文◎本誌編集部 写真◎知来 要
本誌52号特集の『編集こぼれ話」前篇は、本誌巻頭エッセイを執筆していただいている湯川豊さんのお気に入りの宿、石川県の白山温泉『望岳苑』について。
ここ『望岳苑』は、1984年、年老いた釣り師たちの友情を描いた文学作品『秘伝』で直木賞を受賞し、昨年多くのファンに惜しまれながら亡くなった、作家・高橋治氏を中心に発足し、湯川さんなど多くの文化人たちによって開催されている「白山麓僻村塾」の会場となる宿。
石川県の霊峰、白山より湧き出る名水によって育まれた雄大な自然の残る白峰山とその山間にたたずみ、宿の名の通り日本三名山に数えられる白山を望む宿だ。
客室数は全7室6タイプ。客室数をおさえたことで、ゲストへの細やかなサービスが行き届き、どの部屋からも白山やブナの原生林を望むことができる。コンセプトは、滞在中は日常をすべて忘れ、心のままにくつろげるための空間だ。そのコンセプトどおり、長期でも短期の滞在でも、まるで自分の別邸に戻ってきたような気分になれる。
また、山菜やジビエ、川魚など白山麓の山里の食材を活かし、身体にやさしく、しかも彩り華やかな御膳料理は、「白山百膳」に認定されるほどのクォリティ。そして、一人静かに湯浴みできる香り高い檜風呂など、随所に旅人を和みの世界へと導く工夫がみられる。
そうした宿としてのベーシックなもてなしの他に、この宿の最大の魅力は、白山麓の力強い四季の移り変わりだ。雪解けを待ちかねて、辺り一帯に芽吹く種類豊富な山菜、夏の涼風にざわめくブナ等の落葉樹の原生林、色とりどりの紅葉、そして静かにしんしんと降り積もる幻想的な雪風景と、四季折々の風情を堪能できるという。そして何ともいっても、釣り人にとって最大のメリットは、釣り場へのアクセスの良さだろう。今回、案内していただいた湯川豊さんはこう言う。
「ここに泊まれば、いろいろな県の釣り場までに行きやすい。それもメリットのひとつです。石川県なら手取川の下流部まで行けますし、峠をひとつ越えれば福井県勝山市の九頭竜川の上流です。さらに上流部には大野市があって、そこも歴史深い非常に趣のある町です。また、九頭竜川の上流部には、すごく良い渓流釣り場がある。最上流部は、岐阜県に出ますから、足を伸ばせば郡上八幡へ抜け、太平洋側の川にも行けます。私は友人の車に乗せてもらって、黒部川の上流や庄川の上流へも行きました」
渓流でのフライフィッシングを長年にわたり楽しんできた湯川さんにとって、毎年この宿で開催され、ご自身も講師として参加する「白山麓僻村塾」の楽しみもあるが、その前後の釣りも、すこぶる有意義な時間だと言う。
「講演は、年に2回くらい行いますが、ご存じのように、ここには手取川の支流がたくさんあって釣り場としても関西で有名な土地です。僕も講演のついでに釣りの道具を持ってきて楽しみます。釣りと勉強とどっちがついでだか、わからないくらいです(笑)」と。
その「白山麓僻村塾」とは、どんな塾なのか簡単に説明すると、1988年に高橋治氏が「都会と地元の人々が一緒に考える生涯学習」のための、寺子屋のような場だという。もともとは「都会から来た人間が村の人々から学ぼう」というコンセプトだったが、高橋氏を中心に白峰村や勝山あたりの若者が20人ほど集まり、囲炉裏を囲みながら語らう交流のなかで、「せっかく来たのだから最初の30分くらいは、なにか話をして欲しい」となり、それが講座に変わったのだという。
講座の内容は、作家による文学的な話から、村の左官屋さんの素朴な疑問など多岐にわたり、これからの暮らしや価値観がテーマ。そうした長年の経緯のなかで、白峰村の村長と共同で宿泊施設を造ることになり、この『望岳苑』が生まれたという。
今回は、湯川さんの古くからの友人で、初代『望岳苑』の支配人を務めていた山口一男さんに、周辺の川や歴史的な名所を案内していただいた。
山口さんは現在、『石川県立白山ろく民族資料館』の館長。若い頃から釣りや自然科学が好きで、その知識は生半可ではない。
「古文書を見ると白峰地域では、幕府の役人が来た時は魚でもてなしたと書かれています。ヤマメとイワナだったと思うのですが、サクラマスは積極的に獲っていました。ウナギを獲ったという記述もあります。ウナギは白峰まで上っており、サケは白峰まで上らない、と書かれています」
また、子供の頃からイワナを釣り続け、毎年シーズンになると「朝仕事に行く前に釣りをして会社が終わってからも釣りに行く」というペースで、年間100日間もイワナを釣っていたという。
「この辺のイワナは、近年、色々な地域から魚を入れたので、かなり混じっているのでないかと思います。昔からいるタイプは、車で走っても気がつかないような細流にいて、体は黒っぽく、腹は赤みがかったイワナです。
私がイワナ釣りを始めた頃は、いくらでも釣れた時代で『川に入るとイワナを踏む』と言われていました。林道工事が始まった終戦当時は、工事の方が獲れただけイワナを樽で塩漬けにして、持って帰っていたそうです。それでも減らなかったほどです」
この辺りの山村は、地理的に日本海から物資が入りやすく、魚といえばイワシの塩漬けや身かきニシンを食べており、イワナを保存食にする習慣がなかったことも、イワナの魚影が濃かった要因ではないかという。また、白峰山の周辺の地層は古く、約1億年前の地層だ。そのため、恐竜に限らずさまざまな化石が発掘され、驚くことに南米など温暖な地域に生息する、世界でもっとも古いアロワナの化石も発掘されたという。
さらに湯川さんは、そうした考古学、地質学的な興味の他にこの土地には中世からの複雑で深い歴史があり、それもまた魅力のひとつだという。
「この下の吉野谷村や鳥越村は、一向一揆の本拠地でした。しかし、白峰村は一向一揆に参加しなかった。孤立して一揆には参加しないという選択をした。信長側でもない、一向側でもないその理由は、地理学的な部分もあると思いますが、古くから養蚕が盛んで繊維という産業が根付いていた土地だったからではないでしょうか」と、湯川さんは推測する。
「釣り人は、イワナを釣りに来てイワナだけを釣って帰るわけではない。太古から現代へと続く歴史やその上に成り立つ大自然を、一匹のイワナの中に感じている。そんな冷静な気持ちにさせるのは、やはりいい宿で泊まるからだろう」と、湯川さんは言う。『望岳苑』は、そうした宿の代表ではないだろうか。