取材・文◎本誌編集部
写真◎能丸健太郎、西野嘉憲
紅と朱で彩られたタイの図の背中の青い輝点はおろか、鱗(うろこ)一枚一枚の中にある微細な斑点も緻密に描かれ、鰭条(きじょう)の数も正確に再現されている。あまりのリアルさに浮き出ているかのように見えるが、それは決して目の錯覚ではなく、実際に紙面から浮き出しているのだ。輪郭に沿って切り抜いた魚図を台紙に貼り付け、鰓蓋(えらぶた)などを立体的に盛り上げて表現するなど、日本四大魚譜に数えられる『衆鱗図』には、江戸期の最先端の技法が随所に用いられている。その徹底したリアリティは、日本の博物学の歴史の中でも異質な存在感を放つ。
『衆鱗図』を含む『高松松平家博物図譜』が成立したのは、18 世紀中頃とされている。制作を命じたのは、高松藩5代藩主・松平頼恭(まつだいらよりたか、1711~1771年)。『高松松平家博物図譜』には、水生動物を描いた『衆鱗図』のほか、鳥を描いた『衆禽画譜』(しゅうきんがふ)、 植物を描いた『衆芳画譜』(しゅうほうがふ)、そして『写生画帖』の四種十三帖が残されている。それぞれ50枚または48枚の台紙と布貼りの表紙をじゃばら状につないだ画帖となっており、図とその名前を記した付札が貼り付けられている。
「『衆鱗図』がどのような目的で作られたのかは、文献をたどっても明らかにはなっていません。しかし、江戸中期の平和な世の中で、自然に対する興味関心が高まっていたことが時代背景にあると考えられます。16世紀前後に中国から入ってきた『本草綱目』は日本の博物学に大きな影響を与え、1666年には日本最古の百科事典『訓蒙図彙』(きんもうずい)が作られました。その後も貝原益軒(かいばらえきけん)が制作した『大和本草』に続き、『和漢三才図会』や『日東魚譜』といった博物書が次々に作られたほか、1730年代には幕府が各藩に動植物や鉱物などの産物の調査を命じ、その結果が『諸国産物帳』としてまとめられています。松平家の博物図譜も、その流れにあるものだと思われます」
『衆鱗図』を収蔵する香川県立ミュージアムの主任学芸員、鹿間里奈さんはそう解説する。時代の影響もあってか、頼恭は博物学に並ならぬ関心を寄せていたようだ。
その『衆鱗図』の実物を見た魚譜作家の長嶋祐成さんは、「画帖4冊、723点に及ぶ精緻な魚図は成立当時から高く評価され、転写を経て後の魚譜にも影響を与えました。入念な観察をうかがわせる形取り、豊かな彩色、切り抜きや金属箔を用いて立体や光沢を表現する創意。それらはサイエンスイラストレーションとしてのみならず、芸術性の面においても価値を押し上げていると思います」と言う。
長嶋さんが『衆鱗図』の実物と出会ったのは、2019年の春、香川県立ミュージアムで行われた「自然に挑む 江戸の超(スーパー)グラフィック-高松松平家博物館図譜-」展で、展示の目玉はもちろん『衆鱗図』だった。
「その素晴らしさは評判通りのものでした。私はため息をつきながらも、あまりの安定した完成度ゆえ、いつしか『流し見』の姿勢となってするすると歩を進めていました。
そんな折、一点の絵が目に留まりました。何の魚だったかは、今となっては思い出せないのですが、赤く平たい魚だったように思います。目に留まった理由は、その絵が特別に良い出来だったからではなく、それとは逆に、苦心して鱗を描き直した跡があったからです。
『衆鱗図』の絵師についての記録はなく、多くの人物が分担して制作に携わったとされています。不詳のまま私の中で希薄だった彼ら絵師たちの存在が、その一点をきっかけににわかに立ち浮かび始めました。魚という自然物の描写に臨んだ絵師たちは、どのような気構えで筆を手に取り、紙と向き合ったのか」と長嶋さん。
鱗を書き直した、赤く平たい魚の絵……。魚の絵を描くなかで最も苦労するのは鱗だ。『衆鱗図』は藩主の命により作る博物図譜であるため、絵師たちは当然、鱗の数や配列にまで高い精度でこだわったに違いない。そこには、ある種の卓越した意識「無心」があったのではないか、と長嶋さんは言う。
「鱗に苦戦した跡というのは、むしろあたりまえのものです。逆に『衆鱗図』のほとんどの作品には、そうした気配をおくびにも出さないでいる。そこがすごさを際立たせています。『無心』は意思や鍛錬の力によって、筆の動きに意図が明示的に関与しない状態です。そうして一枚一枚の鱗とともに魚を描ききるのが、いかに難しく負担を強いることか。それを何十、何百と続けた絵師たちの熱意と矜持(きょうじ)が、いまさらのように胸に迫って感じられました。
そこに気づいたとき、私はきびすを返すように順路をさかのぼりました。すると、あるものは水から揚げられてえらを膨らませ、あるものは浅瀬にはいつくばってこちらをうかがい、またあるものは息絶えて横たわったまま傷みゆく姿を見せていました。並んでいるのは、意図なき自然物を無心に描ききった絵の数々でした。それこそが、衆鱗図の芸術的価値を、何よりも確かなものにしているように思われました」と長嶋さんは言う。
いずれにしても『衆麟図』には妥協が見られない。そして、絵師たちの熱意は他に類を見ない大江戸3Dを結実させ、日本初のサイエンスイラストレーションの世界を表現したのではないだろうか。