取材・文◎フィッシングカフェ編集部
写真◎西野嘉憲
「子どもの頃から絵を描くことは好きでしたが、将来美術系の大学に進もうとは思っていませんでしたし、絵を仕事にするつもりもなかったのです」
魚譜画家の長嶋祐成さんは、筆を走らせながらそう話しはじめた。
幼少より生き物が好きだった長嶋さんは、大学進学時に生物系の学部を希望するが、理系の科目が得意ではなく、文系の科目で受験できる京都大学総合人間学部を受験し合格する。この学部は、人間学科、国際文化学科、基礎科学科、自然環境学科(当時)を含み、いわゆる文系と理系が混在したユニークな学習カリキュラムを行っており、長嶋さんのようなタイプには都合が良かったという。
そして入学後、本格的に生物の勉強をしようと考えていたのだが、理科系の勉強をしてこなかった長嶋さんにとって、授業のレベルはかなり高いものだったそうだ。また、大学入学の年に9・11の同時多発テロが起き、世の中全体がそれまでの物の見方、考え方を変え始めた時期でもあった。そこで長嶋さんは、思想的なことに興味を持つようになり、大学では現代思想を専攻し、ジョルジョ・アガンベンやミシェル・フーコーなど、当時流行っていた思想家に傾倒していったという。
大学卒業後は服飾の専門学校へ3年間通い、その後、着物などの染色を専門とするアーティストのアシスタントを経て、デザイン会社に就職する。
「ある週末に友人から誘われて久しぶりに釣りに行きました。その時に『そういえば自分は、魚が好きだったな』ということを思い出し、釣った魚の絵を描き始めたのです」
当時は、魚を精密に描くのではなく、一番特徴的な部分に絞って描く手法だった。たとえばカサゴなら、色や模様は個体ごとに違うが、背中の黒白の模様は必ずある。そうした「その魚らしさ」をつかみたいと思いながら描いていたという。
「子どもの頃、堤防で釣った10cmほどのカサゴを水槽で飼ったことがあります。しかし、水槽で飼っていると魚体の色は褪せ、印象が変わってしまいます。釣り上げた瞬間の魚は、興奮して色が鮮やかでヒレもすべて開いています。その時のワクワクする感じを残して描きたいのです」
長嶋さんは、デザイン会社で営業・ディレクター職として忙しい日々を過ごし始める。絵はあくまでも趣味で、毎週1枚のペースでネットにアップロードしていたが、それで何かするつもりもなかったという。しかし、ネットを閲覧した人から仕事を依頼されるようになり、あるギャラリーのオーナーから勧められて個展を開いた。すると予想した以上に多くの人が来場し、初めての個展から1年後に会社を辞めて独立。そして、仕事関係の方の紹介で2016年4月から石垣島に活動の拠点を移した。
石垣島に移住して大きく変わったのは、魚を見る機会が圧倒的に多くなったこと。そして、自然に真正面から向き合いながら暮らすと、虫は多い、湿気もすごい、草刈りをしないと庭が雑草だらけになるなど、常に自然の力の圧を受けている感覚になったという。
また、石垣島の強い自然の中で自身の自然観が少しずつ培われ、ここでは植物が生命の赴くままに絡み合って茂り、さらにぐちゃぐちゃに絡み合い、ある部分は枯れていたり折れていたりするのに常に美しいと感じる。その理由は「自然が創ったものには、意図や意思がないからだ」という結論に達したという。
長嶋さんは、生活の中で絵を描いている時間が一番充実していて、これまであらゆるものが三日坊主だったが、絵だけは続いていると言って笑う。そして、描いているときは苦しいが、それは決して嫌なものではなく、喜びに通じる苦しさだという。
「贅沢かもしれませんが、最近は仕事として描く絵が多くなったので、実際には見たことがない魚を描くことも増えました。自分の目で見たものを描く作業と違ってくるので、時間に余裕ができたら『釣った魚を描く』という原点に、戻ってみたいと思っています。
趣味のシュノーケリングで海に潜るのですが、水中で見る魚と釣り上げた魚の印象は、かなり違います。水中での美しさにも目を奪われ、時間を忘れますが、相手に手が届かないもどかしさも感じます。
僕が絵を描くときもっとも頼りにしているのは、生きた立体物として手にしたときの感覚です。その点で釣りに勝る手段はなく、自分で釣った魚の姿は、その瞬間に僕の心に刻まれます。それを絵に残していきたいと思っています」