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“用の美”を追求した「百万石の加賀毛鉤」
(本誌P.60〜) 撮影●津留崎 健
バス用に考案された目細商店の加賀毛鉤。
バス用に考案された目細商店の加賀毛鉤

「アユのどぶ釣り」で使う「加賀毛鉤」の発祥は、江戸時代。加賀前田藩は「加賀百万石」の禄高を誇ったが、その一方で外様大名として、江戸幕府から常に監視されていた。そのため、武士の本来のたしなみである武芸を積極的に奨励することも、謀反の嫌疑を受ける恐れがあった。そこで前田藩は、猟魚、鮎釣りを足腰の鍛錬のとして奨励したわけだ。

当時、羽毛を巻いて毛鉤を製作することは、禄高の低い下級武士の収入源にもなった。時代劇で下級武士が番傘を貼って収入を得る姿が出てくるが、加賀では毛鉤作りが武士の副職のひとつとなった。しかも、釣れる毛鉤を巻けば、評判が城内を駆け巡り、注文が殺到して大きな収入を得ることができる。武芸の鍛錬という建前はあるものの、今も昔も釣り人は“釣れる毛鉤には目がない”ということだ。



伝統的な加賀のアユ用毛鉤
伝統的な加賀のアユ用毛鉤

江戸中期になると世の中が安定し、各藩は産業を振興することで藩の力を高めようと試みた。加賀では、友禅、蒔絵などの優れた伝統工芸品の製造が、この時代一気に花開く。

藩内に暮らす人々の生活に、茶の湯や能楽の隆盛とともに「美を愛でる」気質が確立される。加賀毛鉤もこうした影響を受け、釣れるだけではなく、見た目の美しさも競われるように発展したが、その背景には、下級武士が安心して毛鉤を巻ける高品質な「針」の供給があった。鋭く磨かれた針先、軽く硬い鍛造技術。針そのものの品質が安定していなければ、いくら巻きが美しく、しっかりしていても毛鉤としてはB級品だ。加賀毛鉤の優れた特性はそこにある。

そして現在、創業から400年あまり続く、針商店「目細八郎兵衛商店」が、その繊細な技術を伝承し、さらに高い次元で進化を続けている。バス用の毛鉤、アジング毛鉤などアユ毛鉤以外のアイテムも充実している。目細商店の加賀毛鉤は、金沢の高い美意識と融合した「用の美」を目に見える形で実践している数少ない毛鉤工房である。