取材・文◎フィッシングカフェ編集部 写真◎足立聡
35年以上前、自身の趣味である渓流釣りで出会った魚たちに魅せられた、木彫り(ウッドカービング)職人の中村俊幸さん。釧路湿原を取り巻く大きな循環を「流転する湿原」として捉え、渓魚や海洋生物の躍動感、存在感、そして湿原に宿る生命の尊さを木彫り(フィッシュカービング)という形で表現している。
その中村さんのアイヌ民族伝統木彫りの初めての仕事場は、アイヌの文化伝承者・著述家として、北海道文化賞を受賞した山本多助さんの息子、真一さんのお店だった。その後、3カ所のコタン(アイヌの集落)で暮らし、アイヌ民族の自然に対する捉え方を体験的に学んだことが、今の作品創りに大きく影響しているという。
その後、30歳で独立し、その頃からアメマスやヤマメなどの魚を中心に彫るようになり、「今も湿原の魚たちは僕の大切な作品のモチーフですが、その当時と今とでは作風はずいぶん変わっています。技術も上がっているのですが、彫り方も色も変わりました。そして、対象を見る目も研ぎ澄まされています」と、中村さんは言う。
また、魚を彫り出した当初は、魚の生存競争など“厳しさ”を彫りたいと思っていた。しかし、自然の中を釣り歩き、さまざまな気づきがあるなかで「もっと優しいのもいいかな」と、愛情を持って見るようになり、今は“命の躍動感”を念頭に作品を彫っているという。
本格的に流木を使った作品を手がけるようになったきっかけは、釧路湿原展望台に展示してある、1937年(昭和12年)に十勝川で捕獲された、2.1mのイトウを彫ったことから。
本来、材料は5年ほど乾燥させてから彫り始めるが、発注から納品までの期間が1年ほどしかなく、ある程度乾燥している材料は流木以外なかったからだ。そこで、釧路湿原を流れる釧路川流域のイチイの木の流木を見つけて制作したという。
「作品の腹部には、流木時代から残された傷があります。その傷も埋めようと思えば埋められたのですが、流木らしさを活かし、意識してそのまま残しました。現実には今、2mのイトウはいませんし、湿原自体も80年前に比べ傷ついています。そういうメッセージも含めて彫刻で表現したかったのです」
中村さんが流木を素材に使うようになって20年程だが、流木を見て、すぐに「これだ!」と感じることもあれば、彫って削っていく中で、形が見えてくることもある。そこが面白いところで、中村さんが流木を採取する海岸には、何百本も流木が流れ着いているが、1回に20~30本集められたらいい方だという。
しかも、持ち帰っても中が腐っているものもたくさんあり、実際に彫れるものは、そのうち2割か3割。それでも山に生えていた樹木が流され、削られて、河原や海辺にたどり着いた流木を拾ってきて木彫の材料として再利用することに、“尊い命の再生産”のようなものを感じているという。
「先日、
釣りをしていると生きものたちの、生き生きとした営みに出くわすことは、比較的多いと思います。昔から野生の世界が好きでしたし、ひとりで仕事をすることも好きだったので、釧路に住んでから27年間、時に近く、時に遠くから湿原を眺めていますが、釧路湿原は私にとって、一番必要なものです。むしろ釧路湿原があったからこそ、今があると思います。特にイトウには、思い入れがあります」
中村さんは、「会心の作品を彫り上げた瞬間は、大物を釣ったときの感動と通じるものがあるのでは?」と、聞かれることが多いという。しかし会心の作品というのは、なかなかない。完成した瞬間は「そこそこできたかな」と思うが、時間が経つと至らない部分が目についてくる。「50㎝のアメマスを目標にして釣り上げても、釣り上げた瞬間に目標は60㎝になっている。そういうところは、釣りに似ている」と言う。
少しでも会心の作品に近づけるように、釧路湿原のかたわらで「体力が続く限り釣りに出かけ、彫り続けていきたい」と語ってくれた。
中村俊幸(なかむら としゆき)
1960年釧路市生まれ。1980年、阿寒湖のアイヌ木彫りの工房に弟子入りし、30歳で独立。以後、好きな釣りを通して、渓流魚をモチーフにした作品や、流木の持ち味を生かしたスケールの大きい作品を発表。札幌など北海道の博物館、美術館等で精力的に個展を開催している。