2017
12.29
Vol.58 ① 巻頭インタビュー:近藤正臣
「晴れては釣り、雨でも釣りの俳優人生」より

郡上八幡に惚れ、吉田川沿いに居する

文◎遠藤 昇 写真◎知来 要



真夏の吉田川の水量は多く、強い流れにも負けずにアユは、岩や石に付いた苔を食む。そのアユを求め、多くの友釣り師が集まる。

 情緒あふれる郡上八幡の街並みを抜け、吉田川沿いに高山方面へ向かう「せせらぎ街道」を走る。摂氏30℃を軽く超える気温と、ミンミンゼミの大合唱。南西から吹き上げる8月の風は、河畔でアユ釣りに興じる釣り人に、つかの間の涼をもたらしている。
 橋の欄干にたたずみ、吉田川の強い流れに引き込まれるように下をのぞき込むと、藍色の深い淵に沈む大石の脇に、浮かんでは沈み、また沈んでは浮かびを繰り返すいくつもの魚影が見える。大石に付着した苔を食む、全国屈指の味を誇る吉田川の夏のアユの力強い姿が、そこにあった。

リビングの片隅に整然と片付けられた、釣り具や小物類。それを見るだけでも、近藤さんの釣りへの真摯なスタンスがうかがえる。

「よく遠くまでいらっしゃいました。暑いですから庭からお回りください」と、近藤正臣さんは、飾らない笑顔で迎えてくれる。
「郡上も夏は暑いのですよ。でも吉田川沿いのここは、夏は川下からいい風が上がってきます。それが良くて、良くて、40年経ってしまいました」
 デビュー以来、二枚目俳優として数々の舞台や映画、テレビドラマなどに出演し、近年では、NHKの大河ドラマや朝の連続テレビ小説をはじめ、数多くの作品に出演。さらに磨きのかかった演技を見せる近藤正臣さん。その近藤さんは、岐阜・郡上八幡の自然に魅せられ、仕事の合間に長良川に流れ込む吉田川に40年もの間通い続け、十数年前にその畔に「釣り小屋」と称する釣り専用の別宅を建てた。
 玄関の脇から自然樹形が大切に保たれた庭木が並ぶ、和風の庭へと案内され、その庭から家屋へとつながる広いデッキに通してもらう。するとそこは、近藤さんがおっしゃるように、吉田川のせせらぎから涼を含んだ川風に包まれていた。

河原の石の上に立ち、長い槍を構えるように竿を振る。ピンと背筋の通った近藤さんの立ち姿は、竿と一体となった凛々しいものだ。

「私は京都の祇園に生まれました。母の話では産湯は鴨川で、小さいころから川遊びが好きで、いつまでたっても川からは離れられません。川に立つのは、やっぱり嬉しいんです……ところで今日は、何時まで釣りましょうか?」
 冷たいお茶をふるまいながら近藤さんは、デッキの椅子に腰をかけると、茶目っ気たっぷりの笑顔で足元に置いてあった竿と道具箱を引き寄せる。
 そうして始まったその日の釣りは、近藤さんの郡上の釣り仲間とともに、朝10時から昼食をはさみ、午後4時過ぎまで及んだ。
 近藤さんはポイントに着くと、川からやや離れた高台に立ち、しばらく川の様子や魚のつき場を丹念に確かめる。入渓後に餌を振り込む順番を決めるのだという。年を重ねると無駄な振り込みを省くようになり、足捌きを意識した釣りになる。それでも、ここぞと思うポイントには執拗に食い下がるが、ダメなポイントはすぐにわかり、あきらめも早くなったという。
 結果、都合4か所のポイントを回り、ポイントごとに綺麗なアマゴを釣り上げ、役者らしい背筋の通った美しい立ち姿も含め、ベテラン釣り師の熟練の技を存分に披露してもらったのだ。

細いハリスを器用に結び、餌を付ける。そして郡上竿の伝統的な調子に仕上げられた愛竿“原点流”で釣った、胴が太く色彩が鮮やかな吉田川のアマゴ。

「郡上に来ると、いろいろな釣り名人がいます。アマゴ釣りの名人、アユ釣りの名人……。みんないっぱしの職漁師です。でも普通、釣り名人は魚や熊、鹿とは付き合えるけど、人間付き合いが上手ではないと言います。しかし、その名人の中でも釣りの聖人と言われた恩田俊雄さんは、人との付き合いにも長けていました。しかも、川やその周囲の自然が好きで、子供のように心が素直なのです。そうした人たちに教えられたのが、私の釣りの底辺になっています」
 近藤さんは郡上に通うようになり、まず畳屋の田尻さんという釣り名人と知り合いになった。田尻さんはその釣り姿を見ただけで、「この人はすごい釣り人だ」と感じる人だったという。その師匠筋にあたるのが恩田さんだ。その恩田さんからも、随分と手ほどきを受けたという。



餌のカワムシは現場で調達。そして釣り場で地元の釣り仲間と真剣にポイントを探る近藤さん。

「あるとき、恩田さんが『これ、自分が使ったものだけど、使いやすいから試してみぃ』と郡上竿を貸してくれたんです。それを風の強い日に振ったら、3つに折れてしまいました。申しわけなくて、どうしようかと思いましたよ。
 それで正直に『すみません、壊しました』と言ったら、『しょうがない、壊れるときは壊れるわ』と言って、しばらくしたら別の竿をくれました。恩田さんは、草の茎を使ってミミズ通しをするなど、仕掛けも全部自分で作って、その仕掛けが結び目まで美しかったですね。そして、90歳までお達者でした。
 一度倒れて、危ないというので病院に駆けつけたら意識を取り戻して、『三途の川はもういやや。あそこには魚がいない。やはりここがええ』というのが、最初に口にした言葉でした。釣りの鬼というか、すごい人ですよ」
 近藤さんにとって、恩田さんこそがいろいろな面で釣りの師匠だったと言う。しかし、郡上周辺には他にも古田万吉さん、通称“万サ”さんやその系統の安田城一さんなど、さまざまな伝説を持った職漁師がおり、その評判を聞きつけて、ひと目その釣り姿を見たいと日本全国から釣り人が集まる場所でもある。自分がこの土地に惚れたのは、そうした人々の話題が尽きなかったからではないか、と近藤さんは言う。

「子供のころから守りたかったものが、京都の鴨川や山や森でした。しかし、それは少年時代の思い出とともにあるものです。やがて40歳を過ぎたころに仕事で郡上を訪れたら、少年時代に鴨川で過ごした感覚が蘇ってきたのです。水の美しさに感激し、ダイビングスーツを身に着けて清流に身体を任せて潜ってみると、川の中にはサツキマスがいるし、見たこともない大きなアマゴもいました。そして、ウグイのアカハラの大群も迫って来る。“凄いところだな”と思って通うようになったんです」
 長良川に河口堰ができるなどして、昔のような川の姿ではなくなったけれど、長良川や吉田川には、まだまだ一級のアユやアマゴを育む力ある。その川をこの地で、川守のように生涯に渡って見守りたい、と近藤さんは言う。

近藤正臣(こんどうまさおみ)

1942年京都生まれ。1966年に今村昌平監督の映画でデビューし、1969年『柔道一直線』では足でピアノを弾いたことが話題に。その後数々の作品に出演し、幅広い俳優活動行う。近年ではNHKの大河ドラマ『真田丸』の本田正信役で名演技を披露。著書に『緑と水とわたしたちのくらしは今』近藤正臣、筑紫哲也、本多勝一共著(温羅書房)などがある。映画『嘘八百』2018年1月5日公開。

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