「伊豆半島といわれて、まず頭に思い浮かぶのは、役小角(えんのおづぬ)です。熱海温泉の少し手前に『伊豆山神社』があって、そこに『あしだてさん』と呼ばれている足立権現社(あしだてごんげんしゃ)の御堂に役小角が祭られています。
役小角は飛鳥・奈良時代の呪術者で、修験道の基礎を築いた人物とされていますが、基本的にアウトローです。調べると文武天皇3(699)年に人々を惑わしたとして、伊豆大島に流罪となりますが、夜は飛行の術で伊豆山権現に飛来し修行を重ねたと伝えられ、海上を歩き渡り富士山にも毎晩登っていたとも伝えられ、今流に言うならサイキックヒーローです。
あっしも日ごろから役小角のように、空間を自在に行き来するように言葉の世界を操る落語家になりたいと思っています。ですから車のハンドルを手に小田原を過ぎ、真鶴半島のトンネルを抜けて伊豆半島に入ると、次第に役小角が近くにいるような気分になるのです」
林家彦いち師匠は、伊豆の印象をそう語る。
静岡県伊東市の八幡野港を出船した青木丸は、奇岩、巨岩、洞窟が続く浮山温泉郷の沿岸を過ぎ、赤沢温泉、大川温泉、熱川温泉を右手に見ながら白田川沖を目指す。伊豆半島は2018年にユネスコ世界ジオパークに認定され、「ポイントに移動するまで、伊豆の特徴的な地形の海岸線と風景を眺めているだけでも実に楽しい」と彦いち師匠。
目指すポイントに着き、船長の「ハイどうぞ」の合図と同時に彦いち師匠は、素早くキーパーからロッドを外し、同時にリールのクラッチを切りスプールをフリーにすると片てんびんを持ち、そっと海中に仕掛けを落とす。今回の釣り物は、マダイ五目釣りだ。
東の海上には伊豆大島が優美に横たわり、西には万三郎岳を頂点に万二郎岳、遠笠山(とおがさやま)などが連なる天城(あまぎ)山脈がそびえる。南方海上には円錐形の利島(としま)、次に新島(にいじま)と式根島(しきねじま)が、まるでひとつの島のように重なって見え、さらに南方に神津島(こうずしま)。利島の左奥、はるか洋上に三宅島(みやけじま)まで見渡せる好天だ。まさに伊豆七島ただなかでの釣り日和だった。
80号のプラスチック製コマセカゴにオキアミを入れ、片てんびんの先に5号6mの仕掛け。水深は約80m、指示ダナは底から10m。着底したら2mごとにひと振りずつコマセをまき、指示ダナでアタリを待つ。
彦いち師匠の釣果は、最初にエソ、次にシオ(40㎝ほどのカンパチの幼魚)、メジナ、アマダイと続き、釣れる魚の色が徐々に赤みを帯びていった。さらにホウボウも釣り上げ、めでたい赤色へと向かう釣りモードは続き、ついに49㎝ほどのマダイを釣り上げた。
「外道のないのが五目釣りの良いところですが、青いインクを流し込んだような濃い藍色の海から、白くきらめく魚影が赤へと変わる瞬間に、ときめきを感じます。色物を求めるのは、釣り師の性ですかねぇ」と、彦いち師匠はしみじみとつぶやく。
午後2時を過ぎると船長の提案で、帰路途中の赤沢沖で鉄筋オモリの片てんびん2本針仕掛けにオキアミを抱き合わせて付け、水深100m前後を探ってみることになった。狙うはレンコダイ(キダイ)だ。八幡野港の漁師たちは、「マダイよりもレンコダイの方が身質が繊細で脂は上品」と評判だという。
「レンコダイの連呼です!」と彦いち師匠は、一投目から型は小さいがレンコダイの追い食いを成功させる。さらに35cmほどの良型を釣り上げ、太陽が天城の山々に沈みかける頃には、カサゴやメバル、珍しいチカメキントキも釣り上げ、赤い魚のオンパレードとなった。
「この鉄筋オモリが気に入りました。シンプルで釣りの原点のようですね。それに、釣り針に丁寧にオキアミを付けることが、釣果を左右することを肌で感じました。尻尾を切って針が隠れるようにきちんと付けられるようになってこその釣りです。まさに日本の遊漁船釣りの基本がここにあるのだと思います」
翌日、朝6時半に伊豆高原から望む伊豆大島の北端から、濃い朱色をしたとびきり美しい朝日が差し込んできた。彦いち師匠は、手ぬぐいを頭上に乗せて湯につかりながら、神妙な顔つきでご来光に手を合わせ、昨日の充実した釣りに感謝し、さらに本日の釣りの無事を祈った。
この日は、伊豆高原から冷川峠を越えて修善寺へ向かい、伊豆縦貫自動車道の長泉ICで降り、国道246号線を御殿場方面に北上。狩野川水系最大の支流、黄瀬川の五竜の滝を目指した。
狩野川漁協では、11月1日から翌年の2月末日まで、黄瀬川の五竜の滝下から富沢堰堤上流端までを「黄瀬川冬季キャッチ&リリース特区」として遊漁区間を設けている。対象魚はニジマス。釣法はフライ、テンカラ、ルアーに限定され、釣ったニジマスはその場で再放流が義務付けられている。遊漁料は決められた各窓口で購入した場合の1日券は2,000円、現場での納付は4,000円。1期の通し券は5,000円となる。
駐車場で着替えをすませ河原に降り立ってみると、裾野市の住宅街を流れているとは思えないほど、穏やかな自然を感じさせる河川空間が広がっていた。そして、川のいたるところで小さなライズリングが広がっている。
川岸に立った彦いち師匠は、まずドライフライをキャストしてみるが反応はない。そこで16番を18番の小さなフライに替えたが、それでも反応はない。それどころか、釣り人が居てもお構いなしに足元で雪虫のようなものを捕食している。解禁から約1カ月間で、どれほどの釣り人が訪れたのだろうか。簡単に言うと、かなりスレているのだ。
「落語界で“きせがわ”といえば『喜瀬川・花魁(おいらん)』の演目です。吉原遊郭で大人気の喜瀬川・花魁は、どんな大金持もイケメンも何度通っても口説けないという話です。文字は違いますが、どういうわけかこの川の『黄瀬川・花魁』(ニジマス)たちも、ちょっとやそっとでは口説けそうではありません」と、彦いち師匠は困り顔で言う。
そこで、ポイントを釣り人の少ない最下流に移し、水速と水深のあるポイントへ移動。ニンフとマーカーを使い、バーチカルに攻めてみることにした。するとどうであろう、彦いち師匠がピックアップのために手首を返した瞬間、ロッドが弧を描いたのだ。
2度のジャンプをかわし、渓流用の和製タモ網に収まったのは、体高もあってヒレの美しい雌のニジマス。まさに黄瀬川・花魁である。
「伊豆の東海岸でたくさんの赤い魚に出迎えられ、天城山の絶景の夕陽、そして伊豆大島北端から上る赤い朝日と温泉。さらに移動中はとびきりの富士山を拝み、最後は黄瀬川・花魁と仲良くなれました。まさに『初冬の伊豆半島五目釣り』ではないでしょうか。これも役小角の思し召しかと思います。来年も芸事に精進し、日本全国を飛び回りたいと思います。それでは皆さま、良いお年をお迎えください」
林家彦いち(はやしや ひこいち)
落語家
1969年 鹿児島県生まれ。大学中退後、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門し、前座名「きく兵衛」で平成2年に池袋演芸場にて演目「寿限無」で初高座に上がる。平成5年二ツ目に昇進、「林家彦いち」に改名。平成12年度 第10回「北とぴあ落語大賞」受賞、平成12年度 NHK新人演芸コンクール落語部門大賞受賞。平成14年春、真打昇進。平成15年 彩の国落語大賞殊勲賞受賞、平成15年第九回林家彦六賞受賞、他受賞歴多数。平成16年に SWA(創作話芸アソシエーション)を春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、神田山陽と旗揚げするなど、落語ブームの一端を担う。釣りを筆頭に登山、キャンプや農業などを楽しみ、落語会で野外活動をリードしている。
取材・文◎編集部 写真◎狩野イサム