2016
01.29
[ 52号掲載 Vol.29 ]
Phantom of a red creek
流れが幻になる

エッセイスト、編集者として活躍する湯川 豊氏の『約束の川』。フライフィッシャーとしての長いキャリア、そして文藝春秋社の編集局長まで勤め上げた文字のプロが語るその軽妙な臨場感は、本誌でも人気コンテンツです。そこで『Fishing Café Vol.52』第29回目のエッセイをフジテレビの人気アナウンサーとして活躍した、益田由美さんの朗読でお伝えします。

The Promised River

約束の川 Vol.29

文◎湯川 豊

流れが幻になる

Phantom of a red creek

 渓流釣りのオフ・シーズンでもあることだし、少しのんびりした話から始めたい。

 僕が愛読している須賀敦子のエッセイに、『アントニオの大聖堂』という一篇がある。イタリアでも名の知れたルッカの大聖堂を、アントニオという友人と一緒に見に行った話である。朝露の中、大聖堂の美しい姿を見たことが描写されているのだが、ずっと後になってその姿をもう一度見たくなり、行ってみると記憶のなかの美しい姿はそのかけらもなかった、という話である。

 記憶というもののあいまいさ、不安定さが、霧がかかる光景になぞらえて語られている。そしてこのエッセイを思い浮かべるたびに、僕の頭のなかに、必ず現れる渓谷がある。その谷は、あったのかどうか、しまいにはハッキリしなくなる。

 新潟の阿賀野川の大支流の一つ、T川の支流のそのまた支流。案内してくれたのは新潟の友人のHさんだが、その小さな流れには初めて入るのだ、といった。

 そこまで行くと、もう地図を見ていなかったから、谷の名前もわからないまま。晩夏の一日、そこに到着したのはちょうど昼頃だった。落差があまりない、穏やかな流れで、ただ両岸はかなり急峻な崖。左岸側に林道がついている。樹々のみどりは、おそ夏の日差しを受けて艶っぽく輝いていた。

 忘れられている流れだったのだろうか、魚はよく出た。ヤマメとイワナの混棲で、ヤマメのほうが少し多い。Hさんと交互に釣りあがって、高さ二〇メートルほどのその滝にぶつかったときは、二人とも十分に釣って満足していた。時計を見ると五時過ぎ、そこで釣りをやめてもよかったのである。

 半ばそのつもりで、滝から少し戻って直登できる場所を見つけ、灌木の幹や枝につかまりながら左岸の林道に出た。以前は車一台が通れるほどの道だったようだが、いまは草におおわれた山道になっている。

 林道に立って、「せっかくだから滝の上を見るだけ見ようか」と僕がいうと、Hさんは当然という顔で頷いた。

* * *


 山道をつたって、滝の上に出た。そこに荒涼とした秋がひろがっていた。

 山道は滝の上で途絶えて、幅五メートルほどに狭くなった流れを、ススキの原っぱが取り囲んでいた。流れは、狭くなったぶんだけ水が厚く流れ、両岸は小さな土手をもっている。

 何よりも、どこまでも続いているようなススキの原野に圧倒された。穂をひらいた白と茶のススキの原がゆるやかな斜面を登っていき、あまり高くはない稜線につながっているように見えたが、遠い風景はかすんでいてはっきり視認できなかった。

 一面の雲が空の高くにかかり、夕日は稜線の陰に入っている。白と茶の広大な台地のひろがり。薄闇の遠くが揺れて見えるのは、ススキの穂に風がわたっているせいか。

 僕とHさんは、申しあわせたようにロッドを振った。ドライ・フライに仕立てたマドラー・ミノーに、二〇センチほどのイワナがすぐに飛びついた。手もとに寄せると、ハッとするほどイワナが赤っぽかった。流れの両岸の赤い土の色にそっくりだったのだが、風景も魚体も、ひたすら気味が悪かった。

 そんなふうに、突然に出現した秋のススキの原野と、そこを蛇行する赤い小川の赤いイワナが記憶に残った。

 もう一度行ってみようと、僕がHさんにもちかけたのは、気味悪さが少し薄れた三年後である。あまり気乗りしないHさんの車で支流の支流を探したが、どういうわけか行きつけなかった。

 僕は自分が幻を見たのではないかと恐れ、何度もHさんに確かめたりした。Hさんは奇妙な風景だったね、と保証してくれるのだが、時がたつにつれて、あれは幻ではなかったか、という思いが強くなるのだ。

* * *


 風景全体、流れ全体ではなく、切りとられた一枚の絵のように、記憶のなかで輝いている映像がある。しかし、それがA沢であったかB沢であったか、はっきりしないのだ。これもじつにまどろっこしい。

 年で忘れっぽくなっている? それは認めるにしても、これは去年の話なんですよ。去年の、忘れようのない、四国は仁淀川上流での体験なのだ。

 集落のはずれ、流れの幅が少しずつ狭くなって、一〇メートルもあるかないか。あたたかい春の日が、夕暮れどきの斜光になって、流れの半分は薄暗い流れのなかにある。対岸の上のほうは夕日のなかで橙色に輝いているが、斜面の下の部分はりをおびて、その翳りが流れにも溶けこんで、水面は見やすくないのだ。

 エルクヘアー・カディスの十二番を投げる。これならば、見逃すことはない。たてつづけに、アマゴがかかった。一五センチから二〇センチほどの小ぶりだが、夕暮れどきのせいか、みな動きが活発だ。

 一匹だけ、これは大きいぞ、と思うのをかけた。手もとに寄せると、アマゴではなくヤマメ。混棲だからそれはいいのだが、二三センチほどのこのヤマメは、体側にサクラ色がにじんでいて、産卵期のそれに見まごうような色あい。流れには、さっきからヤマザクラの花びらがしきりに流れていて、あの花びらを食べたせいかと一瞬思い、すぐに自ら苦笑するしかなかった。

 四国でこそ味わえる、穏やかで花やかな春の夕暮れ。にもかかわらず、あれが仁淀川上流のどの支流だったのか、連日同じような流れを駆けめぐったせいで、記憶の霧がかかってしまった。やれやれ、せめて一枚の映像の絵だけは、流れ去らないことを願う。

益田由美(ますだ ゆみ)

東京都出身。早稲田大学文学部卒業、1977年フジテレビ入社。『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る。その後『リバーウォッチング』『晴れたらイイねッ!』『なるほど!ザ・ニッポン』『ちいさな大自然』を企画、プロデュース、出演。2015年フジテレビ定年退職。

湯川 豊(ゆかわゆたか)

1938年、新潟県生まれ。作家、エッセイスト。
慶応大学文学部卒業後、㈱文藝春秋社に入社。『文學界』編集長、同社取締役・編集局長などを経て2003年退社。著書に『イワナの夏』、『夜明けの森、夕暮れの谷』、『ヤマメの魔法』などがある。

原作◎湯川 豊  朗読◎益田由美