2018
06.22
Vol.59 ④ 特集・湿原のカムイたち
「孤高の画家が残した釧路湿原の光と影」より

生涯を湿原に投じた画家・佐々木栄松の釣りと人生

取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎足立聡 取材協力◎『釧路湿原美術館』

佐々木氏が、おそらくロシアで購入したと思われるスプーンに手製のスピナー。そして毛鉤。釣り漫画『釣りキチ三平』(矢口高雄)のイトウ釣り編では、イトウ釣りの名人にしてルアーの研究家としても登場している。

釧路湿原のイトウ釣りは冬がシーズンだ。和かんじきは必需品。

「佐々木栄松えいしょう先生の作品は、年を重ねるごとに、どんどん良くなる印象があります。その大きなターニングポイントは、先生が50代の頃、10年をかけて世界を周ったことだと思います」と、『釧路湿原美術館』の理事長、高野範子さんは言う。
 釧路湿原の釣りと自然をモチーフに、没後、さまざまな分野から高い評価を受けた油絵画家・佐々木栄松氏。かつて作家・開高健氏との親しい交流の中で、“釧路湿原のイトウを釣る”という開高氏の望みをかなえた張本人でもある。それほど佐々木氏は、釧路湿原をはじめ道東の釣りに精通しており、並外れたその思いは、イトウをはじめとする魚たち、そして釣り人や釣りをテーマとした秀逸な作品に表れている。
 その佐々木氏の分散していた作品は、現在『釧路湿原美術館』に集められ、常設展示を行っている。

『釧路湿原美術館』では、佐々木氏が実際に使っていた絵画道具ともにアトリエが再現されている。

広々とした館内には、佐々木氏の作品がゆったりと展示されている。

 佐々木栄松氏は、1913年(大正2年)に北海道置戸町おけとちょうで生まれ、生まれてすぐに白糠町しらぬかちょうの庶路に引っ越す。父親は実業家で実兄は北京大学の教授を務めていたという。佐々木氏は幼少より絵の才能を開花し、釧路の印刷工場の社長に見込まれ、10歳で小学校を卒業し、印刷所の従業員として働き始めた。印刷技術はもちろん、商業デザイン、広告ポスターやパンフレット、商品のパッケージデザインなど、グラフィック関連の仕事はほとんどこなし、また、細胞の標本、戦争中は鳥観図も描いたそうだ。そして「自分は油絵の道を極めたい」という強い意志からその会社を退職し、本命である油絵の道に進む。その後、冒頭の高野さんのお話にあるように、1960年代に絵画の道具と釣り竿1本を携えて、世界のあちこちで釣りをしながら油絵を学んだという。

写真左が開高健氏。右が佐々木栄松氏。二人が手にする魚は、イトウの若魚。

『湿原のカムイ』著:佐々木栄松(初版本)
絵の道具と釣り道具を担いで湿原を探索踏破し尽くした佐々木氏が、画家の目と感性、釣り師の目と経験を通して描く、湿原とイトウの物語。初版は二見書房から1980年に刊行された。

「先生は帰国すると、『自分は日本人だ。日本人の油絵を描くんだ。西洋の真似はしない』と決心し、『自分は日本人の前に北海道人、北海道人の前に東方人(道東人)の絵を描く』と宣言しました。先生は“道東”ではなく、“東方人”という言葉をよく使われていました。
 本当に先生の筆が立ってきたのは、60歳になってからです。戦前や戦後間もないころの絵は、作風が全く違います。今『釧路湿原美術館』で常設している先生の作品は、60代後半から70代の作品です。画歴の中では最高の作品群です」と高野さんは言う。
 また、幻の魚イトウ釣りの第一人者として、釣り師の間で有名になったのもこの頃だ。開高健や福田蘭童、緒方昇、檀一雄など、同時代に釣りで名を馳せた文化人がイトウを釣りに北海道へ行った際には、必ずといっていいほど佐々木氏にガイドを頼み、ポイントだけでなく攻略法なども伝授したという。
 釣り漫画の傑作『釣りキチ三平』(矢口高雄作・画)のイトウ釣り編(単行本13~15巻)に登場する「鳴鶴先生」(イトウ釣りの名人にしてルアーの研究家、魚拓の達人でもある湿原の画家)は、まさに佐々木氏がモデルになっている。

『釧路湿原美術館』佐々木栄松氏の作品はここに所蔵されている。
開館時間:[4~10月]10:00~17:00、[11~3月]10:00~16:00
http://shitsugenmuseum.sakura.ne.jp/

写真右は『釧路湿原美術館』理事長の高野範子さん。左は館長の高野英弥さん。湿原の画家の素晴らしい語り人たちだ。

「『自分はこの土地で生まれて6歳から湿原を遊び場にし、釣りも6歳の時に柳の枝で竿を作ることを父親に教えられた。池を掘り釣ったアメマスを放し、そのピカピカした美しさに感動した。父親からは一切の財産をもらわなかったが、この6歳の時の体験が最大の財産だった』と本に書かれています。
 そして晩年、『なぜ、蛇行していた自然のものを変えたんだ。おかげで水量はものすごく減った。昔はある地点からある地点まで10時間かかった。それが今では渡って歩けるほどだ。人間は“自然を守る”と言っているけど、逆なんだ。湿原があることで人間が守られているんだ』と語っていました。先生の作品に出てくるサケの目は、何かを睨んでいます。その目が、まさに先生の目なのです」と、高野さんは言う。
 普通の画家は、観察するような視線でスケッチするが、佐々木氏の場合は湿原で野宿を繰り返しながら、全身で体感しスケッチしていた。そして、彼の人生のすべてが絵の中に入っていることが、画力のすごさにつながるではないかと高野さんは語る。

佐々木栄松(ささきえいしょう)
油絵画家

1913年(大正2年)北海道生まれ。北国の原野で育ち、石版印刷会社(リトグラフ専門の印刷所)に勤める。水彩、デザイン、石版画、グラフィックデザインなど多岐にわたりその才能を開花。特に油絵を本命とし、道東の風土を作品テーマの根底に置きながら、一貫して心象作品を制作。1963年から美術館の見学・取材、そして釣りなどの目的でソビエト連邦圏諸国、中近東、地中海諸国、西欧、北欧、北米、中南米、南米諸国を旅する。その後、日本人ならではの油絵に着手し、世界的な評価を受ける。2012年1月11日逝去、享年98歳。

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