2015
10.23
[ 51号掲載 ]
『三面詣で』(その3)

ノンフィクション小説の気鋭として知られる作家、西木正明氏。現在、『Fishing Café』で掲載中の「海鳴り山鳴りの日々/『三面詣で』」は、自身の若き頃の釣り冒険釣行を題材にした小説です。その原作をフジテレビのアナウンサーとして長く活躍した益田由美さんの朗読でお伝えしていきます。

海鳴り山鳴りの日々

『三面詣で』(その3)

西木正明


「なんだ、あの音は」

「こんなところでこんな時間、あんな音をたてるのは車しかない」

 雪掻きの手を休めて、車のエンジン音らしき音に聞き耳を立てる。

 そんなに遠くない所からの音のようだが、時折高くなったり低くなったりする。

「聞こえる方向が変わるぞ」

「何台か別の車の音のような気もする」

「なんでそんなことがわかるんだ」

「エンジン音がちがう」

 こんなことを言い合っている間に、エンジン音はじわじわと大きくなった。

「わかった」

「なにが?」

「エンジン音の聞こえる方向が変わるのは、ここまでの登りがS字カーブの連続だからだよ。たぶん二台だな」

 いずれも車には一家言ある者ばかり。近づきつつある車をめぐる評定につけこむかたちで、誰もが言いだせなかった休憩を取る理由がみつかった。

 タバコをくわえるもの、雪の上にテントが入った袋を置き、椅子代わりにして座り込む者。わたしは先刻から暗くなりつつあったコールマンのガソリンランタンを消して、燃料のガソリンを補給した。

 一台で百ワットクラスの明かりをもたらすガソリンランタンは、こんな時に実にありがたい存在となる。

 北極圏の人里では、未だ電気が使えない場所が多く、どこでもこのランタンが大活躍している。

 仲間がタバコを吸いおわり、わたしがランタンに燃料を充填し終えた頃、迫りつつあったエンジン音が急速に大きくなり、足下の斜面を右方向から移動しつつあるライトを見下ろせるようになった。

 推測通り、車は二台だった。

 やがて先頭車が最後のS字カーブを曲がり終え、われわれの目線とほぼ同じ高さから、強いライトの光が放射されてきた。

「こんな時間に、どこへ行くつもりなんだろう」

「この奥にある人里は、三面(みおもて)しかない。もしかして三面(みおもて)の人たちかな」

「まさか。もしそうなら、われわれはこんなに苦労しない」

「そりゃそうだ。除雪されてもいないのに、三面(みおもて)の人たちが車で下界から戻ってくるはずがないから」

 そんなことを言い合っているわれわれに、先方も気がついたらしい。ライトをアップダウンさせて合図を送ってきた。

「のんきなもんだな。こっちが何をやっているか、もう見えているはずだが」

 加納(かのう)がそう言いながら、今し方自分たちが除雪した部分を、近づいて車のほうに向かって歩いて行った。

 十メートルほど進んだところで、両手を広げて止まれと合図する。

 迫りつつあったライトが動きを停止し、ビームダウンされた。

 先頭の車のドアが開き、助手席と運転席からふたりの人影が道路に降り立った。

 そのままライトの明かりを背負って近づいてくる。

「どうも」

 と言った男の声が、次の瞬間、親しげな響きに変わった。

「あ、この人、どこかで見たことがある」

 とたんに気を良くした加納が、いつもの調子で自己紹介した。

「オレ、加納(かのう)」

「やっぱし。あれでしょう、平凡パンチでエロ写真を撮っている加納典明(かのうてんめい)さん」

「エロ写真じゃない。ヌードはゲージツだ」

「あ、すみません」

 口先だけで謝ったものの、すぐに男は態勢をたてなおし、質問してきた。

「だども加納(かのう)さん、こんな所でなにやってるんですか」

「マサアキ」

 加納(かのう)がわたしを呼んだ。

「今着いた人に、俺たちがなにをやってるか説明してくれ」

「そんなことぐらい、自分でやれよ」

 やっていることのとんでもなさにやっと気づき、これからどうしようかと考えはじめていた時だったので、わたしはいささか突き放した調子で言い返した。

 加納(かのう)は意に介する様子もなく、

「いや、こんなとっぽいこと、やろうと言ったのはマサアキだ。お前が説明しろ」

 そんなやりとりの後、しかたなくわたしは手にしていたランタンを元の位置に掛けなおして、加納(かのう)のそばまで行った。

 そして、怪訝そうな面持ちでわたしと加納(かのう)を見比べている小柄な男性に、つとめておだやかに言った。

「ごらんの通り、林道の除雪をやってます」「え、まだ除雪をしないと通れないほど雪が残っているんすか?」

 地元とおぼしき訛りのある言葉で聞き返して来たので、逆に当方が驚いた。地元の人間のくせに、そんなことも知らずに車で山越えをしようとしているのか、と。

「残っているどころか。除雪しないかぎり、四輪駆動車でも無理です」

「んだすか」

 男は背伸びをするように、わたしの肩ごしで除雪作業を続けている仲間たちをみやった。

 それから、ふと気がついたように、「ところであなたがたは、除雪してまでどこさ行くんすか。もしかして三面(みおもて)?」

 この先には、いにしえの平家の落人が住み着いたと言われる、三面(みおもて)以外に人里はない。

 何を言ってるんだ、といいそうになってぐっとこらえ、

「そうです。そういうあなたたちも、三面(みおもて)ですか?」

 男は一瞬の間をおいて、小さく頷いた。

「んだす」

「今頃、何しに三面(みおもて)に行くのですか」

 男は返事をするかわりに振り向いて、背後に控えている仲間の顔を見た。

「いやあ」

 言い渋るふたりの様子で、すぐに察しがついた。

「もしかして、釣りですか?」

「あ」

 と言ったきり、男は口を閉ざした。

 思わず笑ってしまった。返事をためらう男に追い打ちをかけた。

「驚いた。われわれ以外にも、ホンジなしがいたんですね」

「ホンジなし?」

「わたしの故郷秋田方面では、今のわたしどものような愚行に走る者を、ホンジなしといいます」

 本地なし。もともと仏教用語だったらしいが、それが秋田弁では無鉄砲な愚か者という意味あいで使われている。

「え、あんだ方、秋田からきたんすか」

「いえ、たまたまわたしが秋田出身で、加納(かのう)は名古屋だし、後ろで雪掻きしている者のひとりは長野、残るひとりは東京です。その先でスコップを振り回しているのは、加納(かのう)の助手で、同じ名古屋方面の出です。今回は全員東京からやってきました」

「それで、あんだ方も、もしかしてイワナ釣りに?」

「まあ、そんなところです」

「たまげた。それで林道が雪で塞がっていたから、除雪していると」

 自分たちだって同じ目的でやってきたのだから、たまげることはないだろうと思いつつ頷いた。

「そうです」

「それだら、われわれも手伝います」

 そう言って男は背後に立っている仲間に、「車の中にいる奴らに、降りてこいと言ってや」と声をかけてから、うってかわって親しげな調子で言った。

「わたしどもは、福島と仙台、山形の渓流釣り道楽者が集まった釣り仲間だんす。わたしは山形からきました」

「ははあ」

 わたしは頷いて、わずかの間考えてから言葉を継いだ。

「今、手伝うとおっしゃったけど、それはこの先の状況を見てから決められたほうがいいんじゃないんですか?」

「なに? そんだに大変だんすか」

「わたしどもは夕刻のまだ明るいうちから作業をはじめて、やっとここまでやりました」

「えっ。明るいうちからやってたったこれだけ? するとこの先は」

「まだ手つかずです。三面側から除雪をしてくれていたらなんとかなるのですが、その確認はとれていません」

「ということは、ここは峠の頂上だから、三面(みおもて)の手前まではまだ一里(約四キロ)以上ある。それだけ除雪しにゃばだめだ、と」

「そうなります」

「ううむ」

 男は腕を組んで考え込んだ。

 彼の脇を五、六人の男たちが通りすぎた。 そしてじきに、除雪作業に取り組んでいる当方の仲間と、言葉を交わす声が聞こえてきた。

「どうも。ここから先は、俺たちも手伝いますから」

 そう言って、東北各地から集まったホンジなしが、当方のホンジなしからスコップを受け取り、除雪作業に取りかかった。

 加納(かのう)を含むホンジなし四人が、わたしたちの側にやってきた。

「どう思う?」

 と、問いかけたわたしに、ホンダS800でこの釣行に参加したカメラマンのNが、額の汗をぬぐいながら、首を横に振った。

「この先まだ、だいぶあるんでしょう?」

 正直に答えた。

「三面(みおもて)側から除雪が進んでいれば多少楽になるかも知れないが、さもないとまだ四キロ前後の除雪をしなければならないと思う」

「これまでがんばって、ようやく百メートルぐらい除雪した。このペースで行くと、あと何日かかるかな」

「まあ、最低一週間は必要だね」

「俺は明後日の午後までに東京に戻らないとだめだ」

 そういう加納(かのう)の顔を睨みながら呟いた。

「ひとつだけ、方法がある」

「なんだ、それ」

「除雪は今この瞬間にやめる」

「それで?」

「ここでテントを張るか、車の中で夜明かしするかして、明日朝早起きして、徒歩で三面(みおもて)をめざす」

「ちくしょう」

 ふだん荒っぽい言葉を吐かない、編集者としてのわたしの同僚Mが、めずらしく息巻いた。

「だったら最初からそうすればよかった。いま頃は三面(みおもて)の民家で一杯やれてる」

「そのとおり。でもつい先程までは俺たち全員、除雪して車で三面(みおもて)入りすることしか考えていなかった」

「だからいったんここまで来た後、わざわざ小国(おぐに)まで戻って、スコップを何丁も買い足してきた」

 皆、一瞬黙ってしまった。そのうち、なんとなく薄笑いを浮かべて、Mが言った。

「マサアキ風の秋田弁でいえば、俺たち皆が正真正銘のホンジなしになった」

 ちなみにMは、この除雪釣行からおよそ九ヵ月前の前年夏、わたしとふたりで三面川(みおもてがわ)上流のゴルジュに入り、あやうく命を失いかけた御仁である。

「わかった。ならばとにかく今夜は作業をやめにして、ここで夜明かししよう。その先どうするかは、明日朝決める」

 再度この時点でもっとも楽な方法を提案したわたしに、反対を唱える者はいなかった。

 自分たちの身のふりかたが決まったところで、近くで成り行きを見守っていた山形の釣り人に声をかけた。

「お聞きの通りです。あなた方はどうされますか?」

 彼はちょっと思案した後で、

「ごらんの通りわれわれは除雪作業をはじめたばかりだんす。奴らはやる気まんまんなので、やれるところまでやってみるんす。あ、それで」

 と言ってから、彼はへりくだった調子で続けた。

「われわれはスコップを持ってこなかったんで、作業する間貸してもらえますか」

「もちろんです。がんばってください」

 この連中が少しでも先まで除雪してくれれば、明日朝歩く距離が短くなる。否応などあるはずがない。

 結局この夜わたしたちは、ここでテントを張り、酒盛りをやって酔い潰れた。

 翌朝七時。

 目を覚ましてがっかりした。テントの側に昨夜貸したスコップが雪に刺してあった。やれるところまでやると言った東北のホンジなしたちは、車ごと姿を消していた。

 かくてわたしたちの二度目の三面(みおもて)詣では、竿をだすことなく終りを告げた。

 この年の八月下旬。同じメンバーで無事峠越えを果たし、三面川(みおもてがわ)の支流猿田川(さるたがわ)のそのまた支流、泥又川(どろまたかわ)に入った。この時は大型のゴムボートを二隻、猿田ダムに持ち込み、流入する泥又川(どろまたかわ)の流れ込みから遡上した。

 夏の終を告げる激しい夕立にずぶ濡れになりながら、尺程度のイワナを数十匹釣り、意気揚々とダムサイトまで帰還の途中、猛烈な雷雨に見舞われた。

 近くの木々に落ちる雷さまに、お願いだから見逃してくださいと祈りつつ、闇に閉ざされたダム湖を横切り、まだ夏なのに寒さに震えながら生還した。

 北は入川禁止になる前の知床(しれとこ)の各河川から十勝川(とかちがわ)源流、本州では白神(しらかみ)や八幡平(はちまんたい)周辺の各河川源流、三面川(みおもてがわ)、室谷川(むろやがわ)源流、奥秩父(おくちちぶ)源流や御嶽山(おんたけさん)から湧出する濁河(にごりご)、黒部川(くろべがわ)源流、南は九州の球麿川(くまがわ)や五木川(いつきがわ)源流など。国内の嶮岨(けんそ)と言われる渓流にはひととおり足を踏み入れたが、三面川(みおもてがわ)源流ほど強烈な思い出を残している河川はほかにない。

 馬齢(ばれい)を重ねてふと気がつくと、早それなりの歳になってしまった。にもかかわらず、今一度ザイルを頼りに三面(みおもて)源流の懐にもぐり込みたいというのが、釣り人の端くれとしての昨今の夢である。

益田由美(ますだ ゆみ)

東京都出身。早稲田大学文学部卒業、1977年フジテレビ入社。『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る。その後『リバーウォッチング』『晴れたらイイねッ!』『なるほど!ザ・ニッポン』『ちいさな大自然』を企画、プロデュース、出演。2015年フジテレビ定年退職。

西木正明(にしきまさあき)

作家
1940 年、秋田県生まれ。
早稲田大学教育学部社会学科中退。
大学在学中は探検部に所属。平凡出版 ( 現・マガジンハウス ) 記者を経て作家として独立。
1980 年『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞。1988 年『凍れる瞳』『端島の女』( 作品集『凍れる瞳』) で第 99 回直木賞を受賞。1995 年『夢幻の山旅』で新田次郎文学賞を受賞。2000 年『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受賞。

原作◎西木正明  朗読◎益田由美  画◎シノハツミ