を食べるのにうってつけとなった。
 さらに、江戸時代後期に国産砂糖が普及すると、江戸では醤油による砂糖の甘辛い味が考案される。また、ドジョウ汁などの鍋料理に欠かせない江戸甘味噌も、同じ頃に生まれており、甘くて濃い江戸の味覚の誕生は、上方の下りもの文化との決別を象徴するものだったという。
 それは、現代の東京フードにつながる画期的な出来事であり、もっと端的に言うのなら「魚をおいしく食べるバリエーション」が格段に増えたことにほかならない。そして、こうした新しい調味料の発見は、江戸の「外食文化」の発展に大きく影響を与えたそうだ。

『水族四帖(春)』著・奥倉魚仙(安生4年:1857年刊)
奥倉魚仙は江戸の神田多町で青物商(八百屋)を営んでいた奥倉辰行(おくくらたつゆき、通称:甲賀屋長右衛門)の号。『水族四帖』は春、夏、秋、冬に分けられ、約720以上の江戸前の海水魚・淡水魚から平家蟹やクラゲなどを描き起こした魚類画集。

 それまでの武家社会では、食を他人の手に委ねる外食は不覚とされ、長い間、江戸の町には飲食店すら存在していなかった。しかし、頻繁する大火などの災害時には、救民食として荷売りや屋台売りなど、調味料をふんだんに使った即席料理を口にする機会が増え、結果的に外食への抵抗は薄れいく。やがてファストフードの元祖であろう簡素な飲食店から、後には本格的な料理屋までが現れ、とくに男性比率の高い江戸は、外食が独身者の心身を養う重要な糧となったという。
「外食文化の発展においても主役は魚でした。なかでも江戸人が愛してやまないウナギ料理は、そのもの『江戸前』と呼ばれていました。また、天ぷらの元祖は安土桃山時代に南蛮から伝えられた料理法といわれ、上方では早くに『つけあげ』の名で広まりましたが、これは野菜の胡麻揚げでした。やがて江戸前の魚貝と結びついて、季節ごとのタネを楽しめるふわりとやわらかい今日の『天ぷら』が生まれました。そして、元は手間をかけた保存食の『すし』だが、気の短い江戸っ子は熟成を待てず、何たって魚は生がいちばんうまいので、酢飯と山葵を利かした素晴らしい『江戸前ずし』を発明してしまった」と、冨岡さん。

「富嶽三十六景 江戸日本橋」作・葛飾北斎。江戸の魚市場は、日本橋から始まった。

 現在、漁場としての江戸前の海は、残念ながら明治中頃からの京浜地帯の工業化、都市化によって魚群は徐々に減り、昭和37(1962)年12月に東京内湾奥部の漁業4000世帯が一斉に漁場を全面放棄したことで、江戸前漁業は事実上、終焉を迎えることになったという。
 しかし、江戸時代に日本橋から始まった魚河岸は、関東大震災の消失によって築地に移り、現在は豊洲の地で魚河岸文化が脈々と継承されている。さらには、世界中から最高の魚介類が豊洲に集まることで、江戸の食いしん坊たちが見たら目を見張るであろうコスモポリタンな東京前魚食文化の発展が期待される。

前魚食大全』著・冨岡一成(草思社)
江戸前の魚食文化の経緯と発展、江戸っ子気質と魚河岸文化の関係など、本書はまさに「江戸前文化人類学」といえるほど資料性が高い。

冨岡一成(とみおか かずなり) 魚食料理研究家
1962年東京都生まれ。大学卒業後、博物館の展示・企画などの仕事を経て、1991年より15年間、築地市場に勤務。「河岸の気風」にひかれ、魚全般のうまさとの関連性をテーマに聞き取り調査を行う。魚食普及を目的に執筆、イベント企画、ワークショップを積極的に行っている。著書に『築地の記憶―人より魚がエライまち』(旬報社)、『江戸前魚食大全』(草思社)などがある。

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