2020
09.04
Vol.66 ② 巻頭インタビュー・根深 誠
「深山幽谷の奥に、天空の雪氷嶺ヒマラヤがあった」より(後編)

白神・ヒマラヤへと続く人生、その半分の月日は釣りかもしれない

取材・文◎フィッシングカフェ編集部
写真◎足立 聡

 根深誠さんは登山家であるほか、ルポライターとして大きな成果を発表してきた。なかでも今から120年以上前、4年の歳月をかけて梵語(ぼんご)・チベット語の仏典を求め、日本人僧侶として初めて鎖国状態にあったチベットに潜入した、僧侶・仏教学者にして探検家の川口慧海(かわぐちえかい)の潜入経路調査(1992年より)は、日本の多くの歴史学者、宗教学者に大きな影響を与え、一筋の光明をもたらした。
 また、1982年のエベレスト遠征の帰途にクンブ地方の村で見た観光用のイエティ(雪男)の頭は、根深さんに強烈な印象をもたらし、やがてその謎の解明に着手する。

「仮説を実証するためにヒマラヤへ行っても、『あれ、違っていた』とか多いのです。しかも川を見れば竿を振る。だから私の調査は、すごく時間がかかります。でも本人は、それが楽しいのです(笑)」

「イエティはシェルパの言葉で、土地によって『メティ』や『テモ』になったりするのですが、意味は『謎の動物』です。それで興味を持ち、嘘か本当かわからないけど、イエティ伝説の範囲とつながりを調べ始めました。それ以後、ヒマラヤの行く先々で『ここの村には、イエティはいるのかな?』と面白半分に聞いていたわけです。
 すると土地によって『いる』場所と『いない』場所があり、伝説が伝わっている範囲が見えてきて、それはチベット仏教が伝播している範囲と一致しました。しかもチベット仏典には、お坊さんを守る孫悟空みたいな『メティ』という動物が登場します。それを知って『おっ!』と思いましてね。それで1994年から本格的に調査を開始しました」

餌釣りから始まってテンカラ釣り、ルアーもフライも嗜み、現在は餌釣りとテンカラの二刀流。「釣りを学ぶには、無節操に何でもやった方がいい」と根深さんは言う。

 根深さんの1994年から本格的に始まったイエティの現地調査は2003年まで続けられ、結果的に「イエティの正体はチベットヒグマだ」と判断する。チベットヒグマは、標高5000m付近に生息し、個体数が少ない。地元の人は捕獲して毛皮を儀式に使うこともあり、イエティの頭蓋骨といわれるものを鑑定したところ、それは人間のものだったという。

『イエティ』著:根深誠(山と渓谷社)2012年刊
辺境への放浪40年、ヒマラヤの神秘に魅了された根深さんがたどり着いた伝説の正体は、チベットヒグマだった。

 最終的に2012年に出版した『イエティ ― ヒマラヤ最後の謎”雪男”の真実—』(山と渓谷社)の中で調査結果を発表すると、そのニュースは世界中をかけめぐり、大きな反響を呼んだ。そして、ヒマラヤ8000m峰14座への無酸素登頂を果たした世界一の登山家であり、根深さんと同じくイエティの謎を追っていた、ラインホルト・メスナーから、なんと抗議の連絡があったという。
「メスナーもイエティの本を書いていて、私もその本をカトマンズで見つけて買って読んでいました。その本の中でメスナーは、イエティの正体は断定していませんでした。ところが私は、完全にチベットヒグマだと断定したので、メスナーも『俺だってそう思っていた』と、手柄を横取りされたように勘違いをして連絡してきたのです。
 ヒマラヤのイエティやネス湖のネッシーなど未確認生物に関しては、未確認情報こそがメディアとしての巨大な資源であり、さまざまな思惑が複雑に交差しているわけです」

1986年、パキスタンの無名峰に初登頂を果たした根深さん。

 そうした未知の世界の探査のほか根深さんには、昔から「自分が初登頂した山から流れ出す川で釣りをする」という夢があった。それが実現したのは、1988年に3度目の挑戦で登頂に成功したパキスタンのシャハーン・ドクだった。麓の川でフライを投げ、かつてイギリス人が放流した野生化したブラウントラウトを釣ったという。
 また、アメリカ人の釣り人から「ネパールにはサハル(ゴールデンマハシール)という、巨大な神々しい魚がいる」と教えられ、サイズはそれほど大きくはなかったがルアーで釣り上げた。秘境での釣りも根深さんにとって、大いなる自然の謎の解明だったという。
 その体験の数々は『ヒマラヤを釣る』(中公文庫)という本で詳しく紹介されており、ヒマラヤの釣りに関する貴重な資料となっている。

「登山は宇宙に通じているし、渓流釣りは地球のサーフェイスが見えます。そういう意識が私の中にあったから、山に登って帰りに釣りをするようになったのだと思います」

 また、天空にそそり立つ荒涼としたヒマラヤの氷雪嶺は、幼い頃から身近にあった白神山地の濃密なブナの原生林の素晴らしさを、さらに深く見つめるきっかけにもなったという。
 ブナやミズナラが茂る渓流の畔で焚火(たきび)をおこし、釣ったイワナを炙(あぶ)り食べた素朴なうまさ。さらに、白神山地の自然を糧に生きてきた、マタギや木こりなど杣人(そまびと)の杣道をたどる原始世界へ旅は、根深さんにとって小さな好奇心をより大きな興味へと増幅させる不思議な力があったのだろう。
「私の人生の中では、ヒマラヤでの体験ももちろんですが、やはりマタギの人たちと出会って話を聞けたことは、大きな財産です。
『白神山地マタギ伝』(ヤマケイ文庫)の本の主人公である『目屋マタギ』のシカリ(マタギの長)を務めた鈴木忠勝さん(享年83歳)と知り会ったのは、青森と秋田の県境付近の源流へ、テントと食料を背負いイワナを追いかけていた30代の頃です。下山後、鈴木さんのところへ報告に行くと話も弾み、必然的に沢や滝の名前、杣道、伝説などの口伝も受けることになりました」
 赤々と燃え盛る焚火を前に、いにしえの人々の心境に思いをはせて、吹雪の山中で一瞬の晴れ間に出会うと、その思いは遥か縄文時代の昔にまでさかのぼる。その体験は、森羅万象に宿る神秘性、人と自然の本質的な結びつきを気づかせてくれるものだったという。

上:『白神山地マタギ伝』(ヤマケイ文庫)2018年刊
下:『渓流釣り礼讃』(中公文庫)2019年刊

「釣りという楽しみがなかったら、ここまで冒険的な人生は続かなかっただろう」と根深さんは言う。自分も含めて釣り人は総じて、自然に対して敏感になる。動物の動き、臭い、風の肌触り、空の色、葉擦れの響きなど、自然の現象によって喚起され研ぎ澄まされる五感が、「ひょっとしたら、クマに出くわすのではないか」という緊張感や諸々の心象風景を創り出す。それが大きなときめきとなって、“生きている”ことを瞬時に実感させるという。
「今年で73歳になりましたが、やり残したことが一つあります。それは、河口慧海の残した日記の中で、1カ所だけはっきりしないルートがあるのです。すでにチベットへは7回以上通っていて、おおよそのあたりはつかんでします。そこさえ確認できれば完璧です。
 若い頃と違って体力に自信ないから、竿を杖代わりにして、今年中に行こうと思っています」

根深 誠(ねぶか まこと)
1947年青森県生まれ。明治大学卒業。登山家として1977年ヒマル・チュリ、1981年エベレストの登頂を目指すもともに失敗。1984年にはアラスカ・マッキンリーで行方不明になった山岳部先輩の植村直己の捜索に参加。1988年シャハーン・ドクに初登頂して以降、ヒマラヤの未踏峰6座の登頂を果たす。1992年から日本人僧侶・河口慧海のチベット潜入経路を調査。河口慧海のチベット潜入経路を辿った紀行文、『遥かなるチベット』(中央公論新社・1994年刊)で、第四回JTB紀行文学大賞受賞。白神山地の保護活動や世界遺産登録でも大きな役割を果たす。1994年から2003年までイエティの現地調査を行い、2012年その正体はチベットヒグマであるとの調査結果を発表し、大きな反響を呼んだ。著書に『みちのく源流行』『釣り浮雲』(ともにつり人社)、『風の瞑想ヒマラヤ』『ヒマラヤを釣る』『遥かなるチベット』『白神山地をゆく』(すべて中公文庫)、『チベットから来た男』(岩波書店)、『一竿有縁の渓』(七つ森書館)、『ヒマラヤにかける橋』(みすず書房)、『イエティ』『白神山地マタギ伝』(ともに山と渓谷社)、『渓流釣り礼讃』(中公文庫) 他多数。

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