取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎能丸健太郎
午前9時。年の瀬の兵庫県明石市本町にある「魚の棚商店街」は、正月の縁起物「睨みダイ」を焼き上げる芳醇な香りに包まれていた。
「睨みダイ」とは、京都、大阪などの関西一部地域で“正月に飾る、尾かしら付きの塩焼き鯛”の総称だ。正月の三が日は見るだけ(睨むだけ)ですぐには食さず、数日置いてから箸をつける風習から「睨みダイ」の名称となったといわれている。
正月の食卓にマダイを配膳するが自分たちは箸をつけず、先に神様に食べていただこうという、“神仏への祈り”が込められた古式ゆかしい風習だ。
「マダイを『めでたい』といって、縁起物として食べるようになったのは、武家社会の影響だと思います。御公家さんが好んだのはコイでした。武家は見た目もりりしいしことからマダイを好みました」と、明治45年(1941年)創業の老舗焼き鯛専門店『魚秀』の4代目、三好規之さんは言う。
『魚秀』の調理場では、串刺しにされた何十本ものマダイが、数メートルある炭火の囲炉裏の上で踊っている。約40分間かけて、弱火でじっくりと焼かれ脂の乗った身は、蒸し焼きのようにふっくらとしており、見ているだけで五臓六腑を大いに刺激する。
『魚秀』では、明石沖の“前モン(天然マダイ)”と、瀬戸内海の養殖マダイの両方を扱っている。食べ比べてみたがどちらも味は抜群だ。特に秋の紅葉鯛と呼ばれる前モンは、潮の流れが速いところを泳いでいるため、体が筋肉質で身がしまっており、しっかりとした味わいがある。比べて瀬戸内海産の養殖物は、脂が乗っており身がふわっとしている。天然物か養殖物か、どちらの食感と味を求めるかは好みが分かれるところだ。いずれにしても炭火焼きの遠赤外線は、食材を存分に生かしてくれる魔法のような効果が期待できる。
焼き鯛に調理するマダイは、締めてから1日か2日置いてからの方が、うま味が乗るという。身が“いかっている(硬直している)”ときに焼くと、活きが良すぎて身が骨から外れてしまうそうだ。
また焼き色は、養殖物は天然物に比べて脂が乗っているので飴色になり、天然物はオレンジがかった少し薄い飴色になるそうだ。年末に購入して玄関先など暖房が効いていないところに保管しておけば、お正月の三が日は十分持つという。
この焼き鯛を『魚秀』では、年末だけで4000~5000尾調理し、全国に発送している。宅配便が普及したことで姿焼きで送れるようになったが、それ以前は、素焼きにして三度笠の笠に入れて重ね、貨物便で送っていたそうだ。流通が速くなったことで塩を強くする必要がなくなり、また最近は健康志向も手伝って、穏やかな味の仕上がりになっているという。
「睨みダイも普段の焼き鯛も、身を食べた後の骨からいい出汁も取れます。とくにマダイの骨はうま味たっぷりですから、無駄になる部分がありません。食べないのは下処理をしたときに出る内臓とウロコくらいです。“命を無駄にしないですべて使い切る”点は、日本人らしい食文化だと思います」と三好さんは、焼き上がった飴色の焼き鯛を持ち上げる。
縄文の遺跡から出土するおびただしいマダイの骨。神話にも登場し、元禄時代に編纂された庶民の日常食糧について解説した『本朝食鑑』をはじめ、天明5年(1785年)に発刊され庶民の間で大反響を得た『鯛百珍秘密箱』など、他の食材と比較して、マダイの献立は群を抜く。その人気食材であるマダイを確保、保存するための技術は、釣り人や漁師たちによる模索の結晶であり、日本の水産資源開発に多くの功績を残してきた。
三好さんの言うように「命を無駄にしないですべて使い切る」日本人の美しい自然観・食習慣を象徴するのが『睨みダイ』であり、日本人のDNAには、そうしたマダイと食を巡るさまざまな蓄積がある。
魚秀
住所:兵庫県明石市本町1丁目4-3
TEL: 078-911-2537
http://www.akashi-uohide.jp/