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釣り文化は地元の人と釣り人が育む 「磯釣り道場・伊豆八幡」
取材・文◎遠藤 昇
写真◎狩野イサム

磯釣り発祥の地として有名な伊豆半島東海岸・八幡野。大物釣りの名所、底物釣りの登竜門として、この地には日本の磯釣りの歴史と文化、そして技術が培われてきた。そして戦後「全日本磯釣連盟」が結成され、第一次釣りブームが起こり、昭和37年に八幡野を拠点に結成された磯釣りクラブが「潮風会」だ。 その初代会長である一(いち)鷹(たか)常(つね)一(かず)さんは、八幡野の磯釣り史を50年以上もの間つぶさに見てきた証人であり、今なお大物への夢を抱く底物名人でもある。その一鷹さんから戦後から現在へと続く、八幡野の様々な逸話をお聞きする機会に恵まれた。
八幡野は約4000年前、大室山の噴火によって流れ出た溶岩が急峻な断崖と複雑な海底地形を造り、磯魚の格好の棲みかとして、古くから漁業の盛んな場所だ。一鷹さんはそんな八幡野をホームグラウンドに50年以上もの間、主に底物を中心に活躍してきた。
お話によると、八幡野は昭和40年代以降、関東地域でも磯釣りのメッカとして、多くの磯釣り師が訪れるようになった。同時に離島などへの遠征釣りも盛んに行われるようになるが、遠征とは別に、地磯のなかでも特別な場所だったという。磯釣り師の間では「伊豆を釣らずして磯を語ることなかれ」という言葉があるほどの時流のなかで八幡野は、「磯釣り道場」として注目を集めるようになる。



また、八幡野は道具や仕掛けの発展にも大きく貢献している。昔の道具は竹竿がメインだが、竹竿は遠くまで投げられない。そこでどうしても近場に落とす釣りになる。そういったなかで、底物釣りの技が生まれると同時に磯竿はこの地で鍛えられ、“八幡野調子”が生まれ、携行しやすい3本半、4本継という“八幡野竿”もできたという。この八幡野竿はその後、日本全国の底物竿の手本になったという。
そんな底物釣りの歩みとともに「潮風会」の歴史があり、今回の取材で印象に残ったのは一鷹さんの釣への姿勢だ。 「釣りには土地の人と親しくなる楽しみもある。地元の方といいお付き合いができないと、いい釣りはできない。いいお付き合いをするためには、必要なお金は惜しまないで使いなさいと、会員には常に忠告しています。釣り人がその土地で消費することは、釣り場の方との良好な関係を築く上で重要なポイントです。今流行りの車中泊ではなく、釣りをするのなら宿に泊まり、宿のおやじさんと四方山話をすることで、潮の具合とか、いろいろためになる地元の情報が入ってきます。そういうことが大切です。 地元のおやじさんが亡くなったときはお葬式に参列するし、港で船の進水式があるときも出席します。親戚のようなお付き合いですね。そういう部分がなくて、単に魚を釣りました、持って帰りましただけでは、温かみがない。我々の世代だけでなくて、次の世代のためにも、いい関係性を構築していきたいと思っています」という。
釣りの文化とは、釣り人と地元の人の良好な関係から生まれる。釣り人が行くことで、地域に少しでも刺激を与えられるかもしれない。継続的に釣り客が訪れることで、若者に仕事ができれば更にいいことだ。クラブとして八幡野の釣り文化を育てるのには、そういう心がけも大切にしてきた、と一鷹さんは語った。