2020
06.26
Vol.65 ③ 特集◎火山島の磯釣り、秘境・青ヶ島
― 東京・伊豆七島を代表する底物の聖地 ― 番外編(前編)

写真提供: 海上保安庁

釣りの聖地に伝承された木霊信仰

取材・文◎フィッシングカフェ編集部
写真◎磯貝英也

 東京から360キロほど南下した太平洋上に浮かぶ青ヶ島。一番近い八丈島からも南へ71.4キロ離れているこの島の特徴は、世界でも珍しい二重カルデラの複成火山の島であることだ。カルデラの中央には丸山という内輪山があり、その丸山を外輪山が取り囲む。集落は北部に集中し、村役場を中心に東側の休戸郷(やすんどごう)と西側の西郷(にしごう)の二つ。港は島の南西部にあり、集落から遠く離れた断崖絶壁下の三宝港のみだ。青ヶ島へは八丈島から定期船が出ているが、港の形状が悪く天候の影響を受けやすいため就航率は極めて低く、島外への足は旅客ヘリコプターが主となる。

旅客ヘリは八丈島からの1日往復1便のみ。1カ月前からの予約できるが、座席が9席のためすぐに満席となる。

 しかし、そんな絶海の条件が幸いし、島自体が天然の漁礁となり、夏から秋にかけてはカンパチやヒラマサ、シマアジなどの青物が釣れ、1年を通してイシガキダイやアカハタといった高級な根魚も港から釣れるほど魚影は濃い。運よく定期船に乗れるか、ヘリの少ない座席を確保し、なんとか島にたどり着くことさえできれば、そこは釣り人にとってパラダイスともいえる場所だ。
 本誌65号の特集記事「過去から未来へ、東京釣り探訪」のなかでは、そのダイナミズム溢れる釣りを、淡路島在住「淡路魚釣り文庫」主宰、本誌の連載記事『絶版図書の冒険』の著者である松林眞弘さんにレポートしてもらっている。

 その松林さんとの青ヶ島・三宝港での釣り初日。前日まで居座った低気圧が北へ抜けたが風が回り込み、空は申し分ない晴天なのに北西風が強く、南西に突き出た大きな桟橋に波が押し寄せては砕け、とても釣りどころではなかった。

強風のなか八丈島から「あおがしま丸」が到着。大急ぎで係留用のロープをもやう。季節風や天候の影響を受けやすいため、就航率は極めて低い。

「風が北に回れば竿が出せるはず」と、わずかな望みを持って港湾駐車場で弁当を広げ、腹に収め待ったが、風は北どころか西に回り始め、期待は急激にしぼんだ。
 釣りをあきらめ、宿へ戻るには内輪山の近くを通り抜けなくてはならず、三宝港から急な坂を上り、外輪山を貫く長いトンネルを抜けると、蒸気が噴出する池之沢地区となる。池之沢地区のなかの原生林の奥深くには、地熱を利用した「ひんぎゃの塩」製塩所と隣り合わせに「青ヶ島村ふれあいサウナ」がある。そこで宿に戻る前に、製塩所の見学を兼ねて汗を流していこうという事になった。
「ひんぎゃの塩」は、この島の火山の蒸気と黒潮の海水で作られる塩。豊富なミネラルがほのかな甘みを感じさせ、東京の一流シェフも絶賛するほどだ。また「青ヶ島村ふれあいサウナ」は、島民の憩いの場にもなっており、釣りを含めさまざまな情報が得られるという。

写真手前の建物が、池之沢地区に噴出している「地熱」を利用した天然サウナ「青ヶ島村ふれあいサウナ」。その後ろが、地熱釜を使った「ひんぎゃの塩」の製塩所。「ひんぎゃ」とは、「火の際(ヒノキワ)」が語源となっている島言葉。池之沢地区では、この「ひんぎゃ」と呼ばれる水蒸気の噴出する穴が無数に見られ、電気がない時代に暖房や調理に利用していたという。

 残念ながら製塩所では窯炊きを行っておらず、見学はできなかったが、サウナはすごかった。マグマのエネルギが―が遠赤外線の塊となって全身を包み、長旅の疲れどころか身体の悪いものが、すべて汗とともに発散されるような印象だった。しかも、サウナを出てからも汗は引かず頭はボーっとして、常に身体から何かが出続けている印象なのだ。
 その状態で車を運転していてつい、大小2つの旧火口を持つ内輪山の森で道に迷ってしまった。

天明の大噴火(1785年)で隆起した、大小2つの旧火口を持つ内輪山。かつて火口内に大池、小池と呼ばれる2つの池があった。縞模様に見える背の低いところは、ツバキの木が植林されており、丸山一周遊歩道を歩くと、季節の草花や鳥たちに出会えるという。

 その森は噴火以来、明らかに人の手の入っていない原生自然が残る印象だった。「谷を渡る」という語源からくる巨大なオオタニワタリやシダ類が群生し、恐竜が闊歩したジュラ紀を彷彿させるほどの風景だ。しかも、大きな外輪山が壁となり風を遮り、亜熱帯の温暖な気候と火山の地熱が穏やかで不思議な空間を創り出している。その湿潤な森のなかで、幹の上にいくつものオオタニワタリを着生させた、ひときわ目立つ一本のスダジイの木を見つけた。
「なんだかこの森、すごいなぁ。それにこの木、不思議やね。オオタニワタリがまるで妖精のように見えるし、迫力あるねー」と、松林さんは樹上を見上げる。
 確かにそのスダジイには、存在感があった。オオタニワタリを肩に乗せ、樹皮はところどころ苔に覆われ、一言で言うのなら「森の長」というような風格を持つ。太古の時代からここに存在し、火山活動と共に変化してきた青ヶ島の中で、種子を残し、適応し、脈々と生き永らえてきた生命の痕跡を垣間見ることができるのだ。

オオタニワタリを肩に着生させたスダジイの古木。森の奥にはさらに巨大な古木があるという。

 何とか宿に戻る道を見つけ、樹海の中の道をゆっくり走らせると、平地の畑が現れた。作業しているお爺さんがいたので車を止め、「何が採れるのですか?」と、声を掛けると、イモ類だという。ここは、サツマイモやジャガイモが地熱のせいか良く育つ。しかも、ジャガイモでさえ甘くなるという。

限られた小さな畑では、おいしいイモ類が収穫されている。また、11月後半でもハイビスカスが咲き、外輪山の中は北風、西風にも守られ南国のようだ。

 今見てきたスダジイの古木の話をすると、青ヶ島には民間信仰のひとつに「木霊様(キダマサマ)」という話が伝承されているという。
 お爺さんの話を要約すると青ヶ島では、山中の大木の根元には、かつて祠(ほこら)を設けて「キダマサマ」「コダマサマ」と呼び祀っていた。必要に迫られ、山で木を伐採するときも「キダマサマ」の宿る木を必ず一本残し、家の棟上げ式にでは、材木からキダマを落とす儀礼が見られ、神社には「大木玉様」や「木玉天狗」という神が祀られているという。

オオタニワタリは、南方系のシダの一種。岩の上や樹木に数段になって着生する姿は、まるで東南アジアのようだ。3月から5月が芽吹きのシーズンで、石垣島では新芽を茹でて鰹節とだし汁でおひたしなどにするが、青ヶ島では、このオオタニワタリの葉っぱから自然繁殖させた麹菌を使い、特産の焼酎「青酎」造りに利用している。

 島の樹木は限られており、大木の数は少ない。おそらく「樹木をむやみに伐るな」という戒めも含めた、信仰の名残だろう。また、これと同じような信仰が八丈島の三根地区でも伝えられており、木を伐る際には必ず「キダマサマ」にお許しを請う風習があったという。
 樹木は、大地に深く大きく根を張る生物である。特に巨木になればなるほど、より根の張るエリアは広大する。こうした大樹に守り神が宿れば、その土地自体が守護されることになる。これが木霊を崇拝する理由であり、神社などで「ご神木」が設けられている理由のひとつにほかならない。しかし、そういった信仰とは別に人々の体験的な記憶から、大樹は人間を含むあらゆる生物を支え、青ヶ島という絶海の孤島で暮らすためには、その木を守ることは、自分たちの命と未来を守ることであると気づいていたのだろう。
 森が豊かであれば、海も豊かになる。島全体が天然の漁礁ともいえる青ヶ島で、木を伐ると祟りがあるという「キダマサマ」の言い伝えは、生物環境学的に見ても、まさにそのものずばりの話なのだ。

松林眞弘(まつばやし まさひろ)
1956年兵庫県洲本市生まれ。『淡路魚釣り文庫』代表。釣り関係の絶版本、稀覯本の収集家として蔵書8000冊以上。釣り歴は長く、伊豆七島の底物・上物釣り、渓流釣りからヘラ釣り、ジギングまで多種にわたる。

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