取材・文◎本誌編集部
取材協力◎荒俣 宏、森田 毅(博物家)
図版提供◎森田 毅、『日本魚介図譜』(国立国会図書館デジタルコレクション)
今回の本誌特集、魚類図譜に込められた「知の冒険・智の愉悦(よろこび)」では、作家であり、博物学や神秘学をはじめアカデミックな幅広い分野でその才能を発揮する荒俣宏さんに、たくさんの助言をいただいた。そのなかで端的でストレートに響いたコメントは、「日本の魚類図譜と海外の魚類図譜の大きな違いは、日本人の画家が描いた魚の絵は生きており、西洋の画家が描いた魚の絵は陸に上がっている」というものだった。
日本には古くから「花鳥風月」を描く伝統文化があり、絵師たちは死んだ生き物を描くことはあまり行わず、葛飾北斎にしても歌川広重にしても、生きた状態をスケッチして生物画を描くというのが基本だった。それでも19世紀に入ると、西洋の絵画も日本人画家の影響を受けて生き生きとした表現技法が生まれ、徐々に魚の画にも生命感が宿ってきたという。そうした日本人画家の素晴らしい画力が発揮されたのが、明治期に農務省が主催して始まった水産博覧会に出品された、日本各地の水産魚類図譜だった。そこに描かれた数々の魚は、まるで生きているように描かれていたという。そのなかで最も秀逸な画家を選ぶとすれば、伊藤熊太郎(いとう くまたろう)だろうと荒俣さんは言う。
伊藤熊太郎は東京水産大学(現・東京海洋大学)に勤め、『グラバー図譜』の絵のように活き活きとした魚の絵を描いた。明治から昭和にかけて活躍した博物画家で、写真が未発達だった時代、図鑑や学術文献のために多くの精緻な魚類画を描くことは、魚類学の発展に大きく貢献した。熊太郎はその優秀な画力や観察力が認められ、アメリカの生物学会からヘッドハンティングされたという。当時のアメリカは、博物学のスタートとして魚類研究に力を入れていたのだ。北太平洋アラスカ沿岸や魚種の豊富なフィリピン周辺は、アメリカの占有地だったため、1882年に新造され数々の海洋調査で実績を上げた探査船『アルバトロス号』で、1907年から1910年にかけて、フィリピン諸島や日本周辺を回り、漁業と水産資源の調査を行った。
「採集した魚を誰に描かせようかとなったとき、アメリカから派遣するにしてもいい画家がいない。そうだ、日本にはいい絵師がいるじゃないかということで、伊藤熊太郎に白羽の矢が立ったのです。熊太郎も『日本にいるだけでは大きな仕事ができない。探査船に乗って、獲った魚をその場で描くチャンスも二度とない』ということで乗船しました。そして、フィリピンあたりの南洋の珍しい魚を、非常にたくさん描きました。それが大量にスミソニアン博物館に残っているのです」と荒俣さんは言う。
アメリカの水産局も、フィリピン諸島から日本沿岸にかけて採取され描かれたその絵を使い、図鑑を作ろうと思っていたのだ。しかし、あまりにも数が多かったのでまとめきれず、さらに書籍化にはコストが膨大になりすぎるため、ついに実現しなかった。その図鑑にならなかった膨大な絵が、ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に残っているという。
「じつは東京海洋大学に、熊太郎が描いたほとんど出版されなかったもっとたくさんの肉筆の絵が残されていたのです。4、5年前に東京海洋大学から連絡があり、『捨てようと思っていた資料の中にきれいな絵がたくさんある。どれほどの資料的価値があるのか調べてもらえないか』と依頼されました。それがなんと熊太郎の描いた原画だったのです。
おそらく1000点くらいあり、そのなかに図版化された作品も何点か含まれていたので、『これは間違いなく伊藤熊太郎の絵だ』とわかりました。それで熊太郎の業績を紹介する展覧会を開催したのです」
伊藤熊太郎は日本では無名だが、アメリカではかなり有名な博物画家で、昭和初期に伊藤熊太郎の絵を図版化した人がいたという。
「田子勝彌(たごかつや、1877~1943年)という動物学者は、昭和4年に伊藤熊太郎の絵を『日本魚介図譜』として1集20枚くらいずつ掲載して、たぶん3集くらいまで出しました。ですがあまりにも絵が多すぎたので、途中で挫折したのです。東京海洋大学で発見された大量の熊太郎の絵のなかに、その原画も含まれていたので、熊太郎の作品だと同定できたわけです」
東京海洋大学の展覧会の後、荒俣さんは伊藤熊太郎の作品を使った魚類図鑑を出版したいと考え、いくつかの出版社と交渉を試みたが、今のところなかなか手を挙げる出版社はないという。博物画の世界は、伊藤熊太郎の絵でさえ発掘される余地があるほどなので、地方で絵を描いていた絵師たちの作品は、あちこちに残っているのではないか。また、海外の研究者から見ても日本の博物画は美しく評価が高かかったので、そうした逸品が海外にも残っており、荒俣さんはオランダの古書店と連絡を取り合い、蒐集しているという。
「江戸時代に作られた素晴らしい図譜であまり知られていないものが、まだまだ出てくる可能性があると思います。かなりの数の名作が世界に存在すると思います」と荒俣さんは語る。