落語家の林家彦いち師匠(以下:彦いち師匠)は、口をヘの字結び、真剣にキャスティングを繰り返す。しかし、ロッドを振り上げたときに手首が返ってしまい、ラインに力が乗らないため飛距離はでない。それでも長年、渓流の餌釣りで鍛えたロッドワークは確かで、ラインが流れに取られないよう、無意識でフライフィッシングのメンディング技術を行っている。そして、流れの中から何度か魚を引き出すことに成功していた。
「フッキングさえ上手くいけば、世界自然遺産の白神山地に生息する俗称、白神イワナの記念すべき1匹目を釣るのに、そう時間がかかりそうもないでしょう」とガイドの佐藤渉さんは言う。そして、右手でロッドを握り、人差し指でラインをつかみラインにたるみができないよう、毛鉤の流れに合わせてラインを手繰っていけば、大アワセしなくても魚をフッキングできると、彦いち師匠に優しく説明する。
すると釣り始めて2時間ほど経過した頃だろうか、ブナ林に囲まれた岩木川の清流の中から白神イワナが躍り出た。腹部から尾ビレにかけてオレンジ色に染まる23cmほどの待望のイワナだ。ティペット(ハリス)のアワセ切れ、フッキングミス、手元バラシなど一通りの失敗を経験していただけに、彦いち師匠にとってかなりうれしい一匹だったのだろう、右手にロッド、左手にイワナの入ったランディングネットを天に突き上げて、「彦いち、ついにやりました! ワォー‼」と雄叫びを上げている。
その一匹がきっかけで2尾、3尾と釣り上げ、この日の釣果は20~24センチのイワナ3匹、バラシ7匹となり、フライフィッシング初心者とは思えない上々の釣果で納竿した。
「いや~、今日は久しぶりにフライロッドを握りやした。僕の場合、何年ぶりというより何回目という感じなんです。今までに何度も試みたことはありましたけど、多くの例外にもれず挫折していました。挑戦してみたいから竿を振ってはみるのですが、思うように操作できないから、すぐにあきらめて餌釣りに戻ってしまう。
渓流へ行くときは、一応フライロッドとテンカラ竿は車に積んでいきます。釣りは、ほぼ一人で行きますが、釣りができる時間は限られていて、水生昆虫の羽化とか待っていられないのです。そういう釣りではいけないとも思っているのですが、気がつくと石をひっくり返してカワムシを探しています。世の中には、釣れないとフライロッドの毛鉤にイクラ餌を付けてしまう人もいるなんてことも聞きましが、僕はフライロッドをしまってしまい、テンカラ竿で餌釣りをしていたりして……」
岩木川での納竿後、この日は白神マタギで有名な西目屋村、リンゴ園の弘前市を抜け、翌日の釣り場に近い、黒石市板留温泉の「旅の宿・斉川」に宿をとった。彦いち師匠はその源泉かけ流しの湯に浸かり気分もほぐれ、軽やかな口調でこれまでのフライフィッシングについて語る。
「フライフィッシングに目覚めたのは、2008年の秋でした。カナダのキャンベルリバーでキングサーモンをフライフィッシングで釣っているのを見て、『カッコいいな』と思ったのが最初でした。その場で少しロッドを振らしてもらい、『日本に帰ったらフライフィッシングをやろう!』とはりきって道具を買ったところまではよかったのです。
養沢川の管理釣り場に行ってみると、釣れるには釣れるんです。あそこはいい釣り場で魚も多いですからね。だけど他の川に行くと全く釣ることができなくて、それで餌釣りに戻る。その繰り返しでした。落語界には、どこの飯がうまい、どこの酒がうまいということを教えてくれる人は山のようにいるのですけど、フライフィッシングをやる人がいないので聞くこともできなかったのです」
これまで何が正解かわからず、フライフィッシングをやっている人に話を聞いては、少しずつ試すが、限られた情報でトライするため確信がなく、自信が持てなかったそうだ。独学ではなく我流でやってきたなかで、今回はフライロッドかテンカラ竿だけでやってみようと心に決めての釣行だ。ガイドの佐藤さんのマンツーマンの指導もあり、その成果が初日にして現れた、と彦いち師匠はなにしろうれしそうだ。
翌日は、宿の目の前を流れる浅瀬石川(あせいしがわ)の上流へ向かった。浅瀬石川は十和田湖をぐるりと囲む八甲田山系の西側外輪山のひとつである御鼻部山(おはなべやま)から岩岳までの範囲にある、5~6本の支流が集まり北に流れる。やがて浅瀬石ダムで水を湛え黒石市内を貫流した後、南津軽郡藤崎町で平川に合流する。平川は浅瀬石川と合流するとすぐに岩木川に注ぎ、北へ流れて十三湖を経て日本海に注ぐのだ。その最上流部といえる標高約500m付近から入渓した。
この日は朝から厚い雲が空を覆い、午前中は曇り、午後は所により雨という予報だった。しかし、ゲリラ雷雨や落雷にさえ気をつければ曇りや雨の天候は、渓流釣りにとって最高の天気でもある。曇り空や小雨の場合、釣り人の気配も消しやすく、魚の警戒心が薄れることが大きな理由だ。さらに雨が真夏に渓流魚たちが捕食する陸生昆虫を木々から落とし、活発な捕食活動を促す。
この日ガイドの佐藤さんは、まずドライフライで様子を見て、魚が上を向いていないようならニンフを流し、水面下で誘ってみるという戦略を立てた。結果的にそのアプローチが成果に結びついた。
入渓しはじめはドライフライの反応が悪く、すぐにニンフに切り替えた。ニンフは川に対して、餌釣りとほぼ同じようにアプローチするため、餌釣りで長年技を磨き続けてきた彦いち師匠にとって、相性がいいようだった。仕掛けが重いぶんキャスティングこそ少々手こずったが、ここぞと思うポイントではマーカーをにらみつけながらイワナを掛け、落ちついたやりとりでコンスタントに釣り上げてゆく。さらに昼食をはさんで午後は、予報どおり、時折小雨がぱらつき、佐藤さんの大きなアブのようなフライに反応が出るようになった。彦いち師匠は、瀬頭から緩い流れをしつこく攻め、やがて納竿寸前に良型のイワナを引きずり出した。
「朝からねばって沈めたり流したりしたのですが、最後はドライで出ました。僕はね、最後はいいイワナが出るような予感があったんです。それは佐藤さんが、ちゃんと背中で支えてくれたおかげなのですが、以前だったら諦めていたであろう状況でも釣れました。あの瞬間、僕の中で『餌釣り最強論』という壁が崩れました。僕は今まで『どんな餌を付けようか』という発想はあったけど、『どの流れに毛鉤を流そうか』とか『水面なのか水面直下なのか』という発想が加わりました。それが今回の大きな発見でした」と充実感を漂わせながら彦いち師匠は言う。
釣りの話に通じるかどうかわからないが、噺家(はなしか)は何通りもある芸風から「今回はこのネタで勝負しよう」とある程度絞り、自分で間口を狭くすることで話術に磨きがかかるそうだ。
「釣り方を狭めることで、『状況に適した釣りとは何か』ということに、迫っていけるのではないでしょうか。僕のようにあれもできます、これもできますってやっていると、本当の技術は身につかない。1匹のイワナと対峙したとき、フライならフライで釣ると決めて挑むことで技に磨きもかかる。その積み重ねが自信になるのだと思います。今回、フライフィッシングへの光明が見えました。諦めず続けたいと思います。そこに魚はいるのですから!」
林家彦いち(はやしや ひこいち)
落語家
1969年 鹿児島県生まれ。大学中退後、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門し、前座名「きく兵衛」で平成2年に池袋演芸場にて演目「寿限無」で初高座に上がる。平成5年二ツ目昇進、「林家彦いち」に改名。平成12年度 第10回「北とぴあ落語大賞」受賞、平成12年度 NHK新人演芸コンクール落語部門大賞受賞。平成14年春、真打昇進。平成15年 彩の国落語大賞殊勲賞受賞、平成15年第九回林家彦六賞受賞、他受賞多数。平成16年 SWA(創作話芸アソシエーション)を春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、神田山陽と旗揚げするなど、落語ブームの一端を担う。釣りを筆頭に登山、キャンプや農業などを楽しみ、落語会で野外活動をリードしている。
取材・文◎編集部 写真◎狩野イサム