2018
12.07
Vol.60 ⑥
アオリイカを引き寄せる薩摩伝承の謎の餌木
特集・八重山諸島の釣りと文化「石垣島に残る薩摩伝承の“焼き裸餌木”の秘密」より

アオリイカ名人が作る渾身の一作

取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎狩野イサム

 石垣島の離島ターミナルにほど近い繁華街から車で5分程走ると、豊野城町の一角に「エギ、売ります!」と、玄関の引き戸に看板が張られた民家がある。それ以外の情報はまったくなく、地元の釣り人にさえほとんど知られていない餌木専門店を訪ねた。
「コン、コン」と戸を叩くが返事はなく、引き戸を開けそっと覗き込むと、まず目に入ったのは、わずか4畳半ほどの部屋の壁にびっしりと吊り下げられた、おびただしい数の餌木だった。しかも、すべてが無垢の木材に焼き入れを施しただけのものだ。なかには、今では見られなくなった魚形の餌木もある。まさに岡田喜一が著した『薩摩烏賊餌木考』に登場するような、餌木ばかり。少しでもエギングを嗜み、現代の餌木を知っている人なら、そこは完全に時間の止まってしまった空間に見えるのではないだろうか。

素材も焼きも入れも光沢も違う。新城さんの作る餌木は同じものが二つとない。そこに大きな魅力を感じる。

 そんな餌木に目を奪われながらも、「こんにちは!」と声をかけてみるのだが返事はない。お昼過ぎに取材にうかがいたいと、事前に電話で了承は得ていたのだが、部屋の奥からはNHKのラジオ放送がジンジンと流れてくるだけで、人の気配を感じない。
 しばらく待つと部屋の奥から襖を開ける音が聞こえ、仕立ての良い作務衣に身を包み、白髪をオールバックに整えた、背筋の通った紳士が目の前に現れた。そして「遅くなりました。奥からお回りください」とひと言残し、背を向けて部屋の奥へと消えていった。
 その紳士こそ、薩摩伝承の古典的な裸餌木を作り続けている新城正雄さんだ。新城さんは昭和4年(1929年)生まれ。餌木を作るようになったきっかけは、今から80年ほど前、父親の仕事の関係で西表島に住んでいたころ、西表島の南海炭鉱へ四国から転勤してきた電気技師により、裸餌木の作り方を教えられてからだという。

店舗兼工房の壁にも、おびただしい数の餌木が並べられていた。新垣さんは、その餌木に囲まれ今でも餌木を作り続けている。

 それ以後、餌木作りに夢中になり、同時にあらゆる釣りにも興味を覚え、小学校の5、6年生になると、近所の釣り好きの親父さんや担任の先生までもが、新城さんの作る餌木に注目したという。そして、実際に八重山諸島で新城さんの作るような餌木が普及したのは、新城さんが見様見真似で餌木の制作を始めてから10年後、終戦から4、5年後の昭和24、25年頃からだった。
 戦後、鹿児島県の船主が八重山諸島でカツオ漁を大々的に行い、獲ったカツオを石垣島でカツオ節として加工し販売するようになる。その船主が暇を見つけると船頭を頼んで小伝馬船を漕がせ、餌木を使いイカを釣りまくり、それが評判になり八重山でも餌木ブームが訪れたのだという。

自宅の工房の裏には大きな倉庫があり、原木そのままやカットされた素材の詰まった段ボール箱が山と積まれている。

 新城さんの餌木の素材は、すべて石垣島産の樹木だ。主に現地でクサギと呼ばれるウラジロ、そしてフクギ、タラなど。原木は新城さんご自身が山に入って、伐ってくるという。取材の後、裏の倉庫を見せてもらったのだが、新城さんの手によって伐られた原木が段ボール箱に詰められ山と積まれており、箱の表には産地と種類、伐った時期などの詳細な情報が書き記されていた。

原木を大きくカットした素材と、さらに餌木の実寸サイズに切り分けた素材。どちらも名前が付いており、伐った場所と素材の部位が、新城さんにしかわからない暗号で記されている。

 製作の工程は、まず木を伐ってから1カ月ほど乾燥させ、それをカットして形に仕上げ、コンロで焼く。その焦げた表面を小刀で削って光沢を出す。そしてオモリを付けて、後ろの金具を取り付ける。表面には何も塗らず、サンドペーパーなどで削るのはご法度。小刀で削ることでしか光沢は出ないという。
 新城さんの餌木の特徴は、焼き入れによって模様を付けるのではなく、原木の年輪模様や風合いを活かし、小刀で削り光沢を出すために焼きを入れる点だ。焼きで模様を付けたこともあるが、これまでにイカを求めて石垣島だけでなく、何百回も八重山諸島を回るなかでこの技に行きついたという。

最終の表面仕上げは小刀のみ。焼きを入れることで、削り出したときにさまざまな光沢が生まれるという。現代の餌木とは正反対の考え方で作られている。

「私の餌木は、原木の素材によって浮き方が変わります。イカは昔から、第一に光沢です。光沢によって月明りで寄ってくるものもあるし、曇りの日によくつく餌木もあります。その次が浮き具合です。だいたい45度の勾配でゆっくりと沈み、水面に持ち上げた時に真っすぐ浮ききれば試験は合格。お尻が下がった場合は調節して、真っすぐ浮くようにします。その浮き具合も自分で研究しました。平べったいタイプはアカイカ用で、魚もタコも喰いついてきます」

もうすぐ90歳を迎えるとは思えないしなやかな指先。新城さんは、三線の琉球古典音楽野村流保存会八重山支部顧問、八重山古典音楽安室流保存会教師師範でもある。

 そして、この餌木の良さは産卵期に入ったイカの喰いつきが良いことだという。この話を聞いて、真っ先に思い出したのが餌木発祥の逸話、「漁師が船上で作業していたときに、松明を海中に落としたところ、翌朝に浜辺で、落とした松明の燃え残りにイカが抱きついていた」という話だ。そのイカはひょっとすると、産卵期だったのかもしれない。
 新城さんが餌木を作り出して80年余り。原木を伐り出し、その一つ一つに焼きを入れ、小刀で削り、表面を仕上げる根気のいる作業を行うのは、釣果への絶対の信頼があってこそだろう。そう思い改めて新城さんの裸餌木を見てみると、「餌木発祥の逸話」が実に信憑性を帯びた。

新城正雄(あらしろまさお)

1929年石垣島生まれ。牛乳販売店を経営するかたわら幼少から釣りに親しみ、なかでもイカ釣りに関しては造詣が深く、石垣島のイカ釣り名人として知られている。現在は手作り餌木専門店『新城正雄商店』を営んでいる。

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