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“魚の繁栄”のために釣り歩く人々 (本誌P.35〜38) 文◎木下卓至
没後17年、ほとんどの著作が絶版となってしまった今も、なお渓流釣りファンを中心に名随筆として読み継がれる山本素石作品。単に釣りの描写にとどまらず、日本の山河、そこに暮らす里人を愛し描いた素石とはどんな人物だったのか。素石が会長を務めた渓流釣りクラブ「ノータリンクラブ」を一緒に立ち上げ、現在は2代目会長を受け継ぐ新田雅一さんに会い、話をうかがうことができた。

ノータリンクラブの結成は、素石が45歳だった1964年のこと。ネーミングから受ける印象とは反対に、「鱒族の繁栄」を設立の覚書に盛り込むなど、クラブとしての志はとても高かったという。今西錦司氏を顧問に迎えており、クラブでの定例の活動といえばもっぱら各地の川への調査釣行を兼ねていた。また、まったく知られていなかった離島の川へも積極的に通い開拓した。こうしたノータリンクラブの活動は雑誌などを通じて広く紹介され、渓流釣りブームを盛り上げることにもつながったようだ。ノータリンクラブとしての活動がとても活発であったことに驚かされた。

話をうかがった新田さんは80歳を越えた今も、「鱒についてまだまだ知りたいことがあって。生きてるうちに全部をできるかどうか」と、毎年渓流を飛び歩く。魚と向き合う姿勢は、素石と釣り歩いていたころのままだ。こう言うと大げさかもしれないが、日本の釣り文化はこうした人々に支えられていると感じた。