文◎冨岡一成、フィッシングカフェ編集部
写真◎磯貝英也
水産庁は神奈川県の三浦半島、剣崎から千葉県の房総半島洲崎を結ぶ線の内側、つまり東京湾全域を「江戸前」と定義づけている。沿岸近くの干潟の発達、大小河川の流れ込み、東京湾に湧き出す伏流水など、複雑で変化に富んだ環境が魚類を育み、かつて「江戸前の魚は格別な味がする」と言われてきた。その豊富な食資源を背景に、上方の味覚から江戸の味覚となり、日本橋、築地を代表とする市場、輸送環境を背景に、江戸の味から“東京の味”へと発展してきた。Vol.65・特集『東京釣り探訪』では、そうした江戸前の食文化を魚食料理研究家の冨岡一成さんに詳しく解説いただいている。
「江戸前の海は、多摩川や隅田川、中川、江戸川など、大小の河川から土砂と一緒に豊かな栄養分が運ばれてきます。また、湾口からは伊豆七島を北上してきた黒潮の分流が、内海深くまで入り込み、それらが入り交じり、変化に富んだ漁場を形成しています。さらに河口付近の淡水と海水が出合う汽水域では、塩分濃度の濃淡が段階的に分布して多様な生物相が現れます。とくに河川のもたらす土砂が、長年の潮の干満による堆積と移動の反復で干潟を形成し、そこにはアサリ、ハマグリ、シオフキ、バカガイなど浅海性二枚貝があふれ、深場から上がるシバエビ、シャコ、ハゼ、タナゴ、カイズ、シロギス、アオギスなどにも恵まれます。そして湾外からは、セイゴ、サヨリ、コノシロ、ボラ、アナゴ、ウナギ……、あらゆる魚群が寄ってきました。
こうした洲場が上総富津崎から相州本牧鼻辺りまで、沿岸をめぐるように広がり、その外側、泥底の平場ではエビ、シャコ、カレイ、フグ、アンコウ、サメ、カマスなどが、ぞくぞくと漁獲されてきました。さらに湾口付近の岩礁域には、タイ、カサゴ、スズキなど。明治時代の記録では、洲場の魚種22種、平場31種、磯場34種、これに貝類、甲殻類、頭足類、海藻類あわせて128種もの魚貝類が東京湾で漁獲されていました」と冨岡一成さんは語る。そして、このように恵まれた土地に生まれた江戸市中の人びとが、うまい魚を食べることに並々ならぬ意欲を持ったのも当然だろうと。
また17世紀、房総地方沿岸に一大イワシ漁場を発見した紀州出身の漁師によって伝えられた醤油の醸造法は、銚子や野田を産地とする濃口の地廻り醤油に成長し、利根川水運によって江戸に運ばれた。色や香りを抑えた上方の薄口醤油に対して、香りの強い関東の濃口醤油が江戸の味覚の基本となり、とりわけ魚を食べるのにうってつけとなった。
さらに、江戸時代後期に国産砂糖が普及すると、江戸では醤油による砂糖の甘辛い味が考案される。また、ドジョウ汁などの鍋料理に欠かせない江戸甘味噌も、同じ頃に生まれており、甘くて濃い江戸の味覚の誕生は、上方の下りもの文化との決別を象徴するものだったという。
それは、現代の東京フードにつながる画期的な出来事であり、もっと端的に言うのなら「魚をおいしく食べるバリエーション」が格段に増えたことにほかならない。そして、こうした新しい調味料の発見は、江戸の「外食文化」の発展に大きく影響を与えたそうだ。
それまでの武家社会では、食を他人の手に委ねる外食は不覚とされ、長い間、江戸の町には飲食店すら存在していなかった。しかし、頻繁する大火などの災害時には、救民食として荷売りや屋台売りなど、調味料をふんだんに使った即席料理を口にする機会が増え、結果的に外食への抵抗は薄れいく。やがてファストフードの元祖であろう簡素な飲食店から、後には本格的な料理屋までが現れ、とくに男性比率の高い江戸は、外食が独身者の心身を養う重要な糧となったという。
「外食文化の発展においても主役は魚でした。なかでも江戸人が愛してやまないウナギ料理は、そのもの『江戸前』と呼ばれていました。また、天ぷらの元祖は安土桃山時代に南蛮から伝えられた料理法といわれ、上方では早くに『つけあげ』の名で広まりましたが、これは野菜の胡麻揚げでした。やがて江戸前の魚貝と結びついて、季節ごとのタネを楽しめるふわりとやわらかい今日の『天ぷら』が生まれました。そして、元は手間をかけた保存食の『すし』だが、気の短い江戸っ子は熟成を待てず、何たって魚は生がいちばんうまいので、酢飯と山葵を利かした素晴らしい『江戸前ずし』を発明してしまった」と、冨岡さん。
現在、漁場としての江戸前の海は、残念ながら明治中頃からの京浜地帯の工業化、都市化によって魚群は徐々に減り、昭和37(1962)年12月に東京内湾奥部の漁業4000世帯が一斉に漁場を全面放棄したことで、江戸前漁業は事実上、終焉を迎えることになったという。
しかし、江戸時代に日本橋から始まった魚河岸は、関東大震災の消失によって築地に移り、現在は豊洲の地で魚河岸文化が脈々と継承されている。さらには、世界中から最高の魚介類が豊洲に集まることで、江戸の食いしん坊たちが見たら目を見張るであろうコスモポリタンな東京前魚食文化の発展が期待される。