The Promised River
約束の川 Vol.33
文◎湯川 豊
水の味について
A taste of water
伊丹十三に「水の味」と題する掌篇エッセイがある。
イギリス人の優れた料理人にして、本物の食通である男とフランスへ旅した。ある日の昼下がり、ある村で食事をし、伊丹はその村の水の味をほめた。それに対してイギリス人いわく、水の味なんてどこだって同じじゃないか、うまいまずいなんてないだろう。
つまりイギリス人の食通には、水の味がわからなかった。これは日本人に特有の能力なのではあるまいか。伊丹はそういった後、子供の頃遠足にいってごうごうと流れる谷川の水をじかに飲んだ思い出を語っている。
なるほど。水の味がわかるのは、茶の湯なんかできたえられた日本人の能力なのか。そういえば、フランク・ソーヤーが管理したエイヴォン川の上流なんて、ソーヤーが大量のチョーク(石灰)をまいてマスは復活したけれど、水を飲むというのは、ちょっとねえ。
僕は渓流に遊んで、山奥のよほどうまそうな水でなければ直接ガブガブ飲んだりはしなかったが、水のほとりでガス・バーナーを取り出して、コーヒーをいれて飲むのは、ひところの習慣だった。そして、確かに、うまい水と、さほどでもない水があることを知った。
* * *
秋田県檜木内水系のO沢では、入渓してまもないその場所で朝のコーヒーを飲むのがならいになっていた。北側から下りてきた二本の小渓がそこで合流して九〇度曲がり、広い河原いっぱいにひろがる。ひろがった流れの真ん中に主流があり、それが四、五〇メートル続いた。その流れのいちばん下手で水を汲んで湯をわかし、コーヒーをいれた。いやコーヒーを飲むのが目的でなく、そこでサンドウィッチとかおにぎりの朝食を食べ、しめくくりにコーヒーにしたのである。
あの流れの水は確かにうまかった。二年ほど前に同じ場所へ行き、同じことをやったが、谷の地形は変わっていたけれど、いれたコーヒーはやっぱりうまかった。
とすると、あそこでコーヒーを飲む習慣になったのは、釣りをやりたくてうずうずしながらコーヒーを飲み終え、ロング・キャストで流れのなかから良型のヤマメをひき出したからではない。まあ、それもあるかもしれないけれど、やっぱり水が良くてコーヒーがうまいということがあったんだ。暑いときでも熱いコーヒーをひたすら飲むほど、渓でコーヒーを飲むのに凝っていたから、良型のヤマメのほうがおまけだったような気がする。
なぜあそこの水がうまいのか、理由はまったく見当がつかないのだけれど、あの流れには確かにうまい水が流れていたのだ。
* * *
もう一つ、なぜかわからないけれど、こんどは水道の水がうまかった話。
秋田のM渓谷の下流、M集落のあたりは大ヤマメがひそむ流れだった。なぜそれを知っていたかというと、流すフライに何度も出てきて、僕は何度もそれをかけそこねていたからである。
その日、集落のなかで四〇センチはあろうかというヤマメの姿を見(つまりはかけそこね)、がっかりして少し下流に戻って、腹いせの昼飯を食べることにした。
空に急に黒雲がわいて、突然の雨になった。僕は東京から同行した友人と一緒に、たまたま土手の上にあった小さな道具小屋の庇の下に入って、雨をよけながらにぎり飯の包みをひらいた。にぎり飯を頬ばりながらあたりを見ると、小屋の板壁に接するように水道の蛇口があった。蛇口をひねると、ぬるい水がすぐに凛とした冷水に変わり、コップでそれを受けて飲むと、思わず「うまい!」と口走るほどの、いい水だった。
デイバッグからガス・バーナーとコッヘルを取り出し、コーヒーをいれた。コーヒーと一緒にパルミジャーノ・チーズを少しずつかじって、銀色の雨を見た。初夏の浅い緑に、雨がさらにあざやかな色をつけてまわっているような光景だった。
そのとき僕は、突然のことではあったけれど、不思議に充実した時間を感じた。こんな時間は、いま、ここにしかない。木々と共に、僕は銀色の雨に囲まれている。コーヒーをすすろうとして、カップを口に近づけると、濃密なコーヒーの香りが鼻孔に入ってきた。かけそこねた四〇センチのヤマメのことはすっかり忘れて、なぜこの小屋の水道の水がこんなにうまいのか、不思議に思いながら一口また一口と、コーヒーを飲んだ。
* * *
越後の北部、M川の最上流部A沢に入るには、かなり大きな貯水ダムの、水面より少し上につけられた山道を、グルッと半円分歩かなければならない。そこにA沢の流れこみがあった。
その流れこみの広い砂地を越えて、さらに四〇分上流に進め、と地元の友人が教えてくれた。その通りに進むと、四〇分後に谷の光景が一変した。
大理石をくだいたような、純白の石の広い河原が続いていて、そのなかに浅い流れが静かに流れている。流れの底も白い石で、そこから素早く現れてブルーダン・パラシュートに食いつくイワナの魚体もまた白かった。イワナ独特の、底石の色に合わせた肌色の変化である。夏の流れの水をちょっと口に含んでみると、少し軟らかいような、甘い水という感じだった。ここでコーヒーをいれて休憩にしたのは、白いイワナの棲んでいる水をゆっくり味わってみたいと思ったせいだ。
コーヒーは、軟らかく甘いような味がした。僕は二四センチほどのイワナをクマザサとフキの葉で包んで、デイバッグの外側のポケットに入れた。めずらしくそんなことをしたのは、水の味だけでなく、そこで育ったイワナの味を知りたいと思ったからだ。