2015
09.04
[ 49号掲載 ]
『三面詣で』(その1)

ノンフィクション小説の気鋭として知られる作家、西木正明氏。現在、『Fishing Café』で掲載中の「海鳴り山鳴りの日々/『三面詣で』」は、自身の若き頃の釣り冒険釣行を題材にした小説です。その原作をフジテレビのアナウンサーとして長く活躍した益田由美さんの朗読でお伝えしていきます。

海鳴り山鳴りの日々

『三面詣で』(その1)

西木正明


 筆者は幼少の一時期、勤務医だった父親の仕事の関係上、東京郊外で育った。しかし物心がつきはじめた四歳以降十代後半までは、父母の故郷である秋田の山村で過ごした。

 当時の日本は、太平洋戦争末期から終戦直後にかけての混乱期。さらには朝鮮戦争で復興のきっかけをつかんだ激動の時代である。なのにわたしが過ごした秋田の辺境は、そんな時代の激流とはまるで関係なく、戦前と同じような時間がゆったりと流れていた。

 たまにその流れがざわめくことがあるとすれば、東京などの大都会から、闇米買い付け目的でやってくる目つきの悪い男たちや、彼等にぶら下がってきた、派手な化粧の女たちがうろつきまわる時ぐらいであった。

 子供たちの遊びも昔のままで、夏は川、春と秋、そして冬は家のまわりか山で遊ぶことが、ほぼきまりごとのようになっていた。

 そんな環境の中で覚えた遊びのひとつが、渓流釣りである。遊びというより、家の手伝いといってもよかったのかも知れない。海の魚などほとんど入ってこない山里では、子供の遊びの結果手に入るイワナやヤマメ、時にはサクラマスのような大物も、すべて家庭の貴重なたんぱく源になったからである。

 長じて大学の部活で本格的な登山にはまりこんで以後は、沢登りを名目にして日本中の渓流を歩き回った。谷川岳の一の倉沢南陵や第4ルンゼぐらいはこなせる岩登り技術を身につけていたので、普通の釣り人なら敬遠するような険阻な谷にも、ためらうことなくもぐり込んだ。

 北海道では知床半島の沢のほとんど(まだ国立公園などに指定される以前のこと)、大雪山や十勝岳周辺の沢など。本州では黒部川源流や御嶽山から湧出する濁河(にごりご)源流、奥秩父の荒川源流一帯など、名うての険谷と言われた多くの沢を、使い慣れたザイルなどを駆使して釣りまわった。

 そうした流れの中で、一時期ものに憑かれたように通い詰めたのが、新潟と山形の県境に聳える、朝日山塊の高峰以東岳から湧出する三面川である。時期は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった週刊誌『平凡パンチ』編集者だった頃のことだから、20代後半から30代はじめの頃のことだったと思う。

 きっかけは、その頃夢中になっていたルアーによるサクラマス釣りである。サクラマスについては、当時から各河川とも規制が厳しく、春先から初夏にかけての遡上時期に釣ることができる川はきわめて少なかった。

 そんな中で三面川は、秋に遡上するサケについては他の河川以上に厳格だったが、春先に入ってくるサクラマスについては、ヤマメと同じ扱いで大目に見てくれていたのだ。

 筆者たちがキャッチアンドリリースを徹底していたことも、釣りを許された理由のひとつだったのかも知れない。

 五月下旬のある朝、実質的に遡上魚の魚止めになっている三面川ダムの下で釣っていた筆者らに、地元の人が声をかけてきた。

「どうだ?」

「いや、今日はまだ駄目です」

「そうか。高根川では釣れていたぞ」

「そうですか。でもわたしたちは、高根川は遠慮することにしています」

 高嶺川は三面川の支流で、ダムから十キロ程下流で北から本流と合流する。本流のような巨大なダムが上流にない分、遡上する魚の数が多かった。

 しかし筆者らは、高根川ではサクラマス釣りをしないと決めていた。サクラマスが上流まで遡上できる川は、貴重な自然産卵の場であるからだ。

「そうか。それはいい心がけだ」

 地元の人はそう言ってから、ならば、という顔つきになって言った。

「今はまだ少し早いが、六月の下旬ぐらいになって雪代が収まった後、このダムの上流の三面川に入ると、いい思いが出来るぞ」

「いい思い?」

「そうだ。上流は谷が深く、ある程度の沢歩きの技術が必要だ。しかし、いったん沢に入れたら、尺五寸クラスのイワナが釣れる」

「尺五寸のイワナ?」

「そうだ。今言ったように、沢に入るには相当の技術が必要だが」

 尺五寸といったらおよそ五十センチだ。湖で育って巨大化した物なら見たことがある。自分自身も只見川源流の銀山湖で釣った経験がある。ただしこれは、ボートを漕ぎながらのトローリングでの釣果だが。

 どのような流れなのかは知らないが、三面川源流に、そんな大物が棲息しているとは。

 もしかしてそれは、目の前に聳えている三面川ダムのダム湖で育った遡上魚なのでは。

そんな筆者の腹の中を読み取ったように、その人が続けた。

「その大イワナは、銀山湖のようなダム湖で大きくなった魚ではないぞ。三面川の源流には、昔から二尺を越す大イワナがいた。嘘だと思うなら、この奥にある三面部落の人たちに聞いてみれ」

 すでに筆者も、三面ダムの上流に平家の落ち武者伝説に彩られた、三面集落があることぐらいは知っていた。

 もし事実だとすれば、聞き逃すことが出来ない情報である。情報をくれた地元の人に愛想笑いを返しながら、これは行ってみるしかないと腹をくくった。

 約二ヶ月後。七月下旬の土曜日未明。

 筆者は釣り仲間の同僚と、車で国道四号線を北に向かってひた走っていた。めざすは四方を高い山に囲まれた、秘境の三面集落である。

 買ったばかりの四輪駆動車に、二人分のビバーク用半シュラフ(半身用寝袋)、ツエルト(ビバーク用小型テント)、スベア(超小型石油ストーブ)、ザイル(九ミリナイロン三つ編み製)、ハンマー、ハーケン、カラビナ、アブミ、アルファ米など、ちょっとした岩登りに出かける時のような装備や非常食を積み込んでいる。

 都心から約五時間かかって福島から国道十三号線に入り、福島と山形を隔てる板谷峠を越え、山形県赤湯で左折して国道百十三号線を西に向かって走った。

 山形側から三面に向かう拠点の小国に点いたのは、午前八時すぎ。小国から林道を北上して県境の大峠を越え、数戸の茅葺き屋根の家が固まって建っている三面集落に点いた時は、すでに午後三時を回っていた。

 この夜宿泊をお願いしてあった民家に荷物を置き、偵察をかね徒歩で三面川本流に向かった。

 約三十分後。

「こいつはすげえや」

 思わずそんな声が出てしまった。巨大なノミで大地をかち割ったような深い渓谷が、目の前にあった。足元におよそ二十メートルの断崖が切れ落ちていて、その下で深い流れが渦を巻いていた。

 対岸も同じような崖だ。

「思ったより手ごわいぞ。足元をさらわれて流されでもしたら助からないかも知れない」 同僚が憮然とした声音で言った。

 そのまま三キロほど上流に向かって歩いた。対岸から両岸がきつい斜面の流れが、合流している地点までたどりついた。

 本流より川幅は狭いが、両岸の崖の高さは本流よりはるかに高い。奥はさらにせばまっていて、まるで巨大な怪獣が口を開けているような感じだ。

「岩井又沢だ。支流とてあなどれない。明日はここを攻めようと思ったが、かなりやばそうだ。雨が降ったら入れないぞ」

 そんなやりとりを交わしながら、足元を見る。爪先からきれ落ちている斜面が、いくぶん緩くなっている。

「今まで見た中ではここしか降り口はない」 そういうわたしに、同僚が頷いた。

「ここですら、ザイル無しには降りられないだろう」

「ザイルは九ミリなので、懸垂するならダブルにして使うしかないな」

「四十メートルザイルだろ。ぎりぎりだな。降りたところで、渡って対岸まで行けるかどうか」

 本流の五十メートルほど上流に吊り橋がかかっているのが見えた。

「あれを渡って岩井又に入るというのは?」

 同僚が言うのに、すぐさま頭を振った。

「だめだ。対岸からの杣道は、まっすぐ山頂に向かって延びている。岩井又沢の崖は高すぎて降りることはできない」

 思ったよりはるかに手ごわい渓相を見て、徹夜運転の眠気も吹き飛んだ。

「しようがねぇ。明日はツエルトなど持たずに、まだ宿に戻ることにして来よう。空身でないと竿を持ってこの崖を降りたり登ったりするのは無理だ」

 宿に戻り、若い頃は三面マタギとして鳴らしたという、この家の主人にからかわれた。

「あんた方、まず物好きだんすな。三面本流で釣りをする人など、めったにいないすよ」

「はあ」

「それももう少し雪代が減った八月になってからでないとあぶねえす。明日も無理したら死ぬんすよ」

「わかりました。無理はしません」

 神妙にそう言って早々に夕食を済ませ、泥のように眠った。

 翌日午前六時。

 宿が作ってくれた昼食用のオムスビと、崖を下ったり登ったりするのに必要な、ザイルとカラビナだけをザックに入れて宿を後にした。

 昨日目をつけておいた岩井又沢合流点で、崖縁にある木の切株に捨て縄を巻付け、カラビナを掛けてザイルを通した。

 ダブルにしたザイルを使って足元の水辺まで懸垂下降し、そこでザイルを回収した。

 降りた所にある柳の木を束にしてザイルを巻付け、両端をそれぞれの腰に結んで流れに立ちこんだ。

 上流と下流に分かれて竿を出す。筆者はこの頃はじめたばかりのフライ。同僚は手慣れたルアーである。

「まるでリードに繋がれた犬が釣りをやっているようだな」

「しかたがないだろ。ほかにやりようがないんだから」

 そんなことを言い合いながら、それぞれ対岸の岩井又河口に向かったフライとルアーを投じた。

 最初の当たりは、下流側にたちこんでいた同僚に来た。

「う、大きいぞ」

 うめくように言って、同僚はリールを巻きはじめた。六フィートのウルトラライトのルアーロッドが、大きく弧を描いている。

「流れが強いんで、なかなか寄ってこない」

 そんなことを言いながら五分ほどの時間をかけて取り込まれた魚は、体長三十センチほどのイワナだった。

「なんだ。こんなものか。もっと大きいと思ったのに」

 通常なら、尺イワナが釣れたと言って大騒ぎするサイズである。

 しかしこの時は、事前情報が凄すぎた。

「尺五寸のイワナが釣れる」

 そういう思い込みがあったので、尺イワナ程度では満足しない。

「どうする、これ」

 同僚が聞いてきた。

「写真機を持ってるだろ?」

「じゃあ、そうするか」

 同僚はうなずいて、ベストのポケットから愛用のニコノスを引っ張りだした。

 水深六十メートルまで耐えられるという、本格的なダイバー用カメラである。

 器用に片手でカメラを操作して、獲物の写真を取り、苦笑しながら放流した。

「ほんとに尺五寸なんているのかな」

 そう言ってニコノスをベストのポケットに仕舞い込んだ同僚が、斜面の灌木に押しつけるようにして置いてあったロッドに手を伸ばした。

 次の瞬間、大きな水しぶきが上がり、同僚の姿が消えた。

 筆者と彼の中間点にあった柳の木から、数枚の葉がはじけて飛んだ。

「これは」

 筆者の身体が反応するのに、一秒はかかっていなかったはずだ。

 腰に巻き付けてあるザイルに、強烈な負荷がかかった。

 下流の水面が割れ、同僚の手が水面を突き破って出てきた。

「焦るな! 岸寄りに動け! とにかく立て!」

 同僚に向かって叫びながらロッドを放り出し、岸に生えている灌木を掴もうとした。

 しかし、掴んだのは蕗などの草ばかり。

 腰を落として倒れないようにふんばる。しかし、水流に押された大柄な同僚の牽引力は強く、じりじりと下流にひきづられて行く。

 今し方までザイルを巻き付けていた柳の木が目の前にあった。

 四重か五重に巻き付けてあったザイルが、数本の柳の木のてっぺん近くまで移動し、このままでは抜けてしまいそうな状態になっていた。

 反射的に身体を沈ませ、腰までの高さしかない柳の束に抱きついた。

 下流に向かって怒鳴る。

「だいじょうぶ。これ以上は流れされない。頑張って立ち上がれ。岸にむかって身体を投げ出せ!」

 同僚が反応した。

 二十メートル近く下流に向かって流されたお蔭で、筆者が抱いている物よりひと回り小さいものの、柳の株が目の前にあった。友人がそれに抱きついた。

 十五分後。

 同僚と筆者は、ずぶ濡れの状態で三面川本流ぞいの杣道にへたりこんでいた。

「くそ。あんな小さな魚と引き替えに、ロッドを一本無くした」

 ぼやく同僚に、からかい半分声をかけた。

「お前にとっては安竿だろ。三面川本流にいどんで、この程度のことですんだのだ。ありがたいと思え」

 宿に帰り、マタギの主人に慰められた。

「今年は例年より雪解けが遅いんだ。まだ雪代か出ない春か、盆明けぐらいにこられたらいいんすよ」

 さらに彼は、こうつけ加えた。

「支流の末沢川なら、春早くでも入れる。川も穏やかだし」


(続く)

益田由美(ますだ ゆみ)

東京都出身。早稲田大学文学部卒業、1977年フジテレビ入社。『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る。その後『リバーウォッチング』『晴れたらイイねッ!』『なるほど!ザ・ニッポン』『ちいさな大自然』を企画、プロデュース、出演。2015年フジテレビ定年退職。

西木正明(にしきまさあき)

作家
1940 年、秋田県生まれ。
早稲田大学教育学部社会学科中退。
大学在学中は探検部に所属。平凡出版 ( 現・マガジンハウス ) 記者を経て作家として独立。
1980 年『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞。1988 年『凍れる瞳』『端島の女』( 作品集『凍れる瞳』) で第 99 回直木賞を受賞。1995 年『夢幻の山旅』で新田次郎文学賞を受賞。2000 年『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受賞。

原作◎西木正明  朗読◎益田由美  画◎シノハツミ