海鳴り山鳴りの日々
『浮草旅行の半世紀』』(その4)「フロートキャプテン」
西木正明
目の前の川原の石を蹴り飛ばしながら、つい先程まで自分を守ってくれた、セスナ180が目の前を横切って行く。
操縦席に座っているパイロットのリンカーン・アクスラックが、窓越しに小さく手を振った。
応じて手を振る気にはなれない。着陸前、上空から確認したグリズリーベアが、自分を中心にした半径一〇〇メートル以内の藪の中に、まだいるはずだから。
数秒後、滑走路に見立てた川原の、一〇〇メートルほど下流から小型機が飛び立った。そしてほどなく、自分と人間社会を結び付けてくれていた唯一の媒介が、雲ひとつない南方の空に点となって消えた。
左手首に目をやって時間を確かめた。午前九時を数分回ったところだった。
今し方飛び立ったセスナが、約七〇キロ下流で合流する、主流ノアタック川の川原に着陸するまでは、かれこれ三十分前後かかるはずだ。
そこで待ちかまえている妻や友人、今回のフロートトリップの一部始終を記録するテレビクルー、ガイドのジム・リパインらを乗せて、再度離陸する。
その機体がここに戻ってくるまでは、さらに小一時間を見込まねばならない。
フロートトリップに必要なゴムボートやテント、その他数日間の川下りの必需品を積み込んで、最寄りの人里コッツビューから飛んでくる、もう一機のセスナ180と合流、二機編隊で飛んで来なければならないからだ。
それまでに自分もやることがある。目の前の川原から障害物となる石や灌木を除去し、手製の風向計を設置して、安全な滑走路として使えるようにしなければならない。
そう思ったとたんにもうひとつ、よけいなことに気がついた。
こうした作業を終えた後の残りの待ち時間を、安全かつ有益にすごすための必需品を、なにひとつ準備してこなかったのだ。
まだ近くをうろついているはずの、グリズリーベアを追っ払うためのショットガン。後続部隊が到着するまでの時間潰しに必要なフライロッド。それらすべてが、これから到着する川下り装備品の中にあり、今し方飛び去ったセスナには積んですらいなかった。
まいったなと思いつつ、着用していたベストのポケットを探る。出てきたのはフライボックス二個と、ティペット用のナイロンラインを巻き付けたロールが二個。
釣れた魚の針はずし兼用のプライヤーとナイフ、プラスとマイナスのドライバーなどを装備した携帯用ツールが一個。アウトドア生活必需品のティッシュ二袋と、非常時用にいつも携帯する輪ゴム一箱。
そしてこれも必需品のターボブースター付ガスライター一個と、着火材兼包装用のガムテープ。ガムテープは平たく畳んで携帯しやすくしてある。
これだけだった。
フライボックスにはふたつとも、今回のフロートトリップを意識して巻いたフライが入っていた。ひとつめのボックスには、ポーラーストリーマーとブラックマラブー系のストリーマー。いずれもシャンクにウェイトを巻き込んである。
もうひとつのボックスには、すべてが金色のビーズを装着、色とサイズで変化をつけてあるだけのビーズヘッドニンフ。
フックサイズは、ストリーマーが二番から六番、ビーズヘッドは六番から十番ぐらいまで。形もサイズもきわめてシンプルなものばかりだ。
アラスカでチャーやドリーバーデンなど、イワナ系を狙う時の定番であるエッグフライをはずしたのは、
「これから下るのは北極海に流れ込むノアタック川の支流だから、サーモンの遡上はないはず。ゆえにエッグフライは必要ない」
との、ジム・リパインのご託宣に従ったからである。わたしはかつて身内だった地元のネイティブエスキモーから、
「白人共はそういうが、北極海に注ぐ川にもサーモンは遡上する。おもにドッグサーモン(別名チャムサーモン。日本名はシロザケ)だけどね」と聞かされていた。だから反論してもよかったのだが、こんなことで著名ガイドのプライドを傷つけてもしょうがないと思って、黙って彼の助言に従った。
ともあれ、単純なフライボックスの中身をみているうちに、ふと思った。
こいつらは、いずれもウェイト入りかビーズヘッドである程度自重がある。これなら子供の頃にやった、裏山の沢でのイワナ釣りのスタイルでも、なんとかなるのではないか。
ならばとティペットロールに目をやって、よし、これならいけるぞと確信した。ひとつは4X、残るひとつは6Xだった。4Xは強度がおよそ6ポンドテスト、6Xは3ポンドテスト程度なので、日本国内の湖や渓流の大物狙いにはちょうどいい。
目の前を流れるキリー川は、幅こそ一〇メートル余りあるが、本流との合流点から小型機で三十分前後かけてたどりついた、いわば源流である。今回の旅のターゲット、三〇インチすなわち七六センチ余りの巨大イワナは降海型だから、ここまでは遡上しないはずだ。
だが日本の渓流なみの十インチ(二五センチ)から一二インチ(三〇センチ)どまりの魚なら、生息しているかもしれない。
それならロッドなしでも、いけるんじゃないか。
などと、思いがどんどん浅ましい方向にエスカレートする。気がついたらティペットロールから、4X糸を二メートルほど引き出して、ウェイト入りのブラックマラブーを結びつけていた。
足音を忍ばせて流れに近づき、右手の親指と人差し指でフライをつまみ、手首をロッドがわりにして、フライを流れに放り込んだ。
いきなりあたりがあった。慌てて右手を高く差し上げた次の瞬間、張り詰めた糸がなんの抵抗もなく切れた。
なにこれと思いながら、ティペットの先端を見る。きちんと結んだはずのフライが、跡形もなく消え失せていた。
やはりロッドなしではだめか。ならばちゃんとした仕掛けでやろう。先程パイロットが置いていったアックスで、川原に生えていた自分の背丈ほどのドロヤナギを一本、自然から恵んでもらった。根本付近は直径三センチの太さだが、先端部の直径は五ミリほど。
秋田の山里で育った悪ガキ当時、裏山を流れる沢で行った、イワナ釣りそのままのやり方だ。あの頃は沢沿いに生えていた根曲がり竹を山の神様から恵んでもらい、即席の竿にした。
その手順を思い出しながら小枝を払い、穂先に先刻の手釣りより少し長い、三メートル余りの4Xティペットをくくりつけた。糸先にビーズヘッドニンフの六番サイズを結びつけ、再度流れの際ににじりよった。
両膝をついてしゃがみこみ、テンカラの要領で一度だけフォルスキャストして、流心のすぐ手前にフライを落とした。
先ほどのような、すぐさまの反応はなかった。流れに任せて数秒間流し、ラインが伸びきったところで、再度キャストすべくフライを水面近くに引きあげた。
突然、真っ黒な物体がラインの先端付近に襲いかかり、ドロヤナギの穂先が大きく曲がった。一瞬の間水面に出た物体の背には、巨大な黒い背びれ。
ティペットが4Xであることを思い出し、急造ロッドの先端が折れないように願いつつ後ずさり、暴れる漆黒の物体を川原にひきずりあげた。
重いが、イワナではない。
「なにこれ」
また思わず声が出た。少なくとも五〇センチ余りのその魚体は、水中にいた時よりもいっそう黒く見えた。幅広の胴体の背には、まるでカジキマグロのミニチュアのような、大きな背びれがついている。
顔立ちはなんとなくウグイに似ている。
「あれっ、グレーリングじゃないか」
そうひとりごちて、暴れる魚のそばにしゃがんだ。まぎれもなくアラスカの淡水釣りでは、もっともポピュラーな存在であるグレーリングだった。
この時点まで筆者は、アラスカで十数年間釣りをしてきた。その間グレーリングは常に一番相性のいい相棒だったが、これほど巨大で、しかも真っ黒なグレーリングに対面したことがなかった。
「ちくしょう、カメラがあればな」
こんな時にかぎって、と自らのドジさかげんに悪態をつきながら、ツール付属のプライヤーで、巨大グレーリングの巨大な口からフライをはずして放流した。
なぜかこの一匹で戦意を喪失した。やるべきことがあったのを思い出したのだ。アックスを手にして、川原に生えている離着陸の邪魔になりそうな灌木を伐採した。
そこかしこに散らばっている流木は、一か所に集めた。
伐採した灌木の中から、大きめのものを選んで幹の上部に切り裂きを作り、五〇センチほどの長さに切ったトイレットペーパーをはさんで、輪ゴムで止めた。
同じものを四本作り、ごろた石や灌木を始末して完成した、二〇〇メートルほどの川原滑走路の両端に、二本ずつ立てた。
およそ一時間後、二機のセスナ180が相次いで飛来。先着したリンカーンが操縦する機体が、筆者が作った川原空港の滑走路の上空を、地べたを舐めるように飛んで路面を確認した。
いったん川原から離れて後円を描いて上昇し、再度川原の北側から一直線に突っ込んできた。トイレットペーパー風向計が微風に煽られて、南風であることを示している。
ほどなくリンカーン機は滑走路の北端ぎりぎりに接地して、そのまま一〇〇メートル余り滑走して停止した。
リンカーン機が川原滑走路から出て、上空で待っていた二番機も、危なげなく着陸するのを見て、この旅のフロートキャプテンとして、最初の任務を果たした気になった。
筆者や歯医者の友人がゴムボートを膨らましたりして出発の支度をしている間、ジム・リパインが立て続けに数匹、真っ黒な巨大グレーリングを釣った。
「こいつはすごい。たぶん新種だ」
テレビカメラに向かってそう言いながら、ジムは一匹だけ残して放流した。不運な一匹はその場で処理され、流木を燃やした焚き火で即席のムニエルにされた。
出発前の昼食として全員に振る舞われ、白身にバターがよく合って、なかなかの美味という評価を受けた。
午後二時。
三日後の正午、主流ノアタック川との合流点で再会することを約束して、二機のセスナ180が飛び立った。
待ちかまえていたように、ジム・リパインが声をかけてきた。
「キャプテン、そろそろ行こうぜ」
すでに述べたように、全米にその名を知られたガイドのジムを差し置いて、筆者がこの川下りの旅を仕切るフロートキャプテンになったのは、アラスカ北極圏の原始河川を下った経験者が、ほかにいなかったからである。
「わかった、では出発しよう。ただし当初の予定を少し変えて、はじめから各駅停車だ」
そういう筆者の意図を、ジムはすぐに理解したようだった。キリー川のような北極圏の原始河川の源流には、グレーリング以外の魚がほとんどいない。
ゆえに当初の予定では、はじめの数時間はノンストップで下る。そして昼食時ぐらいになって、狙い目の巨大なアークティックチャー(北極イワナ)がいそうなポイントを見つけたら、そこで休止して竿を出そう。
そういう心づもりだったが、スタート地点でこれまで見たこともない、真っ黒で巨大なグレーリングに出会った。これがどこまで続くか確認しようというのが、各駅停車の意図だった。
当初はおよそ十五分間隔でボートを岸に寄せ、竿を出した。その結果気づいたことがある。グレーリングが釣れることは釣れる。だが下流に行くに従ってサイズが小さくなった。そしてサイズに連動する形で、体色も淡くなった。
この現象にテレビクルーが落胆した。
「新種のグレーリング発見と、喜んでいたのに。結局は生息水域のちがいによるものだったんですね」
だがこの落胆はすぐに、釣れはじめた巨大なイワナで穴埋めされた。
グレーリングが通常のものになるのを補うように、かねて筆者がエスキモーのハンターたちから聞いていた、巨大なイワナが釣れはじめたのだ。
しかも白と黒が基調のアークティックチャーではなく、背中が真っ青で、脇腹にはオレンジの斑点をまき散らしている、ドリーバーデンの降海型。
ジム・リパインが狂喜した。
「お前の酒飲み話に付き合って、半信半疑で来てやったのに、めずらしくホラ話ではなかったんだな」
いつものくせで嬉しさを悪態に替えて言いながら、三〇インチオーバーの大イワナを釣り上げるジムを見て、筆者はここでも、フロートキャプテンの役割を果たせたことに、ひそかな満足を覚えていた。
*
あれからすでに三十年以上の年月が流れた。真っ黒なグレーリングを釣って憮然とし、日ならずして見事な降海型ドリーを釣って狂喜したジムは、もうこの世にいない。
そういう自分も頭に霜を置く年齢になった。あの後もアラスカには、しげく足を運んだ。しかし、キリー川には二度と行っていない。
不思議なことに、アラスカで刊行された釣り雑誌やガイドブックの類でも、キリー川に言及したものを目にしていない。
当時の写真などを見ながら、いったいあの旅は、なんだったのだろうと思うことがある。写真などできちんと記録が残っているのだから、幻の川でなかったことだけは確かだ。