取材・文◎ 水田俊哉
語り◎ 大城敏
写真◎ 狩野イサム
「米と味噌だけを携えて、それ以外の食料は現地調達するというのが、僕のキャンプスタイルです。それに近い『米、味噌キャンプ』というツアーも行ったことがあります」
沖縄でシーカヤックツアーを主宰する傍ら、カヤックガイドの指導者としても活躍する大城敏さんは言う。
大城さんのビーチキャンプのスタイルはとてもシンプルで、雨や日中陽射しが強い場合はタープを張るが、晴れている夜はタープを張らずに満点の星空を楽しむという。焚き火は砂浜の上に石を並べ、その上に鉄板を敷いた簡単な焚火台で行う。
「釣りのできる人は魚、シュノーケリングのうまい人はタコなどを捕ってきます。海水を蒸発させて濃度を上げ、いわゆる天日干しの『天然海塩』も作りました。皆さん必死でしたが、最後にはいっぱしの縄文人風になっていました(笑)。
釣り人は理解していると思いますが、自分の力で釣ったり捕ったりしたものを食べることは、理屈では語れない意義があると思います。そして、何しろおいしいし、うれしい。僕が長年、カヤックを使って釣りをして、無人のビーチでキャンプを続けてきた理由はそんな素朴な思いにあるのかなと思います」
大城さんは5年前から東京海洋大学の非常勤講師として、シーカヤックやシュノーケリング、スキンダイビングの実習を担当している。生徒たちが慶良間諸島(けらましょとう)の渡嘉敷島(とかしきじま)に集まりシーカヤックの準備、シュノーケリングの準備と点検を各自で行い、実習中はキャンプをしながらの共同生活だ。食事も生徒たちで考え、ご飯プラスおかず1品できちんと栄養が取れるような献立を考えてもらう。
食事当番は参加者全員が必ず経験するように輪番制で組まれ、ガスの調理器具は極力使わず、火をおこし焚き火で調理する。焚き火を知らない生徒も多く、自分たちがおこした火で調理した料理を食べることだけでも、大きな喜びや自信につながっているのではないかという。
「実習ではカヤックの基礎を教えた後で、カヤックにシュノーケリングの3点セット、シュノーケル、ウエットスーツ、ウェイトを載せてポイントへ行きます。ポイントによってそれぞれ個性があるので、『ここは安全』『ここは要注意』『ここの潮の流れにはこういう特徴がある』ということを伝えます。潮の流れは時間帯によっても変わり、北から南に流れる時間帯もあるし、その逆になるときもあります。潮汐の影響もあれば、海岸線の地形の影響によっても潮の流れが変わるので、そういったことを生徒たちに現場で伝えます。
そしてポイントに着くと装備を付けて潜ってもらい、場所や時間帯ごとに生物相や生態系のリアルな変化と姿を目の前で伝えると、生徒たちは目を輝かせます。
貝には動く貝と動かない貝の2種類がいます。シャコガイは動かない貝ですが、サンゴのどういうところにいるのか観察するためのヒントを与えて、後は生徒たちで観察に向かいます。生徒たちは千葉県の海で遠泳実習やシュノーケリングを経験しているので、基礎はできています。ここではその仕上げをするような感じです」
海はもちろん星や月の動きと海洋生物の関係、あるいは気圧の変化と風向きなど……。
屋根のある宿舎には泊まらず、薄いナイロンのテントでキャンプをしながら過ごす海洋実習の3泊4日で、生徒たちは多くの知識と経験、情報を得ているのだろう。
「すべての時間を自然の中で、過ごすことで大学の講義や書物で学んだ断片的な情報がリアリティを伴ってひとつながりになるのだと思う」と大城さんは言う。さらにキャンプでの自炊は、限られた食材を有効に活かすことも学べ、渡嘉敷島のリーフの海そのものが「島人(しまんちゅ)の冷蔵庫」であり、島の人はその海産物を消費しながらも賢く保全している知恵に生徒たちは気づくという。まさに持続可能な生活モデルがそこにあるというわけだ。
大城さんはかつて、カヤックポロ国際競技大会で日本のナショナルチームに選抜され、アジア大会では銅メダルを獲得。26歳で競技から引退する1年前の1994年には、平安遷都200年祭が京都で開催され、その記念イベントのひとつとして中国から京都までのカヤック遠征隊に選ばれ、3500~3600kmを漕破している。またシーカヤックのツアーガイドになってからは、水難事故防止や水難救助の重要性を実感し2005年に「NPO沖縄県カヌー・カヤック協会」を立ち上げ、現在も技術講習会の開催や安全普及活動などを行っている。そうした大城さんのシーカヤックに関わる人と自然の啓蒙活動の源は、無人の浜から一人漕ぎ出し魚を釣り、数知れず行った焚き火、ソロキャンプで得た日々にあるのだと思う。
『Fishing Café』69号の特集では、大城敏さんのシーカヤックとの出会いなど、たくさんのお話をうかがっています。ぜひ覧ください。