2017
10.06
Vol.57 ② 特集『“技の奥儀、テンカラの秘密”』
「堅牢な郡上本流竿が導いた“郡上テンカラ”」より

釣技の集積が文化となった郡上釣りの奥行き

文◎本誌編集部 写真◎狩野イサム

全体調子の郡上竿は、竿とラインが身体より遅れてくる独特のキャスティング感覚がある。

 長良川本流の畔に立った平田久信さんは、「本流のアマゴは、ゆっくり近づけば少し驚いても、ビクビクしていませんから」と笑顔で言うと、アマゴのつき場と思われる大岩へ向かって、ゆっくりとした動作で斜め下流に歩いて行く。苔で滑りやすい川底の石を確かめるように慎重に進む、その足送りを見ただけでも、長良川を産湯代わりに育ったような平田さんの実力がうかがえる。
 そして、ポジションを決めると、肩に担いでいた5mほどの本流用の郡上テンカラ竿を両手で支え、水面に対してほぼ45度の角度でバックキャストし、馬素(馬の尻尾)を撚ったテーパーラインがループの頂点に達する瞬間に竿を止め、次のモーションに移る。すると、全体調子の柔らかな郡上竿に乗ったラインは、両腕の位置より遅れ気味で、水面上1mほどの高さで、目指す大岩の上流のポイントに吸い込まれるように飛んで行くのだ。

 この平田さんの惚れ惚れするほどのキャスティングを見ただけで、郡上のテンカラ釣りは、独特の発展をしてきたことがうかがえる。そして、その原点となるのが、江戸時代からアマゴを釣るために育まれてきた、いわゆる“郡上釣り”だ。
 郡上釣りとは、「アマゴの抜き釣り」のことだ。受けダモと郡上ビクを持ち、抜き上げたアマゴをタモで受け、何匹かタモにアマゴが貯まるとビクに移す。郡上のテンカラ釣りは、竿同様、そうした郡上釣りがもとになっている。

郡上テンカラ竿とは?

郡上竿職人の福田福雄(ふくでふくお)さん。若い頃はアユ釣り名人とし名を馳せ、最盛期には長良川で1日平均200匹ものアユを釣り上げたという。

 平田さんに会う前に、郡上市美並町で工房を営む郡上竿の最後の職人・福田福雄さんに郡上のアマゴ竿(餌釣り用竿)について話をうかがったところ、本流で使うアマゴ竿と支流で使う竿は、両方とも“郡上の剛竿”を踏襲しており、竿の硬さは同じだ。しかし、長さが違うことで、キャスティングやアマゴへのアプローチが変わってきたという。

軽さが求められるアユ竿や渓流アマゴ竿が、一年物の新子の竹で作られるのに対し、テンカラ竿は振り回すので新子の竹では強度が足りず、丈夫な二年物のヤタケが使われる。また、郡上テンカラ竿は2間(3.6m)前後の長さで4本継ぎを基本として、本流用の3間(4.8m)5本継ぎの竿もある。

「支流では、あまり長い竿は振ることができないが、本流では長い竿を使います。僕らが本流で使うのは、5mくらい。それでも、竹竿は重いから片腕では振れないので両手で竿を持ち、斜め前方に立て、斜め上流に向かって水面をたたくように振り込みます。すると道糸は後ろへは飛ばないで、輪を作りながら前方に飛んで行くのです。ちょうど、フライフィッシングのロールキャストのような感じです。そんなに大げさに振らなくても、胴がしなると、ヒュッとよく飛びます。だから剛竿でも針を飛ばすために、胴調子になったわけです。でもアマゴは、大きなオモリでは餌が自然に流れないので食わないし、小さいオモリでは飛びづらい。毛鉤の場合も同じで、そこに技術の差が出るのです」と福田さんは言う。

郡上のアマゴは、地域によって体色が大きく変わるのが特徴。長良川河口堰ができてから、その数はかなり減っているという。

 また、同じ郡上竿でもアユ竿と渓流アマゴ竿は、素材に大きな違いがあるという。渓流竿はヤタケを使うのに対して、アユ竿はシノダケを使う。ヤタケは弓矢に使われるくらい節が低くて粘りがある。しかし、ヤタケには太いものが少なく、太くても親指ほどだ。それに対してシノダケは、太く成長するので剛竿を作るのには向いているが、振る竿は作れないからだという。
 さらに郡上テンカラ竿は、その年に採れたヤタケではなく、前の年の竹でなければならない。その理由は、「2年物の場合、肉の厚さは変わらないが、驚くほど丈夫だからです。繊維が密に詰まるので投げた時に、竿がラインの延長となる一体感がある。そういうことが、作り続けてきて解るようになりました」と福田さんは言う。

郡上テンカラを支える背景



栗毛と白毛の馬の尻尾から作った馬素。馬素は、あまり固く撚ると弾力がなくなる。そのため、ゆるめに撚っていくのがコツ。馬素を使うことで、郡上竿の特性が生かされた面もあるのではないか、と平田さんは言う。

 話は戻るが、スローモーションのような優雅で正確なキャスティングの平田さんは、なんと中学1年生で郡上の漁協の組合員になったという。父親が長良川の料亭や旅館を相手にする職漁師であったため、必然的だったとのこと。しかし、身体のできていない中学1年生で郡上の剛竿を振るには、並大抵の努力では成しえなかっただろう。
「どうしたら、釣りが上手くなるかを子供ながらに考えたら『いかに遠くに毛鉤を飛ばせるか』に気づいたんです。今の私の釣り方の原型ですが、その当時、毛鉤を遠くに飛ばすために、まず馬素を撚って竿を倒しただけでもラインが走らないか、と考えてみました。次に馬素のラインにテーパーを付けることで、振るのではなく竿を倒しただけラインが走ることに気づいたのです」

 馬素の良いところは、水面をわざと叩いてもアマゴが出ることだ。テンカラの技術書に「毛鉤から着水しなければ」と書いてあるが、馬素の場合は、水面を走り毛鉤がポンと落ちることで、昆虫の着水を演出できる。また、馬素は伸縮性があり、アワセ切れが少ないという。キャスティングのコツは、竿が重いため大きく振らず、小さく振る。力加減は、前がかりにならないように「後ろ7分で、前3分」が基本。パッチン、パッチンと鞭のように振るのではなく、円を描くように点で回すことが大切だという。今では良い素材のラインがあるが、その当時は郡上近辺の漁師たちのほとんどが、テンカラ釣りに馬素を使っていた。その原型は、郡上釣りがもとになっているという。

平田さんが巻く毛鉤は、ハックルが上下左右どこから見ても、弱った水生昆虫のように見えるよう意識している。毛足を短くすることで、水面を転がり魚が吸い込みやすいという。

 また、郡上・長良川の職漁師といえばアユを想像するが、アユは季節性があるため、通年通して狙う魚は、アマゴやイワナだった。なかでも一部の職漁師がテンカラ釣りを行った理由は、高級料亭や旅館に「針を飲んだ魚は卸せない」からだったという。
 郡上釣りは江戸期より、郡上八幡一帯を中心に美濃市や荘川村、川で言えば馬瀬川上流や九頭竜川上流、さらに分水嶺を超えた荘川上流や石徹白川まで広がった。そして、竿作りから釣技までが、個人の小さな技の伝承ではなく、平田さんのような釣り人たちの技の集積よって、郡上釣りとして広範囲に広がっているのだ。川釣り文化として改めて郡上釣りを見つめると、これは日本でもかなり珍しい例、あるいは唯一といえるものではないだろうか。

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