2021
04.16
「釣りでござる」釣迷魚万歳! 連載第1回
日向灘の大マダイを狙い、神話の海で鯛ラバ開眼

「釣りは迷うから面白い。迷いながら彷徨いながら、確信を見つけだす作業です」
落語家・林家彦いち師匠は堂々と、きっぱりと力を込めて言います。
さらに釣りは、「下手上手(へたうま)の中にこそ美学がある」とも。
そこで師匠は今回、マダイ釣りの名人と釣り初心者にいざなわれて、
数々の神話が生まれた日向灘へ、大マダイを求めて旅に出た。

ここが青島の周囲に広がる「鬼の洗濯板」。まるで巨大な「おろし金」のようにギザギザしており、鬼はここで虎のパンツを洗うのだろうか?

 落語家の林家彦いち師匠(以下:彦いち師匠)は、拳を握った両方の手を天に突き上げて「鬼のせんたくいたぁ~!」と、雄叫びを上げていた。
 宮崎空港から 車で 南へ約10分走ると「海幸彦・山幸彦神話」の舞台といわれる青島がある。青島の周囲は俗に「鬼の洗濯板」と呼ばれる珍しい波状岩が広がっており、昭和9(1934)年に国の天然記念物に指定された場所だ。
 鬼の洗濯板の正式名は「隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん)」で、約700万年前に海中でできた水成岩が地殻変動によって隆起し、波や海水に浸食されて現在のような形となった。干潮時には海岸線に沿って沖合約100mまで出現し、大自然の不思議を思わせる見事な岩肌、その独特な景観は迫力があり、彦いち師匠は思わず雄叫びを上げてしまったのだ。

青島神社のおみくじは、マダイに入っている「鯛みくじ」。彦いち師匠の今年の運勢は……大吉!

 青島神社は「海幸彦、山幸彦神話」の中で、山幸彦が海神国(わたつみこく)から突然帰ってきたことに喜んだ人々が、衣類をまとういとまなく裸のまま出迎えたという古事から起こった「裸まいり」の祭りでも知られている。
 旧暦の12月17日の夜、現在は正月明けの成人式の真冬に開催され、男性は白足袋とふんどし、ハチマキ。女性は白足袋と白い短パン、サラシにじゅばん、ハチマキ姿という勇ましい姿で「ワッショイ! ワッショイ!」のかけ声とともに海の中で身を清める神事だ。
 そもそも山幸彦が兄の海幸彦の釣り針をなくし、探しに行った海底奥深くの海神国で結婚までして、マダイの喉の奥深くからやっと見つけた釣り針を持ち帰った記念の祭りである。これから大マダイを釣ろうともくろむ彦いち師匠としては、青島神社に縁を感じ、心の中では「鬼の洗濯板」ならぬ、「鬼のまな板に大マダイ!」と、祈願していたのかもしれない。

彦いち師匠は、青島神社から南へ1時間ほど、洞窟の中に朱塗りの本殿が鎮座している鵜戸(うと)神社でも大漁祈願。第十代崇神天皇の御代(紀元前97年~29年)に創建されたといわれ、安産・育児などの御利益で有名な神社。境内には、亀石と呼ばれる岩の枡形に願いを込めながら運玉を投げ、入れば願いが叶うといわれる運試しスポットもある。鵜戸崎岬の周りには奇岩、怪礁が連なり景勝地になっている。

 朝7時に日南市の外浦港を出船した「遊英丸」は、日向灘南端の都井岬(といみさき)まで南下しながら、水深80m前後のポイントを攻めていた。
「師匠どんなあんばいでしょうか?」とたずねると、彦いち師匠は口をヘの字に結び、リールを一定のペースで巻き上げながら、「うむうむ、ちょっといけませんねぇ」とつぶやく。さらに「こいつはマニぐるま(回転する筒にマントラなどを収納した仏具)のようです。強く回せば、願いが叶うわけではございません。誘っちゃいけない、合わせちゃいけない、止めてもいけない……まるで人生のような釣りです」とつぶやいた。

初日は、まさに天孫降臨のさなかのような趣の中で出船。

 濱名督英(はまなまさひで)船長によると、宮崎県は春の訪れが早く、大マダイを狙うのなら2月がベストで4月まで。ただ、日向灘は黒潮の影響が強く、この日も1.5~3ノットの黒潮が流れ込んでおり、少し潮が速すぎるという。そのため同船した名人が朝いちばんにかろうじて1匹マダイを釣り上げて以降、時折ロッドを曲げるのは、オウモンハタやウッカリカサゴ、エソなどの根魚である。彦いち師匠は、その根魚にも見放され、昼を過ぎても魚影を見ることができないでいた。

初日はこのサイズのオウモンハタがぼつぼつとヒット。本命ではないが嬉しい一尾。

 この日は、鯛ラバ3回目という初心者の方が、本命のマダイではないものの一人で不気味なほど釣果を上げていた。名人も船長も彦いち師匠も、その理由がわからず、しかも通常のセオリーやメソッドが成り立たないというムードが船内を包んでいたのだ。
 午前11時40分の満潮で昼食をはさみ、魚が動き出したのは午後1時半頃だった。彦いち師匠は仕掛けが高切れし、午後2時前に名人の予備のロッドを借りて、それまで使っていたカブラタイプの鯛ラバから、フラットヘッドタイプに変更した。カラーも波長の長いオレンジ色に変えてある。

船長との窓越しの会話の後に、まったく釣れていなかった彦いち師匠にドラマチックな出来事が待っていた。

「お隣で黙々と釣果を上げる初心者の方を見ていて、『このままではいけない、何かきっかけがほしい』と思っていたのです。すると船長が『僕、本気出しますよ』と意を決したかのように船を走らせポイントを変えました。ところがポイントを変えた1投目で仕掛けが高切れしてしまい、鯛ラバも変わってしまった。それじゃあ変わったついでに気分も入れ替ようと思って『マダイさん、鬼のまな板へどうぞ!』と心の中で叫んだのです。すると『ズン』と来たのは、そのすぐ後でした」と彦いち師匠。

「やりました!」と、船中1番の日向灘のマダイを持ち上げる彦いち師匠。

 彦いち師匠のやりとりを見ていた船長が「マダイです。大きいですよ!」と血相を変えて声をかけ、さすが名人は急いでリールに道糸を巻き上げて、彦いち師匠の脇に立ちランディングネットを構え、「いつでもどうぞ!」と波間を見つめている。
 すると水中からボヤーッと白い影が浮き上がり、紺碧の海の中の白い影が徐々に淡いピンク色に発色を変えた。
「マダイ、大きい! かなりいい型」と、船長の上ずった声が船内に響き、ランディングネットに収めてみれば「山幸彦に見せてあげたい」と思うほどの体長59㎝、若々しく美しい良型マダイだった。彦いち師匠の目じりは下がり、名人も船長も自分のことのように喜ぶ。
 これを合図に「さぁ、行ってみようか‼」と船中の士気は上がるが、残念ながらこの日は、このマダイを最後にアタリがピタリと止まり、あえなく納竿となってしまった。

マダイをはじめ初日の釣果の一部をおいしくいただきました。

 翌日、少し早めて6時半に出船。黒潮のスピードは昨日より遅くなり1ノットだが、この日も思うようにマダイの釣果は上がらない。しかし、キダイやチダイ、オオニベやマハタ、カサゴ、ユメカサゴなど、さまざまな根魚がロッドを曲げ、五目を超えて七目釣りの様相。圧巻だったのは、彦いち師匠が粘りに粘って納竿間際に釣り上げた70㎝近いシロアマダイ。

年末年始に日南海岸のサーフに岸寄りするオオニベは、大きなもので体長1.5m、30kgにも達するモンスター。今回、船から釣れたオオニベは1.5kgほどの小型。

 アマダイは国内の暖かい海域から朝鮮半島、台湾、香港にかけて生息しており、シロアマダイは、アカアマダイ、キアマダイのアマダイ3種のなかで、もっとも高級とされている。
 料理人たちは、上品な白身でうま味や甘味が非常に強いシロアマダイは、魚のなかでも特別扱いするほどだ。船長が言うには、日南市の市場でキロ1万円が相場で、築地などに行った場合の相場は想像できないという。

海底付近を鯛ラバで叩きながら誘うとシロアマダイが食ってきた。

「コンコンとアタリがあったのでそのまま巻き上げていると、独特の絞り込むような引きがあって、それでも巻いていると急に走り出したんです。マダイとはもちろん違うし、アカハタやオウモンハタでもない感覚でした。初めてシロアマダイを釣ったのですが、乗り合わせた地元の鯛ラバオジサン方に自分のことのように喜んでいただき、船長も含めて釣り人の純粋な優しさを大いに感じました」と彦いち師匠。

納竿直前に彦いち師匠のロッドを曲げた約70㎝の大シロアマダイ。嬉しい一尾!

 そして、これまでに何度か鯛ラバを経験しているが、今回のように“彷徨う釣り”は初めてだった。しかし、迷えば迷うほど見つけたものは大きかったという。「海幸彦、山幸彦と同じ『彦』つながりの良縁で、たいへん良い魚と出会えたことに感謝です。万々歳の日向灘の釣りでした」と、彦いち師匠は、シロアマダイを高々と掲げた。

林家彦いち(はやしや ひこいち)
落語家

1969年 鹿児島県生まれ。大学中退後、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門し、前座名「きく兵衛」で平成2年に池袋演芸場にて演目「寿限無」で初高座に上がる。平成5年二ツ目昇進、「林家彦いち」に改名。平成12年度 第10回「北とぴあ落語大賞」受賞、平成12年度 NHK新人演芸コンクール落語部門大賞受賞。平成14年春、真打昇進。平成15年 彩の国落語大賞殊勲賞受賞、平成15年第九回林家彦六賞受賞、他受賞多数。平成16年 SWA(創作話芸アソシエーション)を春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、神田山陽と旗揚げ。落語ブームの一端を担う。釣りを筆頭に登山、キャンプや農業など、落語会で野外活動をリードしている。

取材・文◎編集部 写真◎狩野イサム

連載企画