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鱒釣り文化発祥の地、丸沼の魅力
写真◎知来 要
Potographs by Yo Chirai

中禅寺湖への導入直後に奥日光丸沼に移植されたレインボートラウトやブルックトラウトの旺盛な繁殖力。その様子に驚いた当時の政治・実業家たちの親睦団体「東京倶楽部」のメンバーによって、大正元年(1912年)に『丸沼鱒釣会』は結成された。
メンバーには赤星鉄馬、西園寺八郎、岩崎小弥太、鍋島桂次郎など、政財界の要人が名を連ねていた。丸沼のマス釣りはその奇跡的に残された自然条件を背景に、その後102年経った現在も海外の要人、日本の文人や財界人など多くの人々から愛されている。
その丸沼には、現在 も“環湖荘”という一軒の宿がある。その環湖荘の前身となる丸沼温泉ホテルが開業したのは昭和8年。ホテルができるより先に『丸沼鱒釣会』のメンバーが釣りを行うために宿泊施設を建てたといういきさつがある。
「ホテルを建築するための木材は、初代のオーナーがこのあたりの山を保有していたので提供したらしいと聞いています。初代オーナーはたいへんな土地持ちで、どこまで誇張された話か定かではありませんが、昔は片品村から日光まで自分の土地だけを通って行けたと言われています。千明(ちぎら)家という、江戸時代から続く家柄です。ちなみに今のオーナーは8代目にあたります。その千明家と、現在の東京水産大学が協力して、ヒメマスとニジマスの養殖を始めたことが、丸沼にマス類を導入したきっかけです」と、環湖荘に務める宇津さんは言う。


丸沼ダムができるまでは、丸沼はその名称どおり、ごく普通の丸い池だった。元々は日光白根山の火山活動によってできた堰止湖だ。その噴火により菅沼、丸沼、大尻沼の3つの湖ができあがった。その後にダムができて、現在の大きさになったという。
丸沼は標高が高く、湧水を水源にする堰止湖のため、流れ込んでいる河川はなく、在来の魚は育っていなかった。そのため当時の実験的な養殖には向いていたのではないか。その養殖池で釣りを許可したことを考えると、丸沼は管理された釣り場としては日本最古であり、ニジマス釣り場としても最古ではないかとも言う。
 現在、丸沼を年間で訪れる釣り人は、年間5000人ほど。4月の末から始まって11月までがシーズン。真夏の7月〜8月は比較的釣り客が少ないという。また、冬は豪雪のため半年近くも人の気配が消える。その気象学的、地理学的な環境が創りだす自然美は、この湖を何度も訪れた、作家・開高健さんではないが「年に何度でも長期間逗留したくなる」場所でもある。しかも、「丸沼鱒釣り会」のメンバー、そして開高健さんほか、名だたる釣り人がロッドを握った「当時と変わらないニジマス釣り場で釣った」という満足感は、はかり知れない魅力がある。