2019
06.21
Vol.62 ③ 北九州藍島、熟練漁師の進化する活き締めの技
特集『釣魚・美味礼賛』
「極上サワラの鮮度と熟成を求めた情熱」より

劣化の早いサワラを熟成に耐えるサワラに

取材・文◎滝 徹也 写真◎能丸健太郎

 夕方4時、民宿にやってきた藍島(あいのしま)の漁師、両羽勝さんは「まず食べて」と、タッパウエアに入ったサワラのワラ焼きを差し出す。うっすらとピンク色に染まる身を醤油に浸しつまんでみると、上品な甘みと、燻された香ばしさが口の中に広がった。
「えっ、これサワラですか?」と、思わず口走ってしまった。 
 すると両羽さんは、返事の代わりにニコッと微笑みながら名刺を差し出す。名刺の裏には「料理は船の上から始まる」と書かれていた。

島内を散策していると、窓越しに網の修繕を行う老漁師がいた。松下音光さん、御年82歳。小学校5年のときから漁師をしているという。視力がかなり衰えてしまったと話していたが、指先はそのすべてを覚えていて、迷うことがない。いまだ現役だ。

 小倉駅の北側から発着する定期船で20分ほど沖合に藍島はある。人口は218人、世帯数は105世帯。総面積は1㎢にも満たない小さな島だ。産業は漁業が中心で、主にアワビ・ウニ・サザエが漁獲される他、季節毎に回遊する青物。特に北風が強くなる12月以降は、玄界灘方面から東進するサワラが、島の漁師たちにとって重要な漁獲物となる。
「獲った魚を市場に出すだけで、今までは成り立っていたのですが、魚は少なくなるし燃料費も高騰して、どこの漁師もおなじですけど、これではやっていけません。何か付加価値を付けて卸そう、そう思いました。それが、サワラの“船上放血神経締め”です」
 サワラは、端麗ながらも甘味がある。上品な和食の基本素材のひとつとして、瀬戸内海、関西などで重用される魚だ。一方で身質が繊細で劣化が早く、熟成には不向きな魚とされてきた。マダイなどの活魚であれば、料理人は自分の料理やスタイルに合わせて、血抜きや神経締めなどの処理を行うことができる。だが、サワラは活魚での取引はできない。「サワラが生きているうちに血を抜き、神経締めができるのは、現場の漁師だけだ」と、両羽さんは気づいたのだという。

響灘に浮かぶ藍島。この島から1時間圏内がサワラの好漁場となっている。大都会の小倉の街からものの30分で、時間は一気にタイムスリップする。

 そこで、自身が獲ったアワビなどを卸している付き合いの深い北九州市の寿司屋に、船上で放血して締めたサワラを食べてみてほしい、とお願いした。すると翌日、両羽さんのところに電話がかかってきた。電話の主は、その寿司屋の店主だった。
「すごいよあれ! って、ものすごく興奮していました。そこから始まりました」
 そうして、サワラの放血神経締めの研究に本格的に取り組みだしたのが、今から3年ほど前だという。
「サワラは生で食べるなら3〜4日が限界。それ以降は、有名な西京焼きなど焼き物にして調理します。それが船上放血神経締めを行うと、2~3日目までは普通のサワラとほとんど変わらないのですが、5日目以降から急激にうま味が増します。化けるんです。私のサワラを最長50日寝かせた料理人がいます。もちろん、そのサワラは生で食べられます」
 両羽さんの漁法は曳き縄釣り。掛けたサワラは、とにかく暴れさせずに一気に取り込む。暴れさせず、運動エネルギーをいかにサワラの体内に残すか。それが熟成を経ることにより、うま味に変わるからだという。そして、船上放血神経締めは、その言葉通り処理のほとんどを船上で行う。しかも処理は分単位で行っていく。

両羽さんのサワラ漁は、一日中サワラの群れを追って船を走らせる「曳き縄釣り」。仕掛けには、大きい回り方をして弓角よりゆっくり回る引角を使っている。

 水温、気温を判断し、血を抜く時間も変えていく。しかも、料理人がどんな料理にそのサワラを使うのかによって、抜く血の量を変えるという。
「生で食べるのであれば、限りなく抜きます。サワラは体表のヌメリも臭いのですが、血が臭いんです。ただ、火を入れて調理を行うとなると、血液もうま味に変化するので、調理法に合わせて血を残すということも行います。放血して神経を完全に抜いた身を5~6日寝かせて焼き物にすると、“ふわっふわ”に仕上がりますよ」
 神経を抜いたら氷水で冷やす。その冷やし込みの時間によっても身質は変わってしまうという。氷水で冷やした魚はいったん取り出し、別の場所で保管する。そうして港に着いたら、今度は殺菌海水を使って神経と血という血をすべて綺麗に取り除いていく。
「神経が少しでも残っていると、その神経が何かしらの情報伝達物質を出してイタズラをするのではないかと心配なんです。
 釣って、処理して、梱包して、発送する。そして、料理人が箱の蓋を開けるまでが、私の仕事だと思っています」

血液を放出させ、脳を締め、神経締めを行う。次に丁寧にエラや腸を洗浄する。冷海水での血液の放出や冷水の使い方など、両羽さんの技は言葉ではとても伝えられない。

 これはまさにオーダーメイド漁業。料理人の好みに合わせて、漁師が魚を仕立てるのだ。
 そんな両羽さんは、元々は一匹狼でこのような漁業をやっていた。そんなとき、両羽さんの仕事ぶりを見た地元の若い漁師たちから、「藍島のサワラをブランド化したい」と相談を持ちかけられた。本気でやりたいので、どうしても協力してほしいと頼まれた。
『藍の匠衆』と名乗る漁師集団は、現在両羽さんを入れて5人。島にはサワラの曳き縄釣りを行う漁師は30~40人ほどいるというが、その中で『藍の匠衆』はたったの5人しかいない。そして、彼らが処理したサワラだけが「藍の鰆」を名乗ることができる。
「藍の鰆」は3㎏以上という基準があり、さらに魚体選別も行う。3㎏以上であっても、見た目的にひょろひょろの魚は、「藍の鰆」としては扱わない。

“船上放血神経締め”を行ったサワラは、このロゴを付けられ出荷される。今、各地の市場で最も注目を集めているサワラだ。

 そして、両羽さんのサワラは、「藍の鰆」の中でも“極み”の称号が与えられた特別なサワラである。
「これが仕事であり、これを生業としているので、お金ももちろん大事ですが、お客さんや料理人が、よかったよ、おいしかったよ、と言ってくれるのが、やっぱり一番うれしいです。そう言ってもらえると、じゃあ次はこんなことをしてみようか……となるんです」
 両羽さんたちの取り組みは、まだ始まったばかり。「藍の鰆」は、今後もさらに進化していく。料理は、まさに船の上から始まっていた。

両羽 勝(りょうは まさる)

1972年福岡県北九州市藍島生まれ。島民のほとんどが漁業に関わる島で20歳から漁師として活躍。極上サワラの提供をめざす『藍の匠衆』創設メンバー。最高のサワラを求め10年以上もの歳月をかけ“船上放血神経締め処理”の技を独学で磨く。

【藍島 隆生丸】
https://www.facebook.com/aisima.ryuseimaru/

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