2015
10.09
[ 50号掲載 ]
『三面詣で』(その2)

ノンフィクション小説の気鋭として知られる作家、西木正明氏。現在、『Fishing Café』で掲載中の「海鳴り山鳴りの日々/『三面詣で』」は、自身の若き頃の釣り冒険釣行を題材にした小説です。その原作をフジテレビのアナウンサーとして長く活躍した益田由美さんの朗読でお伝えしていきます。

海鳴り山鳴りの日々

『三面詣で』(その2)

西木正明

 三面川(みおもてがわ)本流は単なる激流ではなく、巨大な廊下のようなゴルジュの底を流れる、深くて重い流れだ。もっとも攻略し易い時期であるはずの、七月下旬でも歯が立たなかった。

 これに立ち向かうには、本流の湧出元である以東岳(いとうだけ)、支流とはいえ本流以上に険しい岩井又沢(いわいまたざわ)の源流である、大朝日岳(おおあさひだけ)の雪渓が完全に消え失せる、八月下旬以降の渇水期でないと無理なのではないか。

「こうなったら、秋の禁漁直前の九月の下旬あたりに、再度トライするしかないな」

 そう言うわたしたちに、このあたりの川を知り尽くしている三面川(みおもてがわ)マタギでもある宿の親父さんが、

「んだすな。それしかないんすな」

 などとお墨付きを与えてくれながらも、

「しかし、禁漁間際の九月末でも、雨が降ったら本流はまずだめだべな。この際あまり無理しないで、支流の末沢川(すえざわがわ)あたりを攻めてみたらなんとだべか」

 と、きわめて妥当な忠告をしてくれた。

「末沢川(すえざわがわ)だったら、多少雨が降ってもだいじょうぶですか」

「ああ。源流の雪解けが早いし、沢が穏やかだからな」

「魚はどうです。末沢川(すえざわがわ)にも尺五寸のイワナがいるんですか」

「いや。沢が入りやすい分、本流みだくおっきい魚はいない。今の季節だば、いいとこ尺どまりだな。釣り人がまだ少ない五月の連休前あたりだら、尺イワナはめずらしくにゃ」

「ははあ」

 顔をしかめて考え込むわたしたちを諭すように、親父さんが言った。

「まずはこのあたりの川のことをちゃんと覚えたほうがいい。なにも命がけでやることでもないべや」

 まったくそのとおりである。

「わかりました。お言葉通り、九月の終わり頃、末沢川(すえざわがわ)目当てにまた来ます」

 すなおにそう言って、翌日は偵察を兼ねて末沢川(すえざわがわ)に入った。サイズは二十センチ前後のものばかりだが、それなりの釣果を得た。

「秋になれば来る人も少なくなるから、もう少し大きいヤツが釣れるべ」

 民宿の親父にそう慰められて、かならず秋にまた来ますと言って、初の三面川(みおもてがわ)源流釣りを締めくくった。

 その時点では秋の再挑戦を誓ったものの、わたしも相棒も仕事を持つ身。しかも週刊誌の編集者という、虚しく多忙な立場である。

 けっきょく、この年の秋の再挑戦は、気合だけの捨てぜりふに終わった。

 翌年二月下旬。

 芦ノ湖(あしのこ)の特別解禁で、この年の淡水初釣りを楽しんだ後、東京に帰って釣り仲間数人といきつけの居酒屋でいっぱいやった。

 ひとしきり渓流解禁情報で盛り上がったところで、三面川(みおもてがわ)で完敗した折の相棒が、その時の報告めいた話をした。

「日本にもあんな川があるとは、今でも信じられない思いだ。地元のマタギがいうには、三面川(みおもてがわ)本流で釣りをしようとするなら、秋が深まった九月末しかチャンスはないだろうということだった」

 そう言って、前年の敗退にいたるまでの経緯を述べ、今頃自分はここにいないだろうと付け足した。

「すげえな。そんな所が日本にもあるのか。釣の対象としても興味あるが、写真屋としてもぜひ一度、見てみたいな」

 と言ったのは、当時いっしょに釣り狂っていた、カメラマンの加納典明(かのうてんめい)。

「いや、加納(かのう)はやめておいたほうがいい。お前はいけいけどんどんだから、あんな所に入ったら命がいくつあっても足りないぞ」

 からかい口調でそう言ったのは、三面川(みおもてがわ)初詣でであやうく流されそうになった相棒のMだった。

「いや、こう見えても俺はけっこう慎重だから、お前らに迷惑はかけない。まずは偵察を兼ねて、お前らが去年ちょこっと釣った支流の末沢川(すえざわがわ)とやらに、この春の連休前あたりにぜひ行ってみようじゃないか。三面川(みおもてがわ)なら俺もダム下までは知っているから」

 たしかに加納(かのう)は、何度かサクラマス釣で三面川本流下流には足を運んでいる。

「よし、わかった。ならば四月の連休前、まだ雪代が出ない午前中だけ釣るということにして、三面川(みおもてがわ)支流の末沢川(すえざわがわ)に行くとするか」

 ふだん人の尻馬に乗ることのほうが多いわたしが、酒を飲んでの勢いもあって、そう言ってしまった。

「たとえばいつ? やるなら今からスケジュールを押さえないとな」

 Mが身を乗り出した。

「連休に入ってしまうと、秘境三面といえども多少は混むだろう。だったら、四月二十日スタートの二十三日帰りというのはどうだ」

「いいだろう。俺はかならず行く」

「俺も行きたいな」

 その場でただひとり、釣りに手を染めていない、加納(かのう)と同業のカメラマンNが言った。

「おや、お前もとうとう始める気か」

「いや、釣りに手を出すつもりはない。さっきからあんたらの話しを聞いていると、その三面川(みおもてがわ)という川は、ほかに類のないような個性的な川らしい。今頼まれている仕事に、水がらみのものがある。そんな個性的な川ならぜひ見てみたい」

「なんだ、お前。商売がらみで三面川(みおもてがわ)の源流に行こうってことか。いい根性してるな」

「加納(かのう)さんだってそうでしょう」

「おれは釣りに商売は持ち込まない」

「まあ、そんなことはどうでもいいから、行けそうな人は何人いる?」

「俺は助手を連れて行く」

「加納(かのう)、釣りに行く時ぐらい、助手を解放してやれよ」

 相棒のMがからかい口調で言った。

「いや、三面の山奥といえども、なにが起こるか予測不能だ。写真を撮りたくなるようなシチュエーションに遭遇することもある」

 かくていつもの釣り仲間に加えて、ロッドにはさわったこともないという、カメラマンのNを加えて総勢五人による、春先の三面川(みおもてがわ)訪問が決まった。

 四月二十日午前六時。

 わたしと相棒のMは、わたしの愛車スバル一三〇〇にロッドやウェーダー、かんじき、非常用のカマボコ型テント、コールマンのガソリンランタンなど、なにが起きても対応出来るように準備万端整えて、勇躍集合場所の東北自動車道路の佐野(さの)サービスエリアを目指した。

 およそ一時間後。

 佐野(さの)サービスエリアで加納(かのう)やNと落ち合った。そして、彼らが乗ってきた車をみて愕然とした。

 これから山奥の渓流をめざすにしては、良くいえばあまりに先端的、悪くいえば場違いな、スポーツカーだったからだ。

 加納(かのう)はブルーのロータスエラン、Nは同じ英国製のトライアンフスピットファイア。東京の原宿あたりを流してナンパするには、もってこいの車である。

 しかしこの日の目的地付近は、未舗装の林道走行を強いられる。四月下旬に入ったとはいえ、部分的にはまだ雪が残っている可能性もある。

 こいつはまいったと思ったが、いまさら車のことで揉めても仕方がない。悪路の林道でスタックした時に備えて、排気ガスを使って膨らませるバルーンジャッキやスコップ、滑り止めの古毛布などは、スバルに積み込んである。

 まあ、なんとかなるだろうと腹をくくって、開通後間もない東北高速を突っ走った。

 福島で高速から降り、国道十三号線を北に向かう。福島山形県境の難所、板谷峠(いたやとうげ)をなんなく越え、赤湯(あかゆ)から国道百十三号に乗り入れて、秘境三面(さんめん)への最後の人里、小国(おぐに)を目指してひた走った。

 小国(おぐに)の手前のガソリンスタンドで給油しがてら、三面(みおもて)方面に向かう道路情報について尋ねた。

「なにい、三面(みおもて)?」

 珍しい英国製のスポーツカーに乗ってきた客ということもあって、それまできわめて親切だった、スタンドの親父の顔つきが変わった。

「そうです。途中大峠(おおとうげ)という難所があることは知っていますが、とりあえずなにか問題があるなら、それに備えようと思って」

 そういう私に、親父は吐き捨てるような調子で言った。

「それは無理だ。やめておけ」

 あまりのそっけなさにむっとしたものの、ここで引き下がっては三面川(みおもてがわ)にたどり着けないので、ここはがまんのしどころと自分に言い聞かせ、ことさら丁寧に、無理な理由について問いかけた。

「このスポーツカーでは無理だ、ということですか。スバルはいちおう四輪駆動で、もし車高の低いロータスやトライアンフがスタックしても、引っ張りだせるだけの用意はしてあります」

「ふん」

 スタンドの親父は、そんなわたしの言いぐさを鼻で笑って、

「スポーツカーだろうが四駆だろうが、だめなものはだめだ。大峠から先は、まだ除雪してない。三面(みおもて)側は、村の人たちが除雪して、歩いて通ることぐらいは出来るかも知れないが、峠を越えてこっちまでは除雪してない」

「除雪してない距離はどのくらいですか」

「俺が行って確認したわけではないども、人の話では約半道(二キロ)ぐらいだと」

「二キロですか」

 まいったと思った。次の瞬間、加納(かのう)が、「二キロたって、その間全部が走れないわけでもないだろう。お前のスバルで轍(わだち)を作って先導し、それでもだめな場合は、われわれで除雪しよう」

 忙しい時間をやりくりして、三日もの時間を空けたのだ。最初から諦めてしまうのはしゃくだから、やれるだけやってみよう。

 若さと馬鹿さの相乗効果で、あっというまに意見がまとまった。

 午後二時すぎ。

 小国(おぐに)の駅前食堂で遅い昼食を取り、金物屋に立ち寄って、スコップを四個買い足した。すでに一個は持参しているが、それはあくまでもスタックした時の非常用だ。

 どの程度の残雪かはわからないが、二キロに渡って除雪してない部分があると聞いたからには、加納(かのう)の助手を含む全メンバー五人で手分けして、車一台が走れるくらいの幅を除雪しなければならない。

 三面川(みおもてがわ)で釣りをする。今回はその第一段階で支流の末沢川(すえざわがわ)ではあるが、その目的を貫徹するためには手段を問わない。

 そんな意気込みで、新たに購入したスコップにすべてを託して、小国の町を後にした。 午後三時半、大峠(おおとうげ)の麓(ふもと)にさしかかった。

 車を止めて一服し、再度皆の覚悟のほどを確認する。

「除雪しているうちに日が暮れるかも知れないが、どうする?」

「お前、テントを持ってきてるだろう。くたびれた奴は、それで仮眠しながら除雪をしよう。明日の夜明けまで頑張れば、なんとかなるんじゃないの」

 自称慎重男(しんちょうおとこ)の加納(かのう)の一声で士気がいっきにあがり、スバルを先頭に、ロータス、トライアンフという最先端のスポーツカーで車列を組んで、S字カーブが連続する林道を上りはじめた。

 午後四時。長くなったとはいえ、太陽が西の稜線に近づいたあたりで、白いものが行く手をふさいでいるのが目に飛び込んできた。

「雪だ。ここから先が勝負だぞ」

 雪の末端の手前十メートルあたりで車を止め、地面に降り立つ。

 スバルのトランクを開け、自宅から持参したスコップを加えて五個のスコップを取り出した。

「約十メートルずつを担当することにして、とりあえずはここから五十メートルを一区間として除雪する」

 反対意見はゼロ。暗くなった時に備えて、途中の道路脇にあるブナの枝に、コールマンのガソリンランタンをぶら下げた。

「よし、やるべ」

 当面はわたしが最先端、次をM、その後をN、最後部の二十メートルは、加納(かのう)と助手が掘ることで折り合いをつけた。

 午後五時半すぎ。西側に聳える山の稜線に太陽が沈んだ。

 まだ最初の五十メートルの半分近くが残っている。

「ちょっと休もう」

 そう言って、タバコタイムを設けた。

 その時、加納(かのう)とNのスポーツカーコンビから、提案がなされた。

「このままでは、明日の朝になっても、まだ全体の半分も進まないだろう。全部を除雪するのはやめにして、雪が比較的浅いところはスバルで轍(わだち)を作り、それでも引っかかる所はスコップで掘るということでどうだ」

 よくいうよ。こんな山奥、しかも残雪のある時期にロードクリアランスが極端に低い車でくるから、よけいな苦労をするはめになったんだ。

 そんなせりふが口元までせり上がってきたが、黙っていた。ここで仲間割れしたら、秘境三面(みおもて)の川を釣るという、高い志がだめになる。

「わかった。そうするべ」

 ふるさとの秋田弁丸出しでそう言って、わたしは止めてあったスバルに乗り込み、シフトレバーを四駆、ギアはローに入れて、ゆっくりと堀りかけの雪の路面に乗り入れた。

 除雪がすんだ部分はなんなく通過出来た。しかし、まだ手つかずの所にはいったとたんにスタックした。

いったん後方に下がって勢いをつけ、突進したが、どうにか進めたのは五メートル足らず。それでも轍(わだち)は出来たので、加納(かのう)のロータスを乗り入れてみた。

進めたのは、最初の一メートルだけ。

「やっぱり轍(わだち)だけではだめだ。とはいえ轍(わだち)をつけることで作業がだいぶ楽になるから、これから先は、スバルで轍(わだち)をつけてから、スコップで掘ることにしよう」

そう決めて、まずはスバルで雪道に突っ込み、轍(わだち)を作ってからスコップで掘って雪を浅くする。

この新方針でいくらか除雪の効率が良くなり、あたりが真っ暗になる前に、最初の五十メートルはなんとか開通出来た。

午後七時。ガソリンランタンに点灯した。このランプはかなり強力で、タングステン電球のおよそ百ワット相当の明るさで、周囲を照らしだす。

午後八時。

誰かが、腹減ったなとつぶやいた時、背後から車のエンジン音が聞こえてきた。


(続く)

益田由美(ますだ ゆみ)

東京都出身。早稲田大学文学部卒業、1977年フジテレビ入社。『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る。その後『リバーウォッチング』『晴れたらイイねッ!』『なるほど!ザ・ニッポン』『ちいさな大自然』を企画、プロデュース、出演。2015年フジテレビ定年退職。

西木正明(にしきまさあき)

作家
1940 年、秋田県生まれ。
早稲田大学教育学部社会学科中退。
大学在学中は探検部に所属。平凡出版 ( 現・マガジンハウス ) 記者を経て作家として独立。
1980 年『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞。1988 年『凍れる瞳』『端島の女』( 作品集『凍れる瞳』) で第 99 回直木賞を受賞。1995 年『夢幻の山旅』で新田次郎文学賞を受賞。2000 年『夢顔さんによろしく』で柴田錬三郎賞を受賞。

原作◎西木正明  朗読◎益田由美  画◎シノハツミ