取材・文◎フィッシングカフェ編集部
写真◎磯貝英也
あまりの強風で中止を余儀なくされた初日にくらべ、青ヶ島釣行二日目は、絶好の釣り日和となった。風は強いが北東風に変わり、島の南西部にある三宝港は、城壁のように急峻な外輪山がその風を遮り完全な風裏となり、朝から多くの島民が釣りに興じていた。
かつて、大橋巨泉が司会を務めた深夜番組「11PM」の釣り情報コーナーにたびたび出演した伝説の磯釣り師・井ノ口和雄氏が著した、『離島の大物釣り』(東京書店・1969年)というガイドブックがある。473頁もあるその玉書は、前編が釣技、後編が釣り場ガイドという構成で、釣り場ガイドでは日本全国の離島を網羅している。
そのなかで青ヶ島は、「東京都下であっても、不便さにかけては、おそらく薩南諸島トカラの臥蛇島(がじゃじま)、沖縄の北大東島をしのぐ日本一の孤島であろう」と記されている。と今回、本誌の特集で青ヶ島の釣りをレポートした松林眞弘さんは言う。
「20年近く前、年に6~7回、大物メジナ狙いで八丈島に足繁く通った時期がありました。あるとき八丈小島に渡礁して竿を出すと、メジナだけでなく底物も浮いてきて、かなり釣れたことがあったのです。八丈島に戻る途中、渡船の船長に『どうでしたか?』と聞かれて『最高の釣りでした』と話をしたら、船長に『いやいや松林さん、底物ですとイシガキダイがバンバン釣れる場所がありますよ』と言われました。で、『それ、どこですか?』と聞いたら、『もう1週間こちらに居られるのなら、連れて行けます』と。それが青ヶ島でした。ですから青ヶ島で竿を出せるのは、20年越しの私の夢なのです」
松林さんは、島へ渡る1カ月前から電話を片手にヘリコプターの行き帰りの予約を行い、少ない座席を何とか確保した。また、島ではアミエビ、オキアミしか釣り餌を調達できないと知り、底物用の冷凍カニをネットオークションで手に入れて持参し、冷凍ムロアジは八丈島で仕入れた。その冷凍カニが、今回大当たりしたのだ。
1㎏ほどのイシガキダイの幼魚が面白いように釣れ、たまにやや口の白くなった2㎏も混じるといった状態。昼過ぎまでに10尾以上のイシガキダイをリリースした。期待した大物までは届かなかったが、初の青ヶ島の釣りに十分満足している様子だ。
また、桟橋には島民釣り師たちが、入れ代わり立ち代わり訪れ、遠投カゴ竿をブンブン振り回している。狙いは、シマアジやカンパチなどの青物だ。なにしろ、青ヶ島の村長さんまでが公務の昼休みにやってきて、桟橋の突端に立って遠投竿を握っているほど。しかも狭い島なので、当然皆さん顔見知りだ。竿を並べ、和気あいあいと釣りを楽しむその姿を見ていると、この三宝港の桟橋は島民の憩いのサロンであることがわかる。
話を聞くとこの島には、居酒屋が2軒、雑貨店が1軒しかなく、釣りは島民にとって最高の娯楽であり、桟橋は情報交換の場でもあるという。また唯一の港である三宝港は、潮目が荒く漁船を係留することができず、漁業に携わる人はほとんどいない。そのため新鮮な魚を得るためには自分で釣るのが基本で、実益も兼ねているのだという。
多くが島民釣り師であるなかで、島外からの釣り人は2名のみだった。その一人、東京都練馬区から来た紺野均さんは、ムロアジの死に餌の泳がせやカゴ釣りで、シマアジ、クチブトメジナなどを狙っており、「一昨年、30kgほどのカンパチが群れて泳いでいる姿を見ました。ここは何が起こるかわからないんです!」と言う。また茨城県つくば市から来た金子真一郎さんは、「青ヶ島は狙おうと思ったら、何でもできます。だからあえて絞り込んでみました」と、クルマエビをウニで挟んだ特殊な餌で徹底的に石物を狙っていた。そして、お二人とも口を揃えるように「青ヶ島は釣り人にほんとうに親切なんです」と話す。
そうした賑わいのなかで陽が西に傾くと、目の前で大きなカンパチが跳ねた。そして、シマアジが釣れだしたかと思うと、シオゴ(カンパチの幼魚)の群れが集まり、潮が緩くなるとサメやウミガメが撒き餌を狙って、鼻でコマセカゴを突っついた。
三宝港の桟橋で竿を出していると「三宝」の名のごとく、島の周囲を回遊する多くの魚の群れが、竜宮城で泳ぎ遊んでいるようだった。2泊3日の釣行だったが、これだけ魚がいると焦ることもなく、かえってのんびりできる。島には餌もオキアミとアミエビしかないが、なんでも揃っているよりも足りない状態の方が、釣り人同士で互いに助け合って健全な人間関係ができるように思う、と松林さんは言う。そして、最終日は陽が沈むまで竿を振り、暮れなずむ美しい桟橋を後にした。