取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎隈 良夫
船中での3日分の食料や真水のほか、予備の物資を積み込んだ第五寄宮丸(以下:寄宮丸)は、午前10時半に那覇・新港埠頭を出船。通称「那覇一文字」と呼ばれる沖堤防を抜けてから1時間ほどで、渡嘉敷島南端を通り過ぎた。
さらに慶良間群島から20kmほど真南の洋上に差しかかると、寄宮丸の60フィート/16トンを支える630馬力2基のエンジン音は、次第に静かになり速度を落とした。そして、森山紹己(もりやまつぐみ)船長の「さぁ仕掛けを用意して!」の声を合図に、臨戦態勢へと入る。
泳がせ釣りの生命線ともいうべき、大切な生き餌であるムロアジを釣るためだ。
沖縄での生き餌で最もポピュラーな魚はグルクン(タカサゴ)だ。それ以外の魚でも食ってくるが、ムロアジの食いつきは別格だと森山船長は言う。ムロアジをコンスタントに確保することができるか否かが、この釣りの釣果を大きく左右するのだ。
今回、乗船した4人の釣り人たちは、その重要性を十分に心得ており、仕掛けを下してから甲板での動作に無駄はなく、連携し合いながらムロアジを生け簀へ放り込んでいく。しかしその日は、ムロアジの警戒心が強く、ソナーで群れを追いかけるような拾い釣りとなった。そして、一定のムロアジを確保したところで船は北西へと進路を取り、追い風に乗って最高速度で久米島の北約28kmに位置する鳥島を目指した。
この鳥島は、沖縄県最北端の硫黄鳥島とは別の島だ。別名「久米鳥島」と呼ばれ、久米鳥島と硫黄鳥島は直線で200kmほど離れている。
渡名喜島を過ぎた頃から、空模様はいつ雨が零れ出してもおかしくない状態となり、鳥島に着いた頃には、海と空の境界線はかすかに残るほどになっていた。
寄宮丸は普段は日帰りの遊漁も行っているが、最も特徴のある釣りが、カンパチやGT(ロウニンアジ)など、大物を狙っての「2泊3日の遠征釣り」だ。船中泊を始めたのは今から18年ほど前で、それ以前は遠征先の離島で民宿泊を行っていたという。
大物を狙う場合、どんなに早く出船し遅くに納竿しても、日帰りでは限界がある。そのため船中泊は、少しでも長く釣りをすることで、大物を釣ってもらう可能性を広げるためだったという。しかも、船中泊の場合、宿を基準に考えなくてよいため、遠征先を遠くに設定でき、そのぶん広範囲にポイントが探れ、秘境と言われるような海域にも足を延ばすことができる。
時化のときには港に逃げ込むことも可能だが、停泊場所は波や風の影響を受けず、できるだけ人工的なものが見えない島影を探すという。船内には、常時お湯の出るシャワーを含め、簡単なキッチンや8名分のベッドが装備され、快適な釣り旅が堪能できるのだ。
初日、鳥島付近での釣りは、何人かの60号(240ポンド)のナイロンリーダーがあっさりと切られたほかに、大きなアタリもなく玉砕。翌日は参加者の一人が7∼8㎏のイソマグロを釣り上げるが、この日も60号のリーダーがあっけなく、ブチ、ブチと切られる。さらに午前11時を過ぎた頃からサメの猛攻にあい、貴重な生け簀のムロアジがどんどん消費されていく。サメが群れを成して船を取り囲むような状態になってしまったのだ。
そこで、鳥島周辺でムロアジの確保を図るがまとまった数は釣れず、グルクンが確実に釣れる慶良間諸島へ向け疾走した。
遠征釣りのリスクは、行った先でしか情報を得られないことだ。そういった不確定要素をどう解き明かすか? どう対処するか?
そこが、この釣りの面白さでもある。森山船長は、『いつもはいつもじゃないのが遠征釣りです』と言う。それにしても、初日、2日目を合わせてイソマグロ一尾のみという貧果はつらい。船長も参加者も、若干の焦りが出てきてしかるべきだが船中は妙に穏やかで、参加者は今できることを粛々と行っている。
座間味島沖では船長自ら竿を出し、まとまった数のグルクンを釣り上げたが、生き餌は多ければ多いほど安心だ。夕食後もライトタックルを片手に参加者全員が一丸となって、あらゆる魚を生け簀に放り込む。生け簀の中を見るとグルクンやムロアジの他に、2kgほどのアカイカやオジサン、シマイサキまで泳いでいた。そこには、背水の陣を払拭しようと闘志を燃やす釣り人たちの、最終日にかける意気込みが凝縮されていた。
最終日は前線の動きが思ったより速く、この遠征で一番の天気となった。そして、午前10時、一人の参加者が良型のカンパチを連続で食わせたのを合図に、怒涛の大物ラッシュとなる。もちろん全員、リーダーを80号以上に替えている。
10kgを超えるイソマグロが次々にベイトを呑み込み、待望の30kg越えのカンパチや、普段はあまり見られないバショウカジキまで食ってきた。さらにポイントを移動し、オモリを外しフカセでの生餌を流すとGTラッシュ!
50kg越える大物GTまで上がり、これまでの不調が嘘のような1日となった。まさに、何が起こるかわからない遠征釣りの醍醐味だ。
今回の遠征で大物の食いが立ったのは、たったの5時間。そのわずかな時間に逆転劇をもたらした要因は“船中泊遠征”により、長時間洋上にいられたことが最も大きなアドバンテージだ。さらに参加者が最後まで粘り釣り続け、森山船長も徹底してサポートする個々のパワーが、大きなドラマを創り上げたのだ。
「釣れる、釣れないを海のせいにしたくないですね。何か原因があるんです。その原因が何か、どうやったら大物が釣れるのかを考えるのが楽しいのです。船中泊遠征釣りには、そのための時間がたっぷりあります」と、森山船長は言う。
森山紹己 (もりやまつぐみ)
1958年沖縄県生まれ。1970年に父親が那覇市内に「寄宮フィッシングセンター釣具事業部」を設立以来、釣り具の販売や一般的な遊漁船等を営むほか、ホエールウオッチングなど海のレジャー開発も行ってきた。240ポンドのリーダーが切られ、ロッドクランプが折れ曲がる巨大カンパチのファーストランを目の当たりにしたことで、多くの人に沖縄の大物釣りの醍醐味を知ってもらいたいと、徹底的にパワーフィッシングにこだわる。