「なんだー、この魚だったのか。ウキをグングン引っ張り込むんだけど、餌だけ獲られてなかなか針掛かりしなくて……」と、夢枕獏さん(以下:獏さん)は、ハリスを親指と人差し指で押さえ、小さな魚をレンズに向ける
見れば体色の地色は青く、太い赤色の縦帯が背中と体側に伸びている。まるで観賞魚のようにカラフルな、体長10cmほどのベラ科のニシキベラだ。後日、図鑑で調べてみると「ベラ科魚類では珍しく体色に雌雄の差がない種類」だという。
ベラ科は、防波堤などからもよく釣れる魚だが、それもそのはず、海水魚の中ではハタ科と並んでハゼ科に次いで種類が多い。日本産の種は37属146種が分布とされているが、新種として同定されていない種も多く、日本産の種数はさらに増えそうだという。しかも生態面で特徴があり、夜間もしくは危急時には砂の中に潜って眠るものや、自分の粘液でスリーピングバッグを作って眠るものもいるという。
「ベラ科は、波止釣りの楽しみのひとつだよね。なにしろ色彩が美しいし、家に水槽を用意してタナゴのように一緒に暮らしたくなる魚です。それに、ニシキベラを大きくしたようなキュウセンなんかは、関西圏以西では料亭でも調理される、なかなかの食材ですよ。炭火で炙った焼霜造りや天ぷら、唐揚げなどの揚げ物。酢との相性も良くて、酢で締めて酒の肴の前菜として食べたこともあります」と、獏さんは沖に浮かぶウキを気にしながらも、楽しそうに話す。
今回、獏さんが「川奈いるか浜公園」を訪れた目的は三つ。一つめは、海用の振り出しの延べ竿『ボーダレスGL』の試し釣り。二つめは水温が下がる晩秋から冬にかけて伊豆半島東海岸の港にやってくる、アブラカマスとミズカマスを釣り、そのカマスを泳がせてワラサを釣ること。そして、釣った魚をおいしく調理して食べることだ。
この三つの目的を達成するため、釣り具店で働く“助さん”とイタリアンレストランのオーナーシェフを務める“格さん”の二人の釣り師に同行していただいている。
助さんは、夏はアユ、冬は磯釣りのスペシャリストだ。格さんは、渓流も海もオールマイティにこなし、ルアーやフライを駆使して、釣った魚をレストランのメニューに載せるほどの自給自足的調理人。その万全の態勢で臨んだのだが、この日の天候は冷雨、北東の冷風に見舞われた。なかでも北東風は、川奈港の正面から風を受ける状況となるためウキが風に押され、泳がせの魚が沖に出ていかないウィークポイントとなる。
それでも助さんは、その困難な状況を読み解き上手くかわし、釣り堤防の突端から深場の船道へとカマスの生き餌を流しながら、70㎝のワラサを釣り上げてしまった。その釣りをサポートしていたのが格さんだ。ジグヘッドの重さ、ワームの形や色を次々に取り換え、目まぐるしく変わるカマスの泳層を適時的確に探り当てていた。見ればエアーストーンから出る空気の泡で満たされたスカリの中は、常に生きの良いカマスが泳いでいる。
獏さんは泳がせ竿の入れ替えやカマス釣りの合間に、『ボーダレスGL』を駆使してトウゴロウイワシやネンブツダイなど、波止に生息する小魚を釣り上げて海の中を探っている。
「泳がせ釣りでウキを横目に大物を狙いながら、小魚たちに遊んでもらうというのは最高ですね。僕は小さい頃から、小田原の堤防が遊び場だったんです。竹の延べ竿に玉ウキを付け、その場で捕まえたフナムシや、家の台所で失敬してきた餌になりそうなもので釣り糸を垂れるのが大好きでした。今でもそういった釣りは、子供脳を刺激するので、気が向くと渓流竿と生イカの切り身を持って小田原港にでかけ、小魚に遊んでもらっています」
今回使用したガイドレスの『ボーダレスGL』は、獏さんのそうした大切な“心の釣り”にはピッタリで、「海釣り用なので頼りがいがあるし、いろいろな仕様・サイズがあるので、頑張って揃えたくなるよね」とも言う。
やがて前方に見える初島のリゾート施設の灯が、鉛色に溶け込んだ空と海に瞬きだした。助さんは仕舞いの段取りよろしく、使わない荷物をまとめはじめ、格さんは釣った魚の魚体に氷が直接触れないよう、絞めた魚を丁寧にクーラーボックスに仕舞い、晩餐のレシピと調理の段取りをめぐらしている。御一行めいめいが、納竿前の夕まづめのラストチャンスを逃すまいと、沖に浮かぶオレンジ色の二つのウキを気にしていたときだった。
「ウキが沈みましたよ!」と、最初に気づいたのは獏さんだった。2本の泳がせ用の竿から延びるウキの一つが、スーッとゆっくり海中に沈み込んでいく。ワラサのアタリとはあきらかに違い、漂うようにじわりじわりと沈んでいくのだ。すると竿の近くにいた助さんが、すかさず竿を握り堤防壁に飛び乗り、格さんは急ぎタモ網を取りに走る。
獏さんが「なんですかねー」とつぶやくと、「良ければヒラメ、悪ければエイですかね」と助さんが答える。その二人の会話に「カスザメなら面白いですね。見た目はエイに似ているんですけど、まったくクセのない白身で表面にゼラチン質の膜があって、熱を通しても硬くならない上質な食材です。味が乗るので唐揚げなんか最高です」と、格さんの期待を込めたコメントが加わる。
「どのくらい食い込ませるんですか?」と獏さん。「ヒラメなら3分くらいです。待つことができるかが、釣り人の技量です」と助さんは、手応えからヒラメと確信を滲ませて話す。そして「もういいかな」と大アワセをし、のされつつ寄せ、寄せつつのされながら、格さんが構えるタモ網に入ったのは、期待通りに身の厚い大物のヒラメだった。
この日は70㎝と60㎝の2尾のワラサ、軽く20尾超えるアブラカマスとミズカマス。そしてなんといっても、納竿迫る夕闇の中で釣れた60㎝の大物ヒラメ。冷雨・冷風に耐えながらも楽しむ、獏さん、助さん、格さん御一行にとって、堤防にして圧巻のラインナップだ。
そして2時間後、テーブルに並べられたのは、生のワラサとワラサのペースト2種を添えたアンティパスト(前菜盛り合わせ)、焦がしニンニクの香りを生かしたカマスの炙り、カマスのフリットなど……。自給自足的シェフである格さんの料理は、釣り人だからこその素材を活かした味わいと、納竿からわずかの時間で見事に仕上げた気合とノリの品々だ。
そのフルスペックの釣魚イタリアン料理を前に、「釣って、食べて、反省しながらも次の釣行を練る。そうした時間を共有できる友人との釣りは、何にも代えがたいものです。当たり前なんだけど、最高かな」と獏さんは、白ワインのグラスを片手に微笑み、本日の釣果を味わいながらワインの杯を重ねた。
夢枕 獏(ゆめまくら ばく)作家
1951年神奈川県小田原市生まれ。1977年デビュー以来数々の作品を発表し、『陰陽師』(1988年第一作刊行・2001年映画化)をはじめ、多くの人気シリーズを持つベストセラー作家。1989年「日本SF大賞」、1998年「柴田錬三郎賞」、「日本冒険小説協会大賞」、2011年「泉鏡花文学賞」、「舟橋聖一文学賞」、2012年「吉川栄治文学賞」、2016年「小学館児童出版文化賞」など受賞歴多数。
取材・文◎編集部 写真◎狩野イサム