取材・文◎編集部 写真◎能丸健太郎
限りなく透明な身の「イカの活き造り」発祥の店『河太郎』で、その技のすごさを目の当たりにした翌日、取材陣は呼子町の隣の鎮西町に拠点を構える遊漁船「八丸」の船上からアオリイカを狙った。
今回の取材の執筆を担当した滝徹也氏は、釣りはもちろん釣魚料理にも関心が高い。
「釣り人というものは、なんでもすぐに自分でやってみたくなるんです。『河太郎』で見たこと、そして教えてもらったことを忘れないうちに、“自分で釣ったイカ”で試してみたくてしょうがないんです」と言う。
確かに自分で釣ったイカで活き造りをすることは、究極の贅沢であり釣り人冥利に尽きる。カメラマンも、釣りたてのピンピンしているアオリイカから、その身を醤油に浸し、口に運ぶまでの一連の写真を収めようとカメラを構える。
ところが、強い志を持って臨んだにもかかわらず、「八丸」を係留している串浦のアオリイカは、一枚上手でかなり手こずった。
船長の八田雅司さんは、深場の湾内沖と岸際まで餌木で広範囲に狙えてアオリイカをよく目にする、海上生け簀の横に船を着けた。滝氏はその期待に応え、見事一投目からアオリイカを乗せるが、フッキングが弱かったのか、取り込む寸前にバラしてしまう。これが痛かった。
目前の港の岸壁では、地元の高齢のご夫婦が何気なく餌木を投げ、まるで自分の庭で野菜を収穫するように、アオリイカを2尾釣り上げると、早々に仕舞い支度を始めている。もう、時合いが過ぎたということなのか?
その後、滝氏はあらゆる可能性を探りながらキャストを続けるが、アオリイカは乗ってくれない。ベテランの釣り師といえども焦りもあるだろうし、「自分で釣ったイカで活き造りをする」ことへの期待とプレッシャーは、相当なものだろう。
最初のバラしから2時間ほど経ったころだろうか。12月初旬の陽光は、午後2時を過ぎると急速にその力が衰え、一陣の北東風が湾内を通り抜けたかと思うと、ガクンと気温が下がった。
その瞬間だった。「乗りました、乗せました!」と、滝氏の嬉しい声が上がると同時に「カシャ、カシャ、カシャッ」と、カメラマンの連続シャッター音が響く。苦労の末の待望のアオリイカは、2kg近い大物だ。
滝氏は手際よく墨を吐かせ、「いよいよ、活き造りを作ることができます」と、弾んだ声でアオリイカをまな板の上に載せ、捌きにかかる。しかし、見るのと実際に自分で捌くのとでは、かなり勝手が異なるようだった。
普段から釣ってきたイカは自分で捌き、家族とおいしく食べているというが、釣り上げたばかりのイカに手を焼いている。
「生きているイカは、まな板の上でツルツルすべってしまうんです。当たり前なのですが、シューシューと水管から空気を送り出し、激しく怒って暴れるし……。生きたイカを捌き慣れていないので噛まれるのではないかと、これが結構怖いですね」と滝氏。一難去ってまた一難である。
実際に『河太郎』で見た作り方を試してみると、生きたイカの軟骨状の背骨に沿って包丁を入れ、身だけを切り取ること自体が、かなり高度な技だとわかる。しかし手をこまねいていては、せっかくの釣りたてのイカが、どんどん弱ってしまう。そこでやむなく柳刃包丁の先端で脳天をひと突きし、おとなしくなったところで捌いていく。
『河太郎』で見た通り皮を剥ぎ、身の裏側に5mm間隔で細かく切れ込みを入れた。すると確かに、丸まっていたイカの身が板状に広がり、短冊状の刺身にしやすい状態になった。そこで表側(皮が付いていた面)を上にし、短冊状に切りお造り風に仕上げる。
残念ながら“活き造り”とはならなかったが、釣り上げて間もないので、身は透明さを保っていた。
「釣り人が贅沢だと思うのは、魚やイカを自分の好みの状態で食べられることだと思います。コリコリ感が好きならば、釣ったその日に食べればよいし、より強くうま味を味わいたいのであれば、何日か寝かせて熟成させればよいわけです。
鮮魚店やスーパーで買ったイカは、獲ってから数日経っているものがほとんどで、コリコリとした食感を味わうことは難しい。“食感を楽しむ”という行為は、漁師か釣り人にしかできない贅沢です。逆にこの食感を釣り物以外で味わいたいのなら、『河太郎』のようなイカの活き造りを出すお店に行くしかないですからね」と滝氏。
『河太郎』の先代社長は、漁師の船に乗り「こんなにうまいものは、みなさんに食べさせなければいけん」と、生きたままのイカを搬送し、生け簀を造り、調理法まで編み出すことに半生をかけた。実際に自分もアオリイカを釣り、見よう、見まねで調理してみたが、その苦労は並大抵ではないことがよくわかった、と滝氏は言う。
限りなく透明なイカの身のおいしさを教えてくれた『河太郎』先代社長に感謝である。