2020
11.27
Vol.66 ⑤ 未知との邂逅 by 高橋幸宏
『群馬県上野村神流川(かんながわ)・毛鉤釣り編』より

「眩しいほど宝珠なヤマメと圧巻の特大イワナ」

取材・文◎ 編集部
写真◎ 狩野イサム

 関東平野を代表する大河川、利根川水系に属する神流川は、群馬県、埼玉県、長野県の3県の境にそびえる三国山北斜面に源を発し、北流した後に東流し、利根川の支流である烏川(からすがわ)に注ぐ全長76.9㎞の清流だ。流域の大部分は関東山地の谷間となり、河川環境の良さから管轄する上野村漁協により、関東で最初にキャッチ&リリースエリアを導入した河川でもある。
 対象魚のイワナとヤマメの他に、在来のウグイやカジカ、シマドジョウやカマツカ、ギバチなども生息しており、放流物だがウナギも生息している。また、下流の神流湖からの戻りヤマメであるサクラマスの遡上も見られるという。

水量が多いため、通常なら緩やかなはき出しも、ごらんの通り激流化している。毛鉤を早く沈められるかどうかが釣果の決め手となった。

 高橋幸宏さん(以下:幸宏さん)は、この自然豊かな神流川『本谷毛ばり釣り専用区』でイワナ、ヤマメを追ったのだが、上流の上野ダムから吐き出された流れは、数日前に降った雨の影響が残り、まるで雪代が入ったかのように青緑色に濁っていた。
 流心深場の底は白く曇り、かろうじて岸際だけ岩や砂利が見えている。河畔に生える植物や岩に張りつく苔が一部水没していることから、本来の水量よりかなり多いことがわかった。
 普段はとびきり良いと定評のある神流川の水質も、残念ながら本州の多くの渓流と同じように、度重なる台風の影響で堆積した土砂が、ちょっとした降雨で流れ出すのだという。それでも川岸のかけ上がりを注意深く見ていると、波間の中に度々黒い影が横切るほど魚影は濃く、すぐに仕掛けを投じたい衝動に駆られる。

近年の台風の影響で河畔が崩れた場所も多く、この日は足元に注意して斜面を降り、やっとポイントにたどり着くこともあった。

 幸宏さんは、川の様子をひと目見るなり「沈めるしかないね」とつぶやくと、ベストの胸元からフライボックスを取り出し、オリーブ色のビーズヘッドニンフをつまみ上げた。オリーブ色や緑色などチャートリュース系と言われる配色は、視認性が高く、濁りにも強い。目の前の川は、穏やかにカーブした流れが瀬から淵に変わり、水の勢いがやや弱くなるちょっとしたコルジュ(峡谷)となっている。水深が深くなり、川幅が広がったため流速が落ち、沈めて釣るには絶好のポイントだろう。
 流れ全体が見渡せる岸際のテラスに立った幸宏さんは、リールから静かにフライラインを引き出すと足元に輪を作りながら溜め、軽くロールキャストを行うとそのままバックキャストに入った。そして、フライラインと仕掛けが一直線になるまで引っ張り、軽くフォールを加えて、ニンフ、インジケーターの順で叩きつけるようにアップクロスにシュートする。着水と同時に竿先を使いラインを下流側にメンディングし、インジケーターに対してフライがついていくようなイメージで仕掛けを流す。

何度もキャスティングを重ね、捕食のタイミングにマッチした流速を探る。毛鉤の流れる速度は、釣果を左右する大事なポイントだった。

 2度、3度と同じ動作を繰り返し、キャスティングのたびに飛距離を伸ばし、またフライを落とす場所を変え、渓流魚がフライを捕食しやすい流速を探っている。さらに長いドリフトで仕掛けを馴染ませ、流れの穏やかな場所でフライを充分に沈ませ食わせる、という戦略だ。
 なめらかな水面を滑るように流れるインジケーターのオレンジ色は、まるでベリー系の果実のようだった。目の前を通り過ぎ、出したラインが伸びきる寸前、その果実が動きを止め、ストンと消し込まれたのだ。同時にロッドは弧を描き、象牙色のフライラインが水中深く突き刺さるように伸びていく。
 幸宏さんは「ヤマメだね。まあまあのサイズ!」と声をもらすと、ロッドを倒し魚の動きを封じながら、足場の良い下流へ移動する。ロッドとラインを右手に任せ、左手で背中のランディングネットをつかみ、手元でラインと魚の距離を合わせると、躊躇せずすくい上げた。
 ネットに収まった魚は、幸宏さんの予測通りヤマメ。サイズはまあまあどころか27cmの大物だった。

良型のヤマメ。この日、幸宏さんのロッドを何度も絞ったのはこのサイズ。

「神流川に来るようになったのは、10年くらい前からです。今回同行してくれた軽井沢でカフェを営む友人の黒沢さんに『面白い川がある』と誘われてからです。何度も来てしまうのは、渓流としての本来の姿が残っているからかな。石をひっくり返せば水生昆虫の幼虫がいるし、もちろん放流魚もいますが、ここで生まれ育った魚、稚魚たちもいます。
 渓流の好きの釣り人、特にフライアングラーは、自然の循環の中で育った魚が釣れるとうれしいし、その川の在来種だったら、さらにうれしいと思います。そういった意味でこの神流川の本谷は、釣り人にとってかなり良い川だと思います」と幸宏さん。

写真左が幸宏さんの友人の黒沢進さん。軽井沢で『Shaker』というカフェを営んでいる。

 この日、幸宏さんはコンディションが悪いにもかかわらず、ヤマメを中心にテンポよく釣果を上げていた。流域全体はV字の谷だが、早瀬と淵が交互に続き変化に富んでいる。しかもキャスティングを邪魔しない程度に樹木が川を覆い、魚たちの居つき場もある。
 幸宏さんは、そんな良好な釣り場でここぞと思うポイントでは粘り、同じ淵から2尾、3尾と釣り上げた。そして、圧巻だったのは、護岸横の流れが穏やかな深場から引きずり出した50cmを超えるイワナだった。尾ビレが大きく、全体に灰色がかった体色は、風格さえ備えていた。
 幸宏さんは「サンキュー!」と、大イワナを丁寧に川の流れに戻し、話し始めた。

50㎝を超える大物イワナ。ヒレはピンとして大きく、なかなかのファイターだった。

「母親の郷里が石川県で、いとこに連れられて海に出て行って、尺ハゼを釣ったことがありました。今思うと僕が小さかったからそう感じただけで、もっと小さい魚だったかもしれません。山形の親戚のところへ行ったときは、田んぼの横にある用水池で叔父がマブナの25~30cmのものを引いているのを見て、『すごいな!』と思ったのを覚えています。
 そういう思い出がたくさんあって、イシダイ釣りを30年以上続けてからフライフィッシングを覚えましたが、最初は『どうして、こんなややこしい釣りをするのだろう? 餌を付ければ簡単に釣れるのに』と思いました。けれどあるとき、『そうか、僕は自然の中に生き物がいる風景が好きだったんだ』ということに気がついたのです。

ダム下の急流からも果敢にヤマメが躍り出る。流れに乗った魚をキャッチするのはひと苦労。

神流川の本谷の河畔林や周囲の山は広葉樹が多く、魚の生育にはもってこいの環境がそろっている。

 人はまず、狩猟本能が働いて釣りが好きになる。だけどある時期から、釣れなくても楽しめるようになる。その場にたたずんでいるだけで、川が流れている音を聞いているだけでいい……とかね。でもそれは、生き物がいる川だからこそだと思います。公園の噴水や遊水路では、そうはならないのです。神流川の本谷に来てずっと居たくなるのは、そういうことかな。
 今日は、ヤマメ、イワナ、そして愛をもって魚たちを育み、この川を管理する上野村漁協の皆さんに感謝です」

高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)
音楽家

1952年東京生まれ。1972年、加藤和彦率いるSadistic Mika Bandに参加。1978年に細野晴臣、坂本龍一とともにYellow Magic Orchestra(Y.M.O.)を結成。ソロとしては、1978年の1 s tアルバム『Saravah!』以来、2013年の『LIFE ANEW』までに通算23枚のオリジナルアルバムを発表。ソロ活動と並行して、THE BEATNIKS、SKETCH SHOW、pupa、METAFIVEなど、さまざまなバンドで活動。趣味は釣りで、底物のイシダイ釣りが40年以上、フライフィッシングは20年以上という長いキャリアを持ち、「東京鶴亀磯釣会」会長。著書に『偉人の血』(鈴木慶一共著・パルコ出版)、『犬の生活』『ヒトデの休日』(共にJICC出版局)、釣り小説『キャッチ&リリース』(大栄出版)、『心に訊く音楽、心に効く音楽』(PHP研究所)など。

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