2016
06.24
[ 53号掲載 ]
『浮草旅行の半世紀』(その2)

ノンフィクション作家、西木正明氏による自身の若き頃の釣り冒険釣行を題材にした「海鳴り山鳴りの日々」。その新章『浮草旅行の半世紀』(その二)は、「アラスカのフロートトリップ」を題材にした冒険譚。フジテレビの人気アナウンサーとして活躍した益田由美さんの朗読でお伝えします。

海鳴り山鳴りの日々

『浮草旅行の半世紀』』(その2)

西木正明


 アラスカのガイドたちは、川下りのことをフロートトリップと呼ぶ。文字通り浮草のごとく流れ下る旅なので、ロアーホウティエイト(アラスカ住人のアメリカ本土四十八州を俯瞰しての呼称)のように、ラフティングなどと即物的な言い方はしない。

 そして、フロートトリップのリーダーないしガイドは、フロートキャプテンなる称号を奉られて、その旅全体の仕切り役となる。

 すでに四半世紀以上前のことだが、わたしは一度だけ、地元アラスカの名だたるガイドを差し置いて、この栄誉あるフロートキャプテンを仰せつかったことがある。

 一九八二年五月下旬だったと記憶するが、アラスカ屈指のフィッシングガイドとして知られるジム・リパインから、突然電話がかかってきた。日本時間午前三時、アラスカでは前日の午前十時という、時差を完全に無視した電話である。

 当方は徹夜仕事の最中だったので、何事と驚きつつも、電話に出ることができた。

 いい男だが相変わらず手前勝手な御仁だ。そう思いつつも、時候の挨拶を交わそうとした時、ジムがいきなりこう言った。

「君のワイフは、たしかエスキモーだよな」

 出し抜けにそう言われて、ちょっとたじろいだ。なぜならそのワイフなる女性とは数年前に離婚していて、いわば古傷にさわられたような気持ちがしたからだ。

 が、すぐに態勢をたて直して言い返した。

「過去形でいうなら、その通りだ。で、それがどうした」

「ああ、そうだったな。すまん、じゃあ、お前さんの線はだめかなあ」

「なにがだめなんだ」

「昨日、シアトルのテレビ局から連絡があって、北極圏の川でフロートトリップをやってくれないかと言われた。広大なツンドラの中を流れ下って、川沿いに生きる野生動物や風景をバックボーンに、人跡希なる川でのスリリングなフィッシングの魅力を、視聴者に伝えたいんだそうだ。放送予定は八月半ばなので、取材は七月中旬から下旬までに終えてほしいと」

「それはいい話じゃないか。相手は大手のテレビ局か」

「三大ネットワークのひとつABCのシアトル支局から、番組制作を請け負ったプロダクションだ」

「ならばまちがいなく、いい稼ぎになるな。おめでとう」

「それはそうなんだが、残念ながら俺はまだ北極圏の川を下ったことがない。どこが良いステージなのかもわからない。なので、もしかしてお前さんのワイフの線で、ガイド役を務めてくれる人はいないかなと思ってね」

「無理だ。今言ったように、それは過去形の話だ」

「そうか。参ったな」

 そう言ってジムはしばらく黙った後、ややなげやりな調子になって言った。

「実はもう、やりますと請け負ってしまったんだ。いまさらできませんとは言えない」

 そうか、なるほどと思った。

 当時すでにジム・リパインの名は、テレビのアウトドア番組や、フライフィッシャーなど全米規模の雑誌を通じて、広く知られていた。だから、いったんやると言ってしまったのに、実は未知の領域なのでできませんというのは、沽券にかかわる問題にちがいない。

 そう察しがついたので、わたしはつい、言わずもがなのことを口にしてしまった。

「北極圏の川なら、どこでもいいのか?」


「まあ、そうだ」


 と言ってから、ジムは急に元気づいた感じになって問い返してきた。

「なにか心当たりがあるのか?」

「心当たりというか、実はこれも前妻の親父に連れられてのことだが、俺自身、北極圏の川を下ったことがある」

「なんだと! それはどこの川だ」

「クズトリン川と言って、ノームの北方約五〇マイル(約八〇キロ)ぐらいのところを、東から西に流れてベーリング海に流れ込む」

「魚はいるのか?」

「あの時はハンティング目的で川を下ったので、確実なことは言えない。夕方キャンプするにあたって、親父に晩飯のおかずを釣れと言われ、ルアーでアークティックチャー(北極イワナ)を、その時の人数分だけ釣った」

「サイズは?」

「川があまり大きくないので魚のサイズも小さかった。だいたい一〇インチ(約二五センチ)から一フィート(約三〇センチ)ぐらいだった」

「ふーん、そうか」

 日本の渓流で釣ったのなら、いずれも尺イワナ扱いされるのに充分なサイズだ。しかしアラスカの川の標準では小さすぎる。がっかりしたようなジムの声を聞いて、再度仏心が湧いてきて、つい言わずもがなの上載せをしてしまった。

「サイズをいうなら、別のハンティングトリップで、親父や義理の弟と行ったノアタック川では、三〇インチ(約七十六センチ)から三五インチ(約八九センチ)の魚を何匹か釣ったがね」

「なに、ノアタック川? そうか、あのあたりには大イワナやシーフィッシュなど、巨大魚がいるって話は聞いたことがある。しかしノアタックは大きな川だ。ノアタックのどのあたりだ?」

「実はノアタック本流ではなく、支流のキリー川だ。この時は合流点の川原に飛行機を降ろして、徒歩で一マイル(約一・六キロ)ほど上流に遡ったあたりで昼食時に釣ったら、いきなり三〇インチオーバーのチャーが釣れた。背中が真っ青で横っ腹にきれいなレッドスポット(朱点)を散らした、見事な魚だった」

「青い背中に腹部に朱点? それは同じイワナでもアークティックチャーじゃない。ドリーバーデンだ。でも、ノアタックは、北極海に続くチュクチ海へ流れ込む川だろう? なのにドリーがいるのか。信じられない」

「信じる信じないは、そっちの自由だ。俺は釣れた魚はこうだったと説明しているだけで、北極海に流れ込む川にドリーがいるかいないかは俺の責任ではない」

 すこしばかり意地悪な口調でそういうと、ジムはますます興奮した。

「北極海に流入する川の支流で、三〇インチオーバーのドリーバーデンか。君の話が真実ならば、それはおそらく降海型のドリーだろう。ならばこれまでのわれわれアラスカのプロガイドはもちろん、えらい学者先生たちの定説や常識が完全に覆ることになる」

 そう言ってから、ジムは急に猫撫で声になって続けた。

「俺とお前さんの仲だ。その川に連れて行ってくれないか」

「さっきから言ってるだろう。今の俺には無理だって。自分で現地に出向いて確かめたらどうだ」

 とたんにジムの声音が弱気をはらんでぼそぼそ声になった。

「あの方面、とりわけベーリング海から北極海にかけてのコースタル・エスキモー(海岸ぞいに住むエスキモー)は、われわれワスピッシュ(ワスプ=白人をからかい気味に呼ぶ蔑称)に対しては特に厳しい。確認しに行くとしても、お前さんのようなブラザーといっしょでないと、相手にしてくれない」

 この少し前の一九八二年一月まで、第三十九代アメリカ大統領の任にあったジミー・カーターが、これまでの少数民族対策を大幅に見直し、アメリカインディアンやエスキモーなど、中西部やアラスカに住む先住少数民族に対し、反省と謝罪をこめてかなりの国有地を割譲した。

 大半は未開拓の山林や荒野だが、ハンティングやフィッシングには最適の場所が多く含まれていた。

 結果的に我が物顔で跋扈していた白人たちに対する目が厳しくなり、そこかしこにプライベートプロパティ(私有地)という看板が立てられ、ジム・リパインのような著名なガイドすら立入りが難しくなった。

 反面、わたしたち日本人のようなモンゴロイドは兄弟と見なされ、歓迎された。

 ジム・リパインが、お前のようなブラザーの協力が必要だと言った裏には、こんな事情があった。

「それにしても」


 と、ここでジムの口調が、哀願調からビジネスライクになった。

「お前さんだって給料取りからフリーランスの物書きになって、いろいろ大変だろう。ここで協力してくれれば、それなりのことはするぞ」

「そんなことを言われても困る。駆け出しの物書きだからこそ、今は必死で原稿を書いているんだ。釣りなんかに費やすヒマはない」

「遊びに来いと言ってるんじゃない。そのキリー川とやらを知っているのは、地元のネイティブ(先住民)を別にすれば、部外者ではお前さんぐらいのものだ。ここはひとつ、いっしょにいい仕事をしようじゃないか。七月十日から三週間、時間を俺にくれ。頼む」

「冗談じゃない。今はその七月いっぱいを締切りにして、もらった仕事に取り組んでいる最中だ。駄目だよ」

「俺とお前の仲じゃないか。まだ五月だ。がんばれば一月やそこら、早く仕上げることだってできるだろう。お願いだから七月十日を目処にアラスカに来てくれ。ギャラはたっぷりはずむから」

 おもわず、ウソつけと言いそうになって、その言葉を呑み込んだ。ジム・リパインはわたしより七、八歳年上の兄貴分だ。性格は底抜けに明るく、いつもそこから先は危ないと言いたくなるような冗談を連発し、面倒見も最高にいい男だ。

 しかし、こと金銭についてはまったくのザルで、入ったカネは右から左へと蕩尽し、いつも借金取りに追われている。だが不思議なことに、そうした債鬼たちの中にもファンがたくさんいる。

 彼が住んでいる借家の大家さんといっしょに釣ったことがあるが、ある時こんなことを言っていた。

「家賃の大半は、ジミーに連れて行ってもらったガイド料でまかなっています」

 どんな釣行かは聞かなかったが、ジムが住んでいる借家はアンカレジの都心部にあり、少なくとも月千ドルは必要だ。

 よくあることだが、


「ただで釣りに連れてってやるから、現地での作業を手伝え」

 と言われて、現地でのテント設営から炊事や食器洗い、さらには客の世話までギャラなしで手伝わされて、釣りができるのは早朝ないし深夜。客が休んでいる間のわずかな時間の間だけだ。

 白夜続きの夏だからできることだ。

 ともあれ、電話であれこれ言い合っているうちに、うかつにも血が騒ぎはじめた。極地のツンドラを吹き抜ける風に吹かれつつ、もう一度あの巨大で美しい魚に会ってみたい。

 徹夜原稿を書いている最中、気がつくと、窓の外が白みはじめていた。わかったよ。心の中でそう呟いてから、送話口に向かって言った。

「しょうがないなあ。やれるだけやってみよう。ただ、七月十日は無理だ。あと一週間先延ばししてくれないか。それならなんとかなるかもしれない」

 半ば捨て鉢になってそう言ったわたしの鼓膜を、ジムの勝ち誇った哄笑が震わせた。 「やはりお前は真の友達だ。待ってるぞ!」

 * * *


 二ヶ月足らず後の七月二十日。

 わたしは妻と釣り仲間一名、そして、どうしてもアラスカの荒野に行ってみたいという、友人の歯医者夫妻を同伴して、アラスカ北極圏最大のエスキモー村、コッツビューの空港に降り立った。

 アラスカ側からは、アンカレジから同行した巨漢のジム・リパイン、アンカレジ在住のテレビデイレクターとカメラマン、そしてビデオエンジニア(録音技師)。

 総勢九名という、アウトドア番組のロケ隊としてはかなりの人数だ。とはいえ辺境といえる場所のロケでは、これに通訳兼雑務すべてを担う、コーディネーターなどが加わることも少なくない。

 奇妙なのは日本側の顔ぶれである。

 この旅のガイド兼コーディネーターで、出演者でもあるわたしと、当時女優だった妻。そして長年の釣友で、アラスカの釣りに精通している友人の瀬谷満。

 この三人はともかく、過去アウトドアスポーツには無縁だった歯医者夫妻が、かなりの危険も予想されるアラスカ北極圏舞台のフロートトリップに、なぜ参加することになったのか。

 理由は簡単にして単純。緊張感のあるフロートトリップを敢行するにあたり、念のため虫歯を治しておこうと思ったわたしが、かかりつけの歯医者にこの旅のことを話したからである。

「うわ、凄そう。面白そう。自分と妻もぜひ連れてって」

 と、やや女性っぽい話し方をする歯医者に懇願され、わたしが思わず、いいですよと言っただけの結果である。アラスカに着いてから悶着が起きては面倒なので、出発直前ジムに電話をかけて、こういうふたりも行くよと連絡した。

 それに対して、番組的にはそういう素人がいたほうが面白いだろうという、無責任としか思えない反応があったことも、歯医者夫妻参加の一因となった。

 この夜はコッツビュー唯一の外来客専用ホテル、ナゲットインに投宿。翌日朝、今回のフロートトリップの舞台となるキリー川源流地帯まで飛んでくれる、エアタクシーのパイロットと、彼を紹介してくれたわたしの元義理の弟、リチャード・アウトウォーターと会って打合せを行なった。

 パイロットのリンカーン・アクスラックは地元ネイティブのエスキモーで、日頃はハンター専門のブッシュパイロット。滑走路などない山奥専門の腕っこきだという。

「今年は例年にくらべてグリズリーの出没が激しくてね。冬の降雪が少なく、そのぶん水不足で、餌になるブルーベリーなどが不足しているらしい」

 源流に向かって飛び立つ前夜、耳にする話としては、あまり嬉しくない情報であった。

(続く)

益田由美(ますだ ゆみ)

東京都出身。早稲田大学文学部卒業、1977年フジテレビ入社。『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る。その後『リバーウォッチング』『晴れたらイイねッ!』『なるほど!ザ・ニッポン』『ちいさな大自然』を企画、プロデュース、出演。2015年フジテレビ定年退職。

西木正明(にしきまさあき)

作家
1940年、秋田県生まれ。
早稲田大学教育学部社会学科中退。
大学在学中は探検部に所属。平凡出版 ( 現・マガジンハウス ) 記者を経て作家として独立。
1980年『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞。1988年『凍れる瞳』『端島の女』( 作品集『凍れる瞳』) で第 99 回直木賞を受賞。1995年『夢幻の山旅』で新田次郎文学賞を受賞。2000年『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受賞。

原作◎西木正明  朗読◎益田由美  画◎シノハツミ